第18話 前日
気づくと早いもので、明日からは待ちに待った夏休みが始まる。
廊下を歩くだけで誰と誰が付き合い出しただの、告白したされたなどと、どうでもいい情報が嫌でも耳に入ってくるのは大イベント前の慣例のようなものだ。
そして、そんな話題の中で必ず出てくる人物がいる。
椎名莉緒。絶対的な美少女であり、俺の元彼女。
椎名さんが在籍する我がクラスには、それはもう休み時間になるたびに学年問わず生徒が押しかけてくる。
さすがに毎日がこうでは無いのだが、特に今日は酷い。
夏休み前日ということもあり、まるで運試し感覚である。
その場で告白する者、放課後に会う約束をする者、手紙を渡す者とレパートリーは豊富だ。
まるでリアルかぐや姫を見ているようだが、椎名さんが恋愛中毒者達に出すのはお題ではなく。
「ごめんなさい」
という残酷な現実だけだった。ざまあみろ!
振られた身でこんなことを思うのは勘違い甚だしいし、気持ちが悪いと自覚している。
でも夏休み前にワンチャンに賭けて告白なんてことをする輩の幸せなんて願えない。
そんな事を考えていると、また一人の男子が教室の扉を開けた。
第一印象はチャラ男。引き連れてきた仲間達が後ろでニヤニヤしてるところから、こいつもワンチャンに賭けてる類だろう。
今までと変わらず椎名さん目当の男子だと高を括っていると。
「恋伊瑞さんいますか!」
思わず振り返ってしまった。
呼ばれた本人も予想外だったのか、一瞬ビクッとした後にチャラ男へと視線を向ける。
そして、そのチャラ男と目が合うと。
「……」
滅茶苦茶に嫌そうな顔をした。
いや怖いわ。瞳にハイライトのないゴミを見る目だ。傍目で見てるだけなのに体温が三度くらい下がった気がする。
殺意がありましたと言われても納得してしまいそうな眼差しを受けているのに、それでもチャラ男は気づいていないのか、気づかないふりをしているのか、口をもごもごさせていた。
凄いよチャラ男。俺だったら既に「ご、ごめんなしゃい」とか言って逃げ出してる自信あるぞ。
そしてついに覚悟を決めたのか、顔を引き締めて。
「好きです! 一生大事にします! 付き合ってください!」
「無理です」
チャラ男、撃沈。
一瞬。本当に一瞬だった。早すぎて見逃すレベル。
おいおいマジかよ。一瞬というか一殺だろこれ。殺人と変わんねーよ。いくらチャラチャラしているいけ好かない男だとしてもこれには同情してしまう。
「最近多いんだよね。小和に告る人」
いつのまにか横に現れた白波さん。
この人いつも突然近くに来るから心臓に悪いんだよな。目立つ見た目なのに。
「誰かさんが変な噂を否定してくれておかげでね」
「……もともとモテてたでしょ。恋伊瑞は」
きっとそうなのだ。
恋伊瑞は可愛い。根も歯もない噂のせいで敬遠されていただけで、想いを寄せる異性は沢山いたのだろう。
だからこれはあいつ自身の成果だ。
そんな彼女を嬉しく思う反面、俺は――
「相馬君、ちょっといい?」
「え?」
聞き慣れているはずなのに、聞くたびに胸が締め付けられるその声が。心が吸い込まれそうな程の黒髪が。
かつて恋をし、幸せにしたいと願い、戻らなくなったその人が。
椎名莉緒が言葉の届く距離にいた。
「あ、えっと。うん」
しどろもどろになりながらもなんとか返答をする。
椎名さんは俺の後ろにいる白ギャルを一瞥したが、特に気にしていない様子だ。
「相馬君って夏休みどこか行くの?」
軽い雑談くらいの話題だったが、その質問に思考が止まってしまう。
先の予定を聞かれたことなんて付き合ってる時ですら記憶にない。
それなのに何故今?
「わたし達と二泊三日で海いくよー。バイト兼旅行」
言葉に詰まっていると、白波さんが答えてしまう。
「へぇー、二泊三日」
いつも通りの椎名さん。笑顔が眩しくて、どの角度から見ても可愛い。
だから刹那の瞬間、鋭い眼差しを向けられたのは気のせいに違いない。
こうやって普通に接してくれるのは、友達に戻ろうと言った彼女なりの優しさなのかもしれない。
だからその優しさで心に針を刺されたような痛みが走るのも、俺が一人で克服しなければならない。
その後も女子二人で会話を続け、時折俺も言葉を挟むみたいな状態になったのたが、正直何を話していたのかなんて全く覚えていなかった。
そしてその晩。
『海の家バイト』と表示されたグループに招待を受けた。
チャットグループに誘われるの初めてなんですが、入ったらまず何て言えばいいの?
「よろしく!(スタンプ)」とかでいいのかな。でも恋伊瑞にスタンプ変だって言われたし無い方が……。そもそもよろしくって言うのもおかしい気がしてきた……。
そんなことを数十分考えた後、ついに入る決意を固める。最初のチャットは「お疲れ様です」だ。汎用性の高い可もなく不可もない挨拶、完璧だ。
いざ!
「え、なんで……?」
上がっていた体温が、一瞬にして氷点下まで落ちる。
グループメンバーに表示された「椎名」と「森川」の文字。
呆然と眺めた時間が長かったのかスマホ画面が暗くなり、ひどい顔をした自分と目が合う。
「意味わかんねーよ……」
そんな真っ暗なスマホを握りしめたまま、俺の夏休みは始まった。
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