第6話

「この国は温泉地帯で、地熱も高いんです。そこを活かして、花もですが農作物も今より豊かに出来ないかとも――」


 私が次の話題を模索している間も饒舌じょうぜつだったのに、突然、ぴたっと止まってしまう。

 どうしたのかと声をかけるよりも先に、陛下が軽く頭を垂れた。


「すみません。ひとりでぺらぺらと……」

「え?」

「昨日もここへ来る前も、アシュリーとエマから仕事の話は禁止って言われてたんですが……いつもの癖というか、こういう話題しか僕は提供出来ないというか……。庭園で花の話は出来ましたが……たぶん、だいぶ見当違いです」


 自覚はあるのね。

 だったら……そうだわ。


「アレクセイ陛下。よろしければ、普段の口調でお話しても?」

「口調、ですか」

「エマやアシュリーさんとは違うお立場ですし、迷いはしますが……ご迷惑でなければいかがでしょう。そのほうが会話も自然になるかと。堅苦しさが入っては、正しい息抜きにはなりませんもの」

「あっ、は、はい! ぜひ!」


 いきなりの全開笑顔に、思わずどきりとしてしまう。


「実は、アシュリーには砕けた口調なの、羨ましいと思っていて……。でも自分では言いにくくて……だから、あの、すごく嬉しいですっ」

「口調、普段でいいのよ?」

「――……うん、ありがとう」


 かな? と、少し照れくさそうに笑うと、途端に幼くなるのも印象的で。

 これなら私も気負わず話を進められそうだと、席を立つ。


「アレクセイ陛下のお仕事のお話、私は興味深く聞けたし、つまらなくはないのよ。でも今は、気分転換の時間だもの。そういうお話はなしにして、少し歩きましょうか」


 庭園内の散歩道を、ゆっくりと歩く。

 花の種類も多く、手入れもよく行き届いていた。


(庭園がこれだけ見事なら、きっと畑も……)


 祖国では花も野菜も育てていた私としては、そちらも拝見したくなる。

 とはいえ私からそれをアレクセイ陛下に願うのは、さすがに図々しい。そのうち、エマにお願いしてみようかしら。


「ここ歩くのも久しぶりだなあ……」

「いつが最後?」

「去年の秋ごろ、息抜きしろってアシュリーに放り込まれて、仕方なくひとりで一周して帰ったのが最後だったかな。…………うん、そうだ。それでここが贅沢だって気づけて、大急ぎで入り口に戻って、待ってたアシュリーに国益に出来ないか相談したんだ」

「……彼に呆れられなかった?」

「なんで分かるの!? すごいね!」


 なんでも何も。息抜きとして放り込んだ相手が、すぐに戻ってきて意気揚々と仕事の話を始めたら私でも呆れるわ。

 とは、さすがに言えない。「なんででしょうね」と笑顔で交わし、話題を戻すべく近くの花に触れる。


「この花の名はご存知かしら」

「薔薇でしょう?」

「あの白い花は?」

「えっと……薔薇じゃないし……」

「その奥のは?」

「……分からない」


 なら、と私がひとつひとつ教えてあげる。

 ここは多種多様の花が植えられていて、季節ごとにちゃんと咲くようにしてあることも。育てるのはとても大変だということも。庭師の方々は、愛情を持って育てていることも。

 その全てにアレクセイ陛下は感心し、真剣に耳を傾けてくれていた。


「新種を作るにしても、まずは基本的な部分を覚えないと。花の名前もろくに知らず、ただ指示を与えるだけなんて良いとは思えないわ。陛下もまだまだ、知らないことがたくさんね」

「…………」

「なあに?」

「僕にそう意見した人、初めてだなって」

「……ごめんなさい、失礼が過ぎたわ」

「失礼でも嫌とかでもなく身につまされるっていうか……そうだね、僕は知らないことがたくさんだ。花の名前もろくに知らないのに新種を欲しがるなんて、研究者たちにも失礼だった。もっと覚えないと」

「研究対象としてだけではなく、その花の美しさも知ってもらえたら花好きとしては嬉しいわ。季節を感じられる花の種類を覚えれば、楽しみも増えるのよ。花が咲けば、季節の訪れを楽しめたりするもの」

「だからみんな、花を愛でるのが好きなんだ」

「きっとね。私も花を眺めると癒やされて、良い時間を得られるの」

「……ねえ、もっと教えてくれる?」

「私でよければ」

「貴女に教えてほしいよ」


 階段があるからと手を差し伸べてくれる動きに合わせて、ふわり、甘い香り。

 あっ、と顔を上げれば、やっぱり。


梔子くちなしが、あんなにたくさん!」


 階段を登りきった所に植えられている白い花に、足元など気にせず駆け出してしまう。


「マリーツァ!? 階段で走ったら危ないよ!」


 追いかけてくる言葉に、そうだったと足を止める。


「好きな花だったものだから、つい……。ごめんなさいね」

「ううん。……でもそうか。この匂い、あの花からだったんだ。町でもよく香る花なのに、どれかまでは知らないでいたんだ」

「春の沈丁花、夏の梔子、秋の金木犀を合わせて、三大芳香木と呼ぶの。どれも好きだけれど、一番は梔子ね」


 手を取ってもらいながら階段を上り、そうそうと付け足す。


「花には花言葉もあって、沈丁花の花言葉は勝利、栄光。金木犀は、謙虚、気高い人。どちらも陛下にぴったりね」

「梔子にもある?」

「とても幸せ、喜びを運ぶ。例えば、女性をデートに誘う時に梔子を贈るの。あなたと一緒に時間を過ごせることは幸せですっていう、想いが込められるわ。女性を褒めたい時に贈る花ね」

「そうなんだ……」


 少し考える素振りを見せたアレクセイ陛下が、梔子を手折った。


「これを、マリーツァに」

「まあ、ありがとうございます。……女性に慣れていないと聞いていたのに、こういう喜ばせ方は心得ているのね」

「こんなこと誰にもしないよ」

「……そうよね。国王陛下ともなると、花を誰かに贈るのも注意が必要でしょうし……考えなしでごめんなさい」

「じゃなくて、貴女には構わないって意味で渡したんだ」

「エマの姉ですものね。それに息抜きの相手でもあるし、練習相手にはちょうどいいわ」

「……じゃなくて」


 陛下が梔子の枝を何本も手折り、私にぐいっと押し付ける。


「全部あげる」

「こんなにたくさんは……。花も生きているのだから、必要な分だけ手にするのが一番よ。無駄に散らしてはかわいそうだわ」

「あ――……うん、そうか、そうだよね……。気をつける……」


 しゅんっ、と分かりやすくしおれられて苦笑してしまう。

 国王陛下なのは間違いないのに、目の前にいる彼はあまりにも表情豊かで可愛らしい。


「アレクセイ陛下もどうぞ。私はこれだけあれば充分だから、残りはあなたのお部屋に飾って?」

「う、うん、ありがとう。……ほんと、いい匂いだ」

「花弁を袋に詰めて、服と一緒にしまったりするのよ。香水よりも柔らかい香りが服に染み込んで、私は好きだわ」

「ああ……そっか。マリーツァの香りは、花の香りだったんだ」

「私?」

「その、抱きしめちゃった時……甘い香りがして。香水の香りは苦手だけど、貴女の香りは僕、好きだよ。優しくていいね」

「……ありがとうございます」


 この人の褒め方は素直で心がこもっていて、てらいもないぶんとても耳に心地いい。

 きっと誰もが、彼のこういう人当たりの良さに魅了もされる。

 もちろん私も。

 男性と話していて、こんなに居心地の良さを感じたのは初めてだった。


「いまさら、男が女性に花を贈る理由が分かった気がするな」

「ふふっ。貰う側が花言葉の意味を知らないと、たいがい不発よ」

「そうなったら、また男が頑張らないとだ」

「無理はしない程度にね。運命が、縁があれば、花がなくとも結ばれるもの」

「うん……でも、花で実る恋もロマンチックだよ」


 同意の頷きをしたところで、庭園内に響く鐘の音。

 園の入り口で陛下を呼ぶためのものだと知っているから、互いにそちらを向いた。


「あっという間だったわね」

「それだけ楽しかった証拠だよ。ありがとう、マリーツァ。また必ず」

「ええ、アレクセイ陛下。ここに滞在させていただいているお礼になれば、私も嬉しいわ」

「……うん」


 それまでキラキラと輝いていた瞳に陰りが見えたのは、私の気のせい?

 気にはなっても半歩先を歩き出している彼の横顔に、もうそんな色は見当たらなかった――。

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