#5 宇宙科学研究会

 無機質な廊下に突如として現れる、幻想的な星空をバックに立方体をした人工衛星を描いた貼り紙。これがアリコス国立大学の工学系クラブ、宇宙科学研究会の門である。

 宇宙科学研究会とは宇宙工学・宇宙科学系統の研究室の間で、所属に関わらず横断的な研究ができるよう設置されたもの。所謂、大学内部の宇宙機関みたいな物だ。


「御免ください。」

 扉を開けて中に入る。そこには衛星に関する物と思わしき無数の機器類やコンピュータが所狭しと置かれており、その本気度は火を見るより明らかである。

 ここで衛星の実機が作られている。特別公開でしかお目にかかれないような物が年がら年中自分の手で操れるという夢にまで見た世界、それがここにあった。


「新入り1名、来ましたよ。」

 部屋の奥から椅子を引く音と足音が聞こえ、その主が姿を現す。やってきたのは眼鏡に作業着、胸元には研究会のロゴのワッペンを付けた、平均的なのとやたら小さいのの二人。最早本職じゃないかと、そんな外見をしていた。

 俺は挨拶をしようと二人の方を向いて姿勢を正した。第一声というのはどうしても緊張する物。心臓の鼓動を感じながら、静かに息を吸う。そして口を開いたその瞬間、平均的な方が声を張り上げ、俺の鼓膜を貫いた。


「はz」

「早速だが入会試験を行う!」

「えっ。」

 その言葉に血の気が引いていくのがわかった。試験があるなんて聞いていないし、対策などしているはずもなかった。

 一体何を出されるんだろうか、もし結果を出せなかったら?憧れの世界を目の前にして、門前払いされてしまうのだろうか。

 せめて専門分野の話であってくれと、俺は心の中で必死に祈るしかなかった。


「ロケット科学者のノレン氏。彼は金欠のあまり研究室で寝泊まりしていたが、ある時それがバレて他の職員に叩き出されてしまう。その後何と言って何処を寝床にしたか?」

 彼の出す問題に俺は胸を撫で下ろした。この話は誰よりも知っている。何故なら俺の尊敬する祖父の話だからだ。

 ベルタ・ド・ノレン。彼は人生の全てをロケットに注ぎ込み、故郷ヴィラロナの宇宙機関発足前から宇宙開発を牽引してきたという、その分野の人間に知らぬ者は居ない存在。同時に稀代の変人、いや狂人でもある……。


「研究室の中に泊まらなければ良いんだなと言ってポータレッジで壁に貼り付いた、ですね。」

 その孫たる俺は無論自信満々に答える。止まった血の流れが一気に戻り、全身に熱を感じた。

「ファイナルアンサー?」

 しかし平均的な彼は暗黒微笑で揺さぶってくる。間違っていないはずなのに不安を煽られ、それに冷や汗が止まらない。


 早く終わらせろと目で訴えてみるが、彼は何も読み取れない表情のまま微動だにしない。追い詰められた一秒一秒が天文学的に長く感じた。

「正解っすよ、後輩をあまりいじめんでくださいな。」

 見かねた小さい方の先輩が、やれやれと溜め息を吐きながらその場を諌めてくれた。先輩は一体何のためにこんな追い込みをしたのだろうか、安心と呆れとで身体から力が抜けるのがわかった。


「初っ端からこのクイズ野郎がすまんね、宇宙科学研究会狂人の巣窟へようこそ。俺はレーター、修士3年で熱制御系。んでこのクソボケが修士4年、部長で推進系のトランだ。」

 そう言うと彼は手を差し伸べて握手を求めてきた。俺を真っ直ぐ見ているのは良いのだが、低い背のために見上げる姿勢になっているのがどうも気になる。

 改めて彼の容姿を観察すると、まず死んだ魚かのように濁った瞳が目に入り、やさぐれた悪ガキという意味不明な感想が飛び出してしまう。とはいえ、尊うべき先輩である事には違いない。

「ミール・ド・レシャラータです。」

「宜しく、ミール。」


 軽く自己紹介をして握手を受けた。緊張が解け和やかになったはずの雰囲気を他所に、押し除けられたトランが不満そうに咳払いをし、固定されているはずのワッペンを糺す。相手方は半目に腕組みという敬意の欠片もない態度で、これは危ないと本能がアラートを鳴らす。

「レーター君?先輩に対してクソボケと言うのはちと敬意が足りてないんじゃないかねぇ。」

「ここにマトリクス方式を持ち込んだのはパイセンっすよ。」

「そうでございました。」

 と思いきやトランの方が速攻で言い負かされて黙ってしまった。後輩に肘で小突かれようと何も返せないでいる。研究会の知りたくもなかった実態、歪んだヒエラルキーの一片を覗き込んでしまった気がする。


「はいちゅーもーく。」

 そんな感じで軽くアイスブレイクをしたところでレーターが招集をかけた。それを聞くなり、謎の数字とグラフだらけのパソコンにかぶりついていた連中がぞろぞろとやってきて、狭い動線を完全に塞いでしまった。威厳を失っている部長はその中から2人を引っ張り、俺の隣に立たせた。


「多分この3人で全員だと思う。」

 多分?

「今年の新入りだ。皆、仲良くしてやってくれ。」

「よ、よろしくお願いします。」

 俺を含めた3人は深々と一礼しつつ、先輩方に向けて揃わない挨拶をした。あまりにもバラバラな物で最早何言ってるか全く判らず、この中で一人だけ意味不明な発言をしていても恐らくバレないだろう。

 今日この瞬間から宇宙工学の現場に飛び込む事になる。これからのキャンパスライフに際限なく期待が膨らみ、顔は死んでいるが、心は踊っていた。

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