#2 野晒しの円筒
エルシューラ島。国土の大部分が冷涼な気候下にあるこの国と違って、青く澄んだ空と海に、亜熱帯の植物が繁茂する様を見ることが出来る。
太陽はここらよりずっと高く登っているようで、そこにあるはずの強力な光源が何処にも見当たらない。そんな情景が宇宙科学展示館の壁面スクリーンに映し出されるのを俺はじっと見つめている。
白一色で無機質な印象を抱かせる壁に、高いが鉄骨が剥き出しになった天井。中には宇宙機の模型や実際に使われた熱構造モデル、積まれているエンジンや観測機器、果てはその部品や先人達のノートまで、とにかくマニアックな物ばかりが解説を名乗る専門用語のオンパレードと共に展示される。そんな展示館の中で、俺はスクリーンを眺めている。
『X-30秒前、29、28……』
合成音声による秒刻みのカウントダウンが始まる。画面は亜熱帯の美しい遠景から発射台の方へと切り替わり、白と青とで塗られた1本の細長い円柱形が中央に鎮座する構図になった。
青、白、青というヴィラロナの国旗と宇宙機関の意匠が施された機体は専用のランチャーに括り付けられ、これから飛び立つ先の青空に向かって直立している。
『26、25、24……』
『点火回路準備完了!』
画面の端に速度と高度、加速度に機体姿勢といった基本的なデータが表示された。フライトシーケンスを記す秒刻みのタイムスケジュールがこの一大イベントの全貌を静かに物語っている。
『19、18、17……』
『OBCシーケンスタイマースタート!』
『14、13、12……』
『駆動用電池起動!』
時折混じる発射管制室からの生音声。「その時」が刻一刻と迫っており、臨場感に気分が高揚する。周囲の観衆も同じ事を感じたようで、合成音声に合わせカウントダウンを始めた。
『10、9、8……』
『SMSJ点火!』
『7、6、5、4、3……』
『全システム発射準備完了!』
『2、1、0。』
『ブーストステージ点火、リフトオフ!』
閃光と共に轟音が鳴り響き、巨大な円柱形は重力に逆らって浮き上がる。120tにもなる機体を、固体燃料による2,600℃もの炎が持ち上げたのだ。
周囲のカウントダウンが歓声へと変わった。閉じられた展示館の空間は人々の声を反響させ、人数以上の大歓声となって鼓膜に伝わる。
ロケットはそのまま飛んでいく。そして散らされる白煙は軌跡を示す一筋の線となり青空を彩った。飛行機の飛ぶ高度などは僅か40秒ほどで突き抜けてしまい、そのまま機体は雲海へと消えていってしまった。
発射管制室に詰めかける何十人もの技術者が成功を喜び、抱き合う姿。この映像を見るとやはり本当に凄い事をやっているのだなと思う。途方もない苦労があるが、それ以上の喜びがある、やはり宇宙工学は良い物だ。
そうだ、この世界に惹かれて今まで努力を重ねてきたんだ。
『本日のプログラムは以上で終了となります。天文衛星APRO-Ⅴ打ち上げ中継パブリックビューイングにお越しいただきありがとうございました。』
そんな余韻に浸っていると、終了を告げる館内放送が流れてくる。それを聞くや否や参加者は次々と席を立ち、展示館の一箇所を目掛けて進んでいった。
反射的にその先に何があるのかとその方向を見てみれば、目に入ったのは金色のモノ。この場所で金色と言えば宇宙機の模型に他ならない。
人混みの後ろからそれを覗き込んだ。円柱形の胴体に筒が数本刺さったような形をしており、この望遠鏡でX線を捉えて観測するらしい。左右に太陽光パドルが折り畳まれて設置され、開いた形は鳥のようになる。
専用に作られた多数のパネルと共に解説をするプロジェクトメンバー。人々は模型をカメラに収めつつ、その話に耳を傾けていた。
「これ何?」
解説がひと段落すると幼稚園か小学校低学年ぐらいの男の子がある一点を指差して問いを投げかけてきた。解説員は子供にも解りやすいように答えているが、すぐにまた次の質問をと質問攻めにされてしまった。
「この色が違う奴は放熱面だよ。」
「ほうねつめん?」
「合ってますよね?機械って熱くなると壊れてしまうんだ。人が火傷をするのと同じようにね。そうならないように熱を逃がしてやるのがこれだよ。」
放っておけなくなって代わってしまった。どんな答えを求めているかわからないが、とりあえず要点だけ伝えて反応を見てみる。彼はふーんというだけでまた別の場所を指差していく。
「それはアンテナだね。何処を向いてとか命令を受け取ったり、撮った写真を送ってもらったりするんだ。」
「僕の知ってる形と違う!」
「多分衛星放送とかのパラボラの事かな?あのお椀みたいな形をしているやつ。実はアンテナは平らでも良いんだ。向こうの機体みたいに網目ってのもあるね。」
「ねーね、じゃあこれは?」
「これはね……。」
そうやって解説のために機体を隅々まで見て回っていると何だろうか、背後に冷たい物を感じた。
その方向を振り向けば職員が数人、余計な事をするなと言いたげに白い目で俺を見ている。その視線を受けながら続けるのはよろしくないので適当に切り上げ、展示館を出る事にした。
「やあやあミール、今日も来てたんだね。」
「ああ、どうも。」
受付のカウンターを通り過ぎようとした俺に声がかかる。今日も、という発言から察せるように、コンビニに行くようなノリで来ていた所為で遂に受付に顔と名前を覚えられてしまった。
居辛くなったのでそのまま出るつもりでいたが、気さくで話しやすい印象の彼の雰囲気のために訊いてみようという気になる。
「職員からの目線が痛いんですけど、俺何かやっちゃいました?」
痛い主人公みたいな問いになったが仕方がない。受付は少し思案した後、頭を掻きむしりつつやっちまったなぁと申し訳なさそうな顔をする。徐に見学受付用のペンを取り出し、右手でそれを回し始めた。
「あー、それ多分原因僕だわ。」
「え?」
「いや、君が子供にも詳しく解説やってくれる物だからアイツが居れば広報部要らないねって呟いたら……。」
そこまで言ってあとは解るだろと俺に振ってきた。特に意味もないキメ顔をして、回っていたペンが俺を指して止まる。
「仕事を奪うなと俺に当たり出した……。酷くないすか?」
「再発防止に努めます!」
半笑いで敬礼する彼。ここは俺の数少ない居場所だというのにそれを取り上げ、そして馬鹿にしている感じがする。少しイラっと来て反射的に睨みつけてしまう。
「自分の顔見てみろよ。ロケット方程式導き出してそうな顔してるぞ。」
彼はため息を吐きつつ、スマホをインカメにして俺に見せてきた。そこに写る自分の顔。自覚しているので眼鏡にマスクでカモフラージュしているが、ハッキリとわかるような隈が出来ており、ゾンビみたいになってしまっている。
初期のロケット科学者というのは不遇でとにかく貧乏で、研究継続のために限界節約生活を送っていたものらしく、見た目がゾンビみたいになる事が屡々あったらしい。帰省したら家族に箒で殴られたなんて話もある。その代表格にロケット方程式を発案したホント・ラケトスコなる人物がいたから、これは〈ロケット方程式顔〉と呼ばれている。彼はそれと俺を重ね合わせているようだが、意図が理解できない。
「何が言いたいんですかね?」
「あのなぁ、もうちょっと気楽に、ユーモラスに生きようぜ?な?」
彼は呆れた顔になり、頬杖を付く。切り詰めすぎてこんな事になってしまった俺を諭しているのだろうが、余計なお世話である。
頭に血が昇ってくるのを感じた。これ以上続けても無駄だろうと、俺は強引に話を切り上げる。
「そんな事が言えるなんて、嘸かし恵まれた人生を送ってきたんでしょうなぁ。」
捨て台詞と共に俺はその場から立ち去った。受付はまだ何か言いたげだったが、どうせ中身のない、聞く価値の無い無駄話に過ぎないから無視を決め込んだ。
ガラス張りの自動ドアから臨むロケットの実機展示。見る度に希望を抱かせてくれるそれに、この時ばかりは目線を向ける事が出来なかった。十何年と野晒しだったために黒ずんでしまった機体が、俺の未来を暗示しているようで。
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