過去に戻った俺、初恋の彼女になりました。

霧うるみ

プロローグから学校一日目まで 

1話 起床、俺は女の子になりました。

 目が覚めたら、俺は女の子になっていた。

 鏡に映るのは、かつての自分ではない――華奢な肩、小さな顔、大きな瞳。肩にかかったサラサラの黒髪が光を受けて輝いている――どう見ても『可愛らしい女の子』だ。

 それに部屋の様子もまるっきり変わっていた。


 見知らぬぬいぐるみたちが棚に並び、机には教科書や文房具が整然と並んでいる。

 足元のラグもふわふわの桜色で、見ているだけでなんだか気恥ずかしくなる。

 

 無機質な六畳一間とはまさに正反対と言っても過言じゃない。


 頭がまだはっきりしないせいか、状況をうまく理解できない。

 とにかく部屋を見回してみるが、やはりどこを見ても見慣れない物ばかりだ。


「なんで?」

  

 反射的に声が漏れたが、それも聞き慣れない高い声だった。

 全身の血の気が引いていくのが分かる。


 その時、扉の音が部屋に響いた。


「だ、誰!?」

 

 反射的にそちらを向くと、扉の向こうに立っていたのはふくよかな女性だった。

 見たことのない顔――けれど、彼女はこちらを見て、特に驚いた様子もなくこう言った。


「そろそろ起きなさい……って起きてるじゃない」


「え、えっと?」


 何を言っているんだ?、

 しかも当たり前のように部屋に入ってくるし。

 

「どうしたの? 変な顔しちゃって……ほら、早く支度しないと遅れるわよ」


 この部屋の持ち主なのか? にしては随分と不釣り合いな見た目だ。

 いや、それよりも――。


「えっと……ど、どなた、ですか?」


「どなたって何よ、よそよそしいわね」


 彼女は困ったように眉をひそめた。

 俺の記憶を必死に探っても、この人が誰なのか全く分からない。


「ちょっと大丈夫? 顔真っ青よ?」


「え、ええっと……だ、大丈夫、です」


 きっと、夢だ。夢なら、いつか覚めるはず。

 目が覚めたらきっと……元の自分に戻っているはずだ。


「まぁいいわ。お弁当はそこに置いておいたから忘れないでね、早く制服に着替えて降りてきなさいよ」

 そう言うと、彼女は、さっと部屋を出て行ってしまった。


 鏡を見る。部屋には女の子一人。


 恐る恐る頬を、つねる。


 「……痛い」


◇◇◇◇


「と、ここまでが私が美波になって、起きた直後のお話でした!」

「待て待て。これ、もしかして長くなる感じ?」


 ソファーの隣に座っている悠真が、面倒くさそうにこちらを見る。

「ん~……まあ? 今日一日じゃ終わらないかも」

 

「えー……とりあえず、朝飯作りながらでもいい?」

「もちろん! やったー!」

 私は、キッチンに向かう悠真の背中についていく。

 冷蔵庫を開けた悠真が、無造作に卵を取り出す。その手元がなんだか頼もしく見えて、つい目線で追ってしまう。

  

「ね、ねぇ。今日は何作るの?」

「適当。ミナ、なんかリクエストある?」

「え、ううん、なんでも……」


「いっつもそれだなー」

 卵をフライパンに落とす音が、部屋に響く。

「だって、作ってくれること自体が嬉しいんだもん」

 たわいないやりとりが続く。でも、心臓はさっきから落ち着かない。


 今も、悠真の隣でこうしていられることが、こんなにも幸せなはずなのに――。

 それなのに、少しずつ過去の自分が薄れていく感覚、それがどうしようもなく怖かった。

 美波として生きていく時間が増えるたび、悠真だった頃の記憶は、薄れていく。

 

 全部忘れてしまったら、悠真が生きていたことさえ、無かったことになる。だから、せめて自分以外の誰かに話しておきたかった。

 俺の最後のわがままだ。

 

 でも、こんな話をしたら、嫌われちゃうかも……。

「ミナ?」

 悠真の声にハッとする。

 

 「えっ、な、何?」

 「いや、何か話すんだろ? ぼーっとしてるから、どーしたのかなーって思ってさ」

 「い、いや、お腹空いたなーって!」

 明るく振る舞おうとしても、声が少しだけ上ずってしまう。

 

 「あー……一応だけどさ。そもそも別に興味がなくって断ってたわけじゃないぞ。最近忙しかったから余裕なかったんだよ」

 ちょっと気まずそうに彼は言う。

 別に、そこを気にしているわけではないんだが。

 私を気にかけてくれているだけで、嬉しい。


 「今日は休日だし、いくらでも俺は聞くぞ。ま、つまんなかったら適当に流すけどな」


 その言葉に肩の力が抜ける。悠真らしい、適当で気楽な返事。だけど――今の私にはそれで十分だった。

「別にまじめな話って訳じゃないし、てきとーに聞いてて」


 少し深呼吸をして、息を調える。

「よし、続き話していくよ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る