たとえ君が微笑んだとしても(7)
ミドリは喫茶店のスパゲティーが好きだった。おしゃれな店のパスタではなく、レトロな雰囲気の喫茶店にあるケチャップ味のスパゲティー。具材はウインナーとピーマン、玉ねぎ、場合によってマッシュルームのやつだ。銀皿の上で山盛りとなったスパゲティー。その山に向かってフォークを差し込み、くるくると巻き取るようにすると大きく口を開けて頬張る。そして、スパゲティーを口いっぱいに頬張ったあとは、お決まりのようにクリームソーダで流し込むのだ。そんな子どもみたいな食べ方をするのがミドリであり、この食べ方をミドリはいつも嬉しそうに笑顔でやっていた。
「ねえ、さっちゃん。スパゲティー半分あげるから、そのピザをちょっとちょうだい」
にっこりと笑みを浮かべながらミドリは、わたしの注文したピザを指していう。ピザはシンプルなものであり、チーズとサラミ、ピーマンが乗っているだけのものだ。
ミドリの口の周りはケチャップで真っ赤に染まっている。わたしは紙ナプキンを使って、ミドリの口元を拭いてあげる。
「ありがとう、さっちゃん」
嬉しそうに甘えた声でミドリは言った。
どこか遠くの方で短い電子音が鳴っている。
その音がわたしの意識を覚醒させた。
「ミドリ……」
そう彼の名前を呼んでみたが、わたしがいるのは一人暮らしをしているマンションの部屋であり、部屋にはわたし以外に誰もいなかった。
ベッドサイドに置かれている仕事用のスマートフォンが短い電子音を奏でている。
わたしは手を伸ばすと、そのディスプレイを見た。そこには数字の羅列が表示されていたが、その番号が誰のものかわからなかった。
「はい――」
まだ覚醒しきっていない頭をなんとか動かして電話に出る。
受話口の向こうから聞こえてきた声、それは聞き覚えのある男性のものだった。
「寝ていましたか」
「……ええ」
その丁寧な口調で相手が誰であるかわかった。捜査一課の二宮である。二宮の言葉にわたしは反射的にちらりと壁掛け時計へ目を向ける。時刻は午後二時を少し過ぎた頃だった。夜勤明けで、駅の近くにあるとんかつ屋でランチを食べた。その辺りの記憶ははっきりとしているが、そのあとは部屋に戻るなりベッドに倒れ込むようにして眠ってしまったのだ。
「すいません。先日も電話を入れたのですが……」
「ああ……」
わたしはまだ完全に覚醒しきっていない頭で先日二宮から着信が入っていたことを思い出していた。あの時は、折り返したが今度は二宮の方が忙しかったらしく電話に出なかったのだ。
「なにかありましたか?」
「松本アオイが姿を消しました」
「え?」
「松本アオイです。松本ミドリさんの弟の」
それはわかっている。別にアオイのことを知らないわけじゃない。わたしが聞き返したのはその後のセリフだ。
「逃げたってことですか?」
「まあ、逃げたといえば逃げたということになります。彼に対してはまだ内偵中であり、逮捕状などは出ていないので、逃げたという言い方があっているかどうかはわかりませんが」
「どういうことなんですか?」
「うちの二課が張り込みを行っていたのですが、二日ほど前から松本アオイの姿が見当たらなくなったとのことです」
「緊急配備は?」
「いえ。先ほども言いましたように、彼はまだ被疑者でもありません。ただ内偵捜査を行っていただけですから」
「なぜ気づかれたのでしょうか?」
「質問責めですね」
二宮は苦笑いをしながら言う。また悪い癖が出てしまった。いつもわたしは相手の話に対して質問責めをしてしまうのだ。プライベートでもその癖が出てしまうことも多いようで、かつてお付き合いをしていた人からは刑事の取り調べを受けているみたいだと言われて、そのまま恋が終わってしまったこともあった。だって仕方がないじゃない。わたしは刑事なのだから。
「原因は、週刊誌です」
「誰かが情報リークをしたってことでしょうか?」
また質問をしてしまった。そう思いながらも、わたしの頭の中には知りたいことが次から次へと思い浮かんできていた。
「いえ、違います。その逆です」
「逆?」
「ええ。今回の事件の内偵調査は二課が週刊誌の記者から情報を得て始めたことなのです」
「そんなことってあるんですか」
「まあ、無くは無いですよ。彼らの方が情報を持っている場合もありますから。そこは持ちつ持たれつの仲といいますか……」
歯切れの悪い言い方で二宮は言った。
「兎に角、松本アオイが姿を消したことは確かなので、もし高橋さんに松本アオイが接触し来るようなことがありましたら、連絡をください」
「わかりました」
なぜアオイがわたしに連絡をしてこなければならないのか。そんな疑問を頭に浮かべながら、こちらが言葉を発しようと思った時には、すでに電話は切られていた。
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