誰がために鐘は鳴る(8)

 フロアが一望できる立ち飲み席を陣取った富永と二宮の姿は、この店であればカップルにも見えなくはない。ただでさえ長身の富永は目立っているし、二宮は濃い眉とくっきりした二重まぶたが特徴的な、顔の濃いイケメンである。

 ビッグカップル誕生か。交通課の婦警たちが見たら喜ぶだろうな。心の中でそんなことを思いながら、わたしはカウンターで飲み物を注文した。

 ノンアルコールビールを3つ持って席に戻ってくると、二宮と富永の顔つきが変わっていた。

「見つけたんですか」

「ええ。あの大きな柱の前にいます」

 視線をその柱の方へとさり気なく向けると、そこには三沢浩平の姿があった。驚いたことに、三沢は何も考えていないのか、あの事件の時とまったく同じ、モスグリーンのコーディネートだった。

「どこでバンカケしますか」

 視線を三沢から外さずに、富永がいう。

 バンカケとは、相手に「こんばんは」と声をかけるところから来ている職務質問を掛けるという意味の警察隠語だった。

「店の中では駄目だ。外に出るのを待ちましょう」

 二宮の意見に富永とわたしは頷いて、ノンアルコールビールに口をつけた。

 しばらく三沢は動かなかった。フロアの柱の周辺をウロウロするだけで、あとは周りに時おり視線を送ったりしている。

 カウンターにおかわりを買いに行き、三沢のような行動は何をしているのかと、顔見知りの店員に聞いたところ、あれはナンパ待ちをしているのだと教えてくれた。

 どうやら、三沢には特定の相手がいないようだ。

 おかわりのソフトドリンクを持って席に戻ると、二宮が苦笑いを貼り付けたような顔でわたしのことを出迎えた。何かあったのだろうか。わたしが質問するよりも先に二宮が口を開いた。

「さっき、トイレに行ったんですけれど、フロアで三度も声を掛けられてしまいました。こんなにモテたのははじめてですよ」

 そういう二宮には悪いが、わたしは思わず声を出して笑ってしまった。


 三沢浩平が動いたのは、わたしたちが入店してから二時間後の事だった。

 短髪で色白、小太りな感じの若い男に声をかけられ、店外へ移動することを決めたようだ。

 わたしたちは先回りするように店外に出ると、三沢浩平が出てくるのを待った。

 しばらくして、三沢と連れの男が出てきた。

「こんばんは」

 少し店から離れたところで、二宮が三沢に声をかけた。

 最初、三沢はナンパでもされたかと思ったようで、二宮のことを上から下まで舐めるように見ていた。

「なんだよ、あんた」

 声を荒らげたのは、三沢の連れの男だった。

 二宮は落ち着いた様子で、スーツのポケットから身分証を取り出して、ふたりに見せた。

「警察です。ちょっとお話を伺いたいのですが」

 その言葉に三沢の表情が険しくなった。

 次の瞬間、連れの男を二宮の方へと突き飛ばし、三沢は逃走しようとした。

 二宮は突き飛ばされた男の体を受け止めたせいで、対応が遅れる。

 しかし、すでに三沢の背後には富永とわたしがいたため、三沢は逃走できないまま、その場で確保された。

 確保された三沢は悪あがきをして暴れようとした。

「暴れるのであれば、公務執行妨害で現行犯逮捕もありえますよ」

 その二宮のひと言で三沢は観念したのか、大人しく従った。

 三沢に突き飛ばされた男の方は、その場でお引取り願ったが、突き飛ばされた際に自分を優しく受け止めてくれた二宮のことを恋する乙女のような目で見つめていた。

 新宿中央署に身柄を移された三沢浩平は、取り調べを受け、武藤巡査を刺したことを認めた。

 刺した理由は、三沢浩平のヤキモチだった。武藤巡査と三沢浩平は過去に交際関係にあったそうだ。ある時、歌舞伎町にあるクラブ『to many』で再会し、復縁を三沢が持ちかけた。しかし、武藤巡査にはその気はなかったらしく、三沢はフラれる形となったわけだが、武藤巡査に未練タラタラだった三沢は武藤巡査のストーカーとなっていった。交際してくれないのであれば、過去の自分との関係を警察署内でバラす。そんな脅迫もしていたようだ。それでも、武藤巡査が振り向いてくれないと知った三沢はという自分勝手な言い分で、凶行に及んだのだった。


 その後、武藤巡査は意識を回復し退院出来たが、依願退職をした。一部週刊誌に、記事が載せられたためだった。そこには名前こそは隠されていたものの、武藤巡査がゲイであり、二丁目で毎晩のようにナンパをしていた話や手錠プレイなどをするのが趣味だったという嘘か本当かわからないようなことが書き連ねられていた。

「やっぱり週刊誌なんて、本当に信じていいのかわかりませんね」

 わたしはそう言って、自分のデスクに武藤巡査の記事が載った週刊誌を投げ置いた。

「でも、こっちの記事は本物だぞ」

 富永がわたしの読んでいた週刊誌とは別の雑誌を持ってきてページを開いてみせた。

『夜の歌舞伎町で大捕物。美人刑事が見事な一本!』

 そこには先日発生した歌舞伎町路上強盗事件で犯人を確保した瞬間のスクープ写真が掲載されていた。顔がわからないように目のところに黒い線が引かれているが、わたしのことを知っている人間が見れば、それがわたしであるということは一目瞭然だった。

「この記事も信用できませんよ。ほら、ここ」

 そう言って指した部分には、新宿中央署の三〇代女性刑事と書かれていた。

「わたしはまだギリギリ二〇代ですから」

 ふざけながらも少し怒ったような口調で言うと、その週刊誌を富永の手から引ったくった。

 あとで実家に一冊送っておこう。

 そこには、望遠レンズで撮影されたと思われる、わたしが犯人の腕を取って腕挫うでひしぎ腋固わきがためを極めに行こうとしている姿が載っていた。

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