ミドリ(8)

 板橋にあるミドリの実家に足を運ぶのは、これで四回目のことだった。

 付き合っていた頃は、ミドリは別の場所で一人暮らしをしていたので実家にはお邪魔したことはなかったが、場所や外観については話を聞いていたので、最初に訪ねた時からはじめてきた場所ではないような錯覚にとらわれていた。

「警視庁新宿中央署の高橋です」

 インターフォンで名乗ると、ミドリの母親である松本明美が玄関から出てきた。

 ミドリの生前に彼の母親とは顔を合わせたことはなかったが、ここ数日見ただけでも、一気に老け込んできてしまったように思えた。

 案内された和室には葬儀の支度がされていたが、棺桶の中は空だった。

 まだ司法解剖から遺体が帰ってきていないのだ。このままだと、遺体のないまま葬儀をする必要が出てくるだろう。

「この度は――」

 お悔やみを伝えてから、ミドリの交友関係についてなにか思い出したことは無いかとミドリの母親に尋ねた。

 そんな話をしていると玄関のドアが開く音が聞こえた。

 この家に住んでいるのは、母親ひとりだけである。

 わたしと富永が顔を見合わせて一瞬身構えると、それに気づいたミドリの母親が口を開いた。

「アオイが帰ってきたんだと思います」

「アオイ……さん?」

「ええ。ミドリの弟のアオイです」

「ああ」

 その言葉にわたしは頭の中で、捜査資料で見た松本家の家系図を開いていた。

 ミドリには五つ年下の弟がいた。松本アオイ。それが弟の名前だった。たしか、仕事の関係で沖縄に住んでいるはずだ。

「あれ、お客さん」

「ミドリのことで警察の方がみえられているのよ、アオちゃん」

「ああ、そうでしたか」

 居間に顔を見せたアオイはミドリと顔がよく似た細面の男だった。沖縄に住んでいるためか、よく日に焼けている。

「ミドリの弟、アオイです。兄の件で、色々とお世話になっています」

 アオイはわたしと富永に頭を下げる。

「ミドリのことがあったんで、こっちに戻ってきてもらっているんですよ」

 なぜアオイがここにいるのかということを突っ込まれる前に説明するかのようにミドリの母がいう。

「そうなんだったんですね」

「普段は仕事の関係で沖縄で生活しています。あ、ちょっと冷蔵庫に入れないといけないものがあるんで、失礼します」

 アオイはそういうとスーパーのビニール袋を持って台所へと向かった。

 後ろ姿を見ても、よく似た兄弟だった。

 アオイの雰囲気はミドリを思わせる感じがあり、わたしはつい感傷に浸ってしまいそうになっていた。

「失礼な話になってしまうかもしれませんが、ミドリさんと交際をしていた笠井みどりさんという女性とはお会いしたことはありますか」

 何かを察したのか、富永がミドリの母に話を聞く。

「いえ。あの子は女の子なんて一度も家に連れてきたことはありませんでしたよ。もう、いい年なんだからいい加減に結婚してほしいとは思っていたんですけれどね」

「そうですか」

 富永はそう言いながら視線を送ってきていたが、わたしはその視線に気づきながらも無視をした。

「その人が何か、ミドリの事件と関係があるんですか」

「いえ、まだわかっていません。少しでもミドリさんと関係のあった方については調査するのが我々の仕事でして」

 母親の質問に対して、富永は言葉を濁しながら答える。

 まだ、笠井みどりが今回の事件の被疑者であり、すでに死亡しているという話をする段階ではなかった。

「おれは見たことあったよ」

 台所から戻ってきたアオイが話に首を突っ込んできた。

「えっ、そうなんですか」

「写真で見ただけだけどね。去年の正月だったかな。実家(ここ)で飲んだ時に、アニキが見せてくれたんですよ、スマホの写真を。ふたりでタイだかどっか外国へ旅行に行った時のやつだと思うんですけどね」

 アオイはそういってタバコを唇に挟み、ライターを探した。

 あいにく、わたしも富永も喫煙者ではなく、ライターは持っていなかった。

 立ち上がったアオイは仏壇のところにあった線香用の多目的ライターを見つけてタバコに火をつけた。

「結構かわいいでしたよ。アニキ、女の趣味は良かったんだよな」

 笑いながらアオイがいう。

 それを聞いて、わたしは何とも言えない複雑な心境になった。

「アオイさんは、いつから東京に」

 富永はさりげない感じでアオイに尋ねる。

「え、もしかして、俺のアリバイ確認?」

 アオイは富永の質問に困ったなという表情をしながらいう。

「まあ、念のため」

「そうだよね。疑わしきものはすべて調べるのが刑事さんだよね。でも、残念ながら東京に帰ってきたのは昨日の夜です。飛行機のチケットもあるから見せましょうか」

「お願いします」

 富永が堅物刑事のような硬い口調でアオイに言う。

 もしかしたら、富永はアオイみたいなタイプの人間が嫌いなのかもしれない。わたしは、二人のやり取りからそう感じ取っていた。

 チケットを確認したところ、アオイのいうことに偽りはなかった。たしかに飛行機は昨日の夜に東京へ到着する便だった。

「はい、アリバイ成立ね。でも、なんでアニキは殺されちゃったんだろうな。アニキは何か悪いことでもしていましたか。例えば、浮気とか」

 そう言いながらアオイは笑う。

 その発言にどこか引っかかったが、その時は流してしまった。

 話を聞かせてもらったことに礼を述べ、わたしたちは松本家をあとにした。

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