第17話
子供公園のベンチに、美羽と森崎は並んで座った。気の早い蝉が夏を急かすように鳴いている。
「わざわざ来てくれてありがとうな、森崎」
「私が勝手に心配しただけだから。すっかり元通りになってよかったね。それと、高村君とは話をしたいなって、ずっと思っていて」
「ふうん、そうなんだ……?」
「高村君のおうちはお父さんがいないんだっけ」
ふたりの背後から美羽に助言するべく答える。
「梓が生まれてすぐに離婚したらしいよ。詳しいことは知らないけど」
俺が喋ったことを美羽はそっくり真似る。森崎への返事は一拍遅れる。
「片親だと同情されることが多いけど、うちはむしろ父親がいない形が自然に感じるくらいなんだ」
そう続けた俺の言葉は美羽の唇には乗らなかった。長すぎて聞き取れなかったのか、強がっているように誤解されたのかもしれない。
「お母さんしかいないってどういう感じなんだろう」
森崎は、はあと溜息をついた。眼鏡が微かに曇る。
「家族のことで、なにか悩みがあるの?」
森崎の母親は病院の待合で見かけた。少しばかり化粧が派手で森崎とは似ていなかった。
「高村君と話がしてみたかったのに、こんな話題でごめんね。私たちの年頃だと親に反抗したりしない? そういうの、訊きたかったんだけど」
美羽はうーん、と唸った。俺が回答するまでの時間稼ぎだ。
「俺はピンとこないな。父親がいないぶん俺が唯一の男として家族を守りたいと思ってるからさ」
自分で口にしたくせに、美羽の口から語られると顔面から火が出そうになる。
「お母さんと妹さんが大切なんだね。高村君のお父さんは……あ、ごめんなさい、ぶしつけで。答えたくなかったら無視して。お父さんは離婚後はどうなったの。……亡くなったの?」
「生きてるよ」
「え」
森崎がびっくりするような顔で美羽を見た。
「つうか、生きてると思うよ。さすがにまだ五十前だろうし。どんな暮らししてるかはわかんないけど」
「あ、そうなんだ。ごめんね、驚きすぎよね。……会いたいと思う?」
「いやあ、それはいいや。顔も憶えてないんだから」
強がりでもなんでもない。会いたいという気持ちはまったくなかった。
離婚に至った原因は父親の浮気だろうと踏んでいるが、自尊心の高い母さんはあまり語りたがらない。結婚生活は母の黒歴史なのだ。
なぜうちにはお父さんがいないの、と訊いた8歳の息子に、夜叉の顔を向けた母だ。おまえに父などいない、写真は焼いた、面会も養育費も断った、一切の縁を切ったのだと、強い言葉で拒絶されて以来、触れないことが正しいことなのだと学んだ。
実際に高村家に父親は不要だった。祖父母は数年前他界するまで幼い孫兄妹に優しく接してくれたし、母は手に職を持っていたから、妹も俺も平均的な生活から外れることなく育った。
母さんはおそらく父の連絡先も知らないだろう。もう高村家とは無関係な人だからだ。
「あ、高村ってのは母さんの旧姓。どうしてうちの両親のことをききたがるんだ。森崎の両親は?」
「うちは実の父と、……後妻の母がいるの」
後妻という言葉が妙に重く響いた。
なるほど、似ていなかったのはそういうことかと腑に落ちた。
「実の母は私が一歳になるころ病気で死んだの。だから私も高村君と同じ、親の記憶が半分欠けている」
「そうなんだ……」
継母と上手くいっていないのだろうか。まるで考えを読んだかのように森崎が小さく首を振った。
「ママはよくしてくれてる。でも……」
俺が口を開くよりも美羽のほうが早かった。
「森崎のお父さん、もしかして、不倫してるの? それで悩んでいるの?」
俺が考えていた疑念もまさに同じだった。家庭崩壊の兆しに森崎の心は怯えているのではないかと。
「ううん。そうじゃ……ないの、ただ」
自分は一人っ子なので、一人で不安を抱えるのが辛いのだという。不安を抱えていると言いながら、肝心の悩みは具体的に抱えているように感じる。だが、なかなか口にする勇気が出ないようだった。
「ごめんなさい、こんな中途半端で。あの、退院したばかりの高村君に迷惑かけるなんて、そんなつもりはなくて、話したいことはあるんだけど、あの……もしかしたら、高村君の負担になるかもしれないと考えると……」
しどろもどろになった森崎が顔を伏せると、美羽はぐんと伸びをした。
「疲れたから、もう帰るよ。明日から試験だろ。森崎も帰って試験対策したほうがいいよ」
美羽は森崎を突き放した。
「おい、美羽……!」
びっくりするぐらい冷淡な態度だ。そっと背中を押すようなアプローチはできないのだろうか。しかも借り物の身体でそんな態度をとるなんて。俺の人間性に傷がつく。
美羽の頭を叩こうとしたが軽く触れることができるだけだ。磁石の同じ極同士が反発するような力が働いている。森崎にたいするのとは違って、かろうじて触れることはできるのだが、美羽はそれも無視した。
「ご、ごめんなさい。そうだね、試験あるし、ごめんね」
森崎はひょこんと立ち上がった。
美羽もよっこらせとババくさい言い方で腰を上げた。
「そんなに萎縮すんなよ。話したくなったらいつでも俺の胸は空いてるからさ」
「冷淡さの後にキモい台詞か。俺の人格をなんだと思って──」
俺のクレームの途中で森崎はにこりと微笑んだ。
「夏休みになったら、うちに遊びに来て。高村君とはもっと話したいから」
「うん、わかった」
スマホを取り出してお互いの連絡先を交換し、手を振って別れた。
人生初めての春の予感だ。
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