episode.06 未来への返事
お父様から婚約者の話があった翌日、早速リュシアン王太子殿下がお見えになられるとの事で私は朝から身支度に追われていた。
二人で話をしたいとの事だったが、まさか翌日に来られるとは想像していなかった。アリサにドレスを用意してもらい準備を終えると、自室で到着を待つようにと言われる。暫くするとノックの音が聞こえ、お父様の声が聞こえる。
「エレナ入っていいか」
「はい、お父様」
立ち上がった私の視界に入ってきたのはお父様とリュシアン王太子殿下の御一行だった、私はスカートの裾を軽く持ち上げ優雅に見えるようにお辞儀をする。
「ようこそおいで下さいました、リュシアン王太子殿下とその皆様。お出迎えるような形となり、失礼致します」
「エレナ、堅苦しい挨拶はしなくていいよ。そのために今日は話をしにきたのだから」
「はい、ありがとうございます」
もう少し砕けた感じにするつもりでしたが、どうしても目の当たりにすると緊張して固くなってしまった。お父様は部屋の中へと案内し、私は向かい合うようにしてソファに座る。
リュシアン王太子殿下は二人で話をしたいと告げ部屋の中から自身の護衛とお父様を下がらせた。住み慣れた自室のはずなのに、妙な緊張感が部屋中を包みこんでいるように感じた。
「エレナ、突然済まないね。昨日の今日で」
「いえ、リュシアン王太子殿下こそお忙しい中時間を割いて頂きありがとうございます」
また固く返してしまったからなのか、緊張感が残りながらも気まずい沈黙になってしまった。
「ははっ、駄目だね。どうやら私も緊張しているようだ」
思いがけない言葉に呆気にとられてしまった、どうやら緊張しているのは私だけではないらしい。あの夜会の日見た堂々とした見た目と印象からは想像できなかった、その証拠にほんのり頬が赤く見えるのは気のせいでしょうか。
「ふふっ、私だけかと思いましたよ」
「父君から話は聞いてるかと思うが、今日こうして会いに来たのはエレナと話をしたくてね」
「はい、私もお話をしたいと思っておりました」
「でもまずは、二度も私の命を救ってくれてありがとう。あの日魔王の森で、お礼を伝えれなくて申し訳なかった」
そう言いながらリュシアン王太子殿下は膝に手をつき、頭を下げて私に感謝を述べた。この国の王族に頭を下げさせるなどあってはならない事だが、これだけでこの人の人柄が分かるような気がする。誠実で、自分自身をしっかりと持っている人なのだと。
「頭をお上げください。私がその場から逃げ出したのも事実ですし、それどころか御身を危険に晒す危険もありましたので」
「それでも、私はエレナに救われた事実がある」
まっすぐなその視線が私の心に突き刺さる。
「ありがとう……ございます」
「エレナの噂は少し耳にしていたがお茶会や夜会で見かける事が無かったので、あの日気高くも炎をまとい戦う姿を見て確信したよ」
悪気のないその言葉は私を急な現実に引き戻した、噂とは灰かぶり姫と揶揄されていることだろう。この髪色と、暗そうな雰囲気からそう呼ばれていた、初めは身内だけかと思ったが初めて出たお茶会でも周囲にそのように言われていた。
それ以降は表に出ることを私自身も控えていた、お父様の迷惑にならないようにと。こればかりはお
「その噂はあまりいい噂では無いかと、あながち間違いでも無いですが」
「そんな事はない!」
突然上げられた声に俯きかけていた顔が自然と持ち上がった、変わらずまっすぐに見つめるその目線を逸らしてはいけないと、そう感じさせるほどに私の目を見ながら優しく話してくれた。
「周りがなんと言おうと、エレナは美しい。その髪色も戦う姿すらも、私にとっては気高く惹かれてしまうほどだった」
気がつけば自然と手を優しく握られていた、久しぶりに触れられたその温もりは一気に私の表情を解きほぐしたかのように感じる。
「一目惚れだったのかもしれない、あの日森の中で殺されるかもしれないと怯えていた私は温かい炎のお陰で救われたのだ。その時の表情も、夜会の時の表情も一生懸命に誰かの為に戦うその姿は私の心すらも燃やし尽くしてしまうのに十分足り得た」
私は今どんな表情をしているのだろう、その時の表情なんて覚えていない。一生懸命だったかもしれないが、それはただ目の前のことに必死で周りが見えていなかったからに過ぎない、いつだってこの婚約の話だって自分のことばかり考えていた。
今の環境から逃げ出したい、お父様に迷惑をかけたくない。そんな感情が起こした行動に過ぎない。
「私は、リュシアン王太子殿下の言われるように気高くも美しくもありません。あの日だって周りの制止を振り切って何も考えずに飛び出したに過ぎません」
「それでも私は救われたのだよ」
「この婚約だって、今の…この家から逃げ出せる口実として最適だとしか考えていませんでした」
「それならば、これからは私を見てもらえるように努力しないといけないな」
「それに私では釣り合いが取れないかと、お命をお救いしたとしてもそれを理由に婚約者としてではなく、お礼のお言葉を頂けただけで十分ですから」
「釣り合いは気にしなくて良い、私が決める事だ」
「お父……国王様はなんと仰られて」
「父上にはまだ何も言ってないよ」
「えっ??」
私が驚いた様子で返すと、握っていた手を離しソファに座り直した。
「父上に言って許しが出たところで、それは王命と言うことになってしまう。エレナにはそんな事を考えて欲しくないし、それで断れないようにした状態で迫りたくなかったからね」
確かに王命とあらば私の気持ちは関係なくなる、今回の機会のように話しをする必要すらないままに婚約者として決定されていたでしょう、そんな選択にしたくなかったとその想いは強く伝わってきていた。
「それでも私は……」
リュシアン王太子殿下は私の言葉を遮るようにして隣に立ち、片膝をつきながら私の手をもう一度優しく握りながら優しい眼差しを見上げるようにして向け、そっと口を開く。
「何度だって君に伝えよう、始まりは命を救われたことに対する恩かも知れない。でもこうして再び救われたこと、そしてあの日の君にも、今の君にも運命を感じている」
それ以上は止めて欲しい、私が分からなくなってくる。
「一目惚れだったとしても、今の私ははっきりと伝える事が出来る。エレナが好きだと」
「それ以上は……」
「挨拶の所作一つにしても美しく、戦っている姿も美しい。私はエレナを笑顔にするためにここにいるんだと思わせてくれる、そう信じていたいんだ」
未だかつてこんな気持ちを向けられたこともなければ、私の顔がここまで熱くなった事は無い。今の顔をリュシアン王太子殿下に見られたくないと、その一心で顔を覆うとしたがその手は簡単に振りほどけなかった、優しく微笑みかけるその笑顔に逃れられなくなっていた。
「駄目だよ、もっとエレナの表情を見して欲しい」
「駄目ですリュシアン王太子殿下、これ以上見られるのは恥ずかしくてですね、なんと言って良いのか、何をしていいのか、何が起こっているのか」
自分でも驚くほどの早口で告げる、それが面白かったのかリュシアン王太子殿下は声を上げて笑っていた。今までに何度か私を見ながら笑う者はいたが、この笑顔には嫌な気がしなかった。
「エレナ、返事を聞かせてくれるかい?」
「私は……」
口を開くと部屋の扉がノックされた音が響き渡る。その音のせいか途端に頭の中が真っ白になり、私は驚くようにして「はい大丈夫です」と大きな声を上げる。
部屋の中に入ってきたのはお父様だった、何かを言いたそうな表情を浮かべているが真っ赤になっている私と、膝をつきながらその手を握るリュシアン王太子殿下を交互に見続けていた。
「お、お父様……?」
「おやオーエンス伯爵、何用かな?」
「これは失礼しました、お話が終えられたのかと思い」
「見ての通り返事待ちさ……ねぇ、エレナ?」
「へっ?」
その言葉に思い出す、私は婚約者として今求婚されていてその返事をする直前だった事に。そうして二人の視線が一気に私に注がれる、これ以上は私も腹を括らないといけない。言葉としては同じでも、この話し合いが始まる前と今とでは意味合いが違う。
「リュシアン王太子殿下、私はこのお話をお受けさせて頂きます」
「そうか、ありがとう。これから宜しく」
そう言いながら立ち上がりお父様の下へと歩いていった、二人はこちらに聞こえないほどの声で言葉を交わしお父様はもう一度部屋を後にした。私は先ほどと同じくしてリュシアン王太子殿下と二人部屋に残る。
「リュシアン王太……「駄目だよエレナ、私のことはリュシアンと呼んで欲しいな」
「いや、そんな急に…いくら婚約者としても」
「エ〜レ〜ナ〜?」
私はその圧に耐えきれず小さな声で「リュシアン」と呟いたが、聞こえてないよと言わんばかりに耳に手を当ててこちらに近づいてきた。
「リュシアン……様…」
「ふふっ、はははははっ、様は外して欲しいところだけど今は我慢しておこう。そんな顔で呼ばれたらこれ以上は言えないよ」
「えっ、はっ?」
私には今の自分がどんな顔をしているのか分からないが幸せな気持ちを抱いていることは分かる、この部屋にはリュシアン様の笑い声が響き、顔から火が出るほど熱くなっている私だけ。
これからどんな生活が待っているかは今はまだ想像出来ないが、リュシアン様とならどんな事でも乗り越えられそう、そんな気がするのは私だけでしようか。ねぇ、リュシアン様。
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