35.五日目 / シュヴァルツ・リッター
ラケータは本当に降ってこなくなった。……品切れ? 信じられないけど、落ちてこないならそれでいい。
今日の任務は地上攻撃だ。戦闘機の下に爆弾を括り付けて、敵地上部隊に投下する。襲撃機部隊だけじゃ人手不足になるくらいに、敵が押し寄せていた。
各地に分散して攻撃をすることで、敵の防衛網を混乱させることが目的らしい。だから被害は二の次で、「同時に攻撃された」というイメージを植え付けるための作戦だという。
敵陣深くまで行って爆弾を落とすだけの、ちょっと危険だけど簡単なお仕事だ。
『地上攻撃なんて久しぶりですね。航空学校の時以来ですよ』
『アタシは初めてだな。一応やり方は知ってるが……本当に爆発しねえんだよな?』
積んでいる爆弾は着弾と共に爆発するものではなく、地面に接触してから何秒か経過してから炸裂する設定になっていた。そうしておけば、低空で水平飛行をしながら投下するだけで目的は達成できる。
まあ、そうわかっていても地上に爆弾を落とすのは怖い。もし信管の設定がうまく出来てなかったら、絶対に爆発に巻き込まれるからね。
『しっかりやってれば大丈夫ですよ。確認しましたか?』
『一応な。専門外だから本当にそうなってるかはわかんなかったけどよ』
『訓練の時にも不発はありましたが暴発はありませんでした。我が国の兵器は人命第一に考えられていますから、平気ですよ』
『……そうかぁ、少尉たちの世代はそう思うのか。ちょっと前の戦闘機も爆撃機も酷いものだったんだぜ……。だからイマイチ信用ならねえな』
昨日と同じように、今日も木の上ギリギリを飛んでいる。出発したのは昼過ぎで、帰り際にはちょうど日が暮れる頃になる。私たちが帰る先は西なので、うまく行けば太陽で私たちの姿は隠されるのだ。
上空で警戒飛行をする時にはあんまり時間を気にしていなかったけど、地上攻撃というのは結構時間が重要なイメージがある。今度襲撃機のパイロットに色々聞いてみよう。ミールとか。
『せっかく楽な任務なんですから、変に緊張してもしょうがないですよ。早く終わらせてミラーナ少佐のとこに行きましょ』
『はあ、そうだな。さっさと終わらせてラーナに会いに行くか。早く脚治んねえかなぁ。少尉と飛ぶのも楽しいけどよ、やっぱりラーナが居ないと寂しいぜ』
『私も同じ気持ちですよ。なんだか心細いです』
ミラーナ少佐が抜けてたった2日なのに、なんだか大事なピースが足りていない気分だった。
第33航空分隊の分隊長はミラーナ少佐なのだから、それもそうか。
◇
敵の基地の防備は薄かった。どうやら航空基地よりも前にある陣地らしく、占領した村を使っている場所のようだ。
パトロール中の敵機に補足されることもなく、盛り土で囲まれた高射砲がいくつかあるだけでそれほど危険はない。
『誰かの奪われた故郷を攻撃するってのも気が引けるな』
『ですね。でも戦争ってそういうものですよ』
『戦争の無くなった良い時代に軍人になれたと思ってたんだがなぁ。突入するぞ、爆弾投下準備』
飛行機を水平に保ちながら、高度と速度を維持し続ける。
右手は操縦桿を握って、左手はスロットルから投下スイッチに動かした。
『2、1、投下』
スイッチをカチ、と動かすと機体が軽くなって少しだけ機首が上に上がる。
投下された爆弾が着弾して、地面から鈍い音が鳴り響いた。
速度を緩めずに、基地の上空を通り過ぎるのとほぼ同時に、背後が明るくなった。
『おし、どこに当たったかわかんねえけど敵の被害を報告する必要もないんだよな?』
『確かそうです』
『ま、間違っててもアタシの責任だ。帰ろうぜ』
日の暮れる時が一番暗く、見えにくい。影は夜よりも暗く見える。
もっと上を飛んでいればただのきれいな景色なんだけれど、今回の任務ではそんなことをしたらすごく危険だった。基地への攻撃はすでに通達されているだろう。
敵の迎撃機が来る前に逃げないと。
『敵さんはどのくらいで来るかねぇ』
『速度で言ったら低空なら私たちのほうが早いですよ。このまま飛んでれば余裕ですね』
『へえ、さすが航空学校の卒業生だ、詳しいな。アタシはそこら辺なんとなくでしかわかんねえ』
この辺りは敵の空軍もあまり重要視していないエリアのようで、行きで一個編隊見かけた以外に敵機を見ていない。その敵編隊にも見つかってないので、帰りの気持ちは楽ちんだった。
リーリヤ少佐なんかは両手を操縦桿から話して身振り手振りしながら私に話しかけてくる。……事故るよ?
『夜闇に紛れてすたこらさっさ……侵入されてんのはこっちなのに、なんだか空き巣みてえだなあ』
『不利ですから仕方ないですよ。反攻が始まれば状況も変わるんでしょうけど』
『そうだな。動員も始まったし、雪解け頃にはこっちの番だぜ。首都もこの調子なら抑えられそうだし、なんとか1年以内には終わらせられそうだな』
公然の秘密として、雪解けとともに攻勢が始まると言われている。
動員は2月から始まるし、我が国の
首都へのラケータの爆撃もあるとはいえ、あと一歩で届いていないのが敵の現状。我が国もギリギリではあるものの、首都からの疎開を行えるくらいには余力を残して耐えられている。
もう少しの辛抱だ。
『ですね。早く平和に戻って欲しいですよ……平和になったら軍人辞めようかなぁ』
『なんだ、辞めちまうのか? もったいねえな』
『また戦争が起きてこんな事になったら嫌ですもん』
『二度はねえだろ、こんな戦争。もう一回やるとしたら人間はとんでもない馬鹿だってことの証明だ。魔物の脅威から解放されて200年ちょっと、人間同士で馬鹿やるには早すぎると思うけどな』
……私たちの歴史と比べると、この世界の人類は本当に絶滅寸前で踏ん張っていた。時折大発展したりはするものの、その栄華も長くは持たないで折り悪く魔物が大繁殖したり、『魔女』が暗躍したり――人類同士で戦争する暇なんてほとんどなかった歴史なのだ。
小競り合いはあったものの、どの国も概ね平和だったのはそういった歴史が影響していた。ようやく訪れた太平の世を、みんな満喫していた。
『……まあ、そうですね。――ん?』
その時、甲高い音が聞こえた。
空を切り裂く翼の音。
『どうかしたか?』
『音……聞こえませんか?』
『音? ……聞こえちまったよクソ、少尉、敵の新型機の音だ』
シュヴァルベだ。
気付くと同時に、割り込んでくる無線があった。
《あらぁこんな所に評共の兎がどうしているのかしらね?》
声が耳元から響いた。
『おい少尉、前に襲撃してきたエースか?』
『違います。エリカだ……『黒騎士』です! 戦闘機のエースです、逃げましょう!』
今はエリカに返事をしている余裕なんて無い。まだ気付かれていませんように、そう祈ってスロットルを更に押し込んだ。緊急出力だ。
進む方向の太陽はまだ落ちきっていなかった。けど、背後を振り向くと夜の青が空に広がっていた。
そして、その中に一際黒いものが飛んでいた。
……真っ黒な
《そういえばハンナが言っていたわねあそこの兎狩りは楽しいって》
私たちに気が付いているのかいないのか、エリカは喋り続けている。
『おい、アイツなんで攻撃してこないんだ!?』
『わかりません! 私だって気が付いたら真っ先に来るでしょうし……ブラフかも』
そうであってくれ。
けど、現実は非情だ――ジェット機に特有のエンジン音がぐんぐんと近付いてきて、私たちの真上にまでやって来た。
『来やがった。どうなる……?』
『わかりません。……回避の準備だけしておきましょう』
緊張の瞬間は一瞬で終わる。
エリカが動き始めた。
《でも私がやりたいのは戦いよ――逃げないで頂戴兎さん!》
ぐるんと上下を反転させて、私たちに向かってきながら機関砲を放ってきた――回避!
少佐と私は左右に分かれてなんとか避けた。
『やっぱり気付いてやがった! ……クソッ、おい少尉! 勝てると思うか?』
この間のハンナさんは基地攻撃を終わらせてからの戦いだった。ハンナさんにとっては燃料も弾薬もギリギリの戦いだったので、私が結構有利だったから、なんとか勝負になっていた。
けど――今回のエリカは違う。ついさっき基地から迎撃のために上がってきた、万全の状態のエースだ。
立場が逆転していた。……勝てない。
『正直、難しいですっ!』
『そうか。……よし!』
エリカは徹底した一撃離脱を行うつもりらしい。攻撃を避けられたと見るやいなや、速度を保ったまま上空へと飛んでいった。
『少尉、今までに何機撃墜した?』
『もう数えてません。けど、たぶん、20機くらいです』
『だよなぁ。アタシはようやくエースって所だ』
『……何が言いたいんですか?』
黒いシュヴァルベは少佐へと攻撃の目標を決めて、一気に加速していく。
少佐は螺旋を描くように機体を操って、エリカの後ろに付いて射撃を行った。
しかし、速度の差が圧倒的だった。弾は何も居ない場所を通過していった。
『単純な算数だ。今少尉を失うのは損失がデカすぎる。アタシが相手をするから、少尉は逃げてくれ』
『リーリヤ少佐!? 駄目です、生き延びるって約束したじゃないですか!』
『死ぬつもりはねえよ、勝手に殺すな!』
リーリヤ少佐が言ったのは、自身を犠牲にして私を助ける提案だった。
……そんなの、許せるはずがない。それに、ミラーナ少佐だって待っているんだ。ここで散るなんて絶対に駄目だ!
私が息を吸い込むと同時に、少佐が無線越しに叫んできた。
『何も言うな少尉! 少尉は優しいからな、言いたいことがあるのはわかるがアタシを信じろ! けど、もしアタシが帰ってこなかったらラーナには伝えといてくれ』
少し声を震わせて、リーリヤ少佐は言う。
『――「別のヤツに振り向くな」って! アタシは嫉妬深いんだ!』
『……了解です。けど、そんな恥ずかしいセリフ私は言いたくないです。その言葉は自分で伝えてくださいね!』
『ああ、その気だ。さてと、じゃあな
通信機から特有のノイズが聞こえる――出力を最大にして、強引に割り込んでくる時の音だった。
ノイズの後に聞こえるのは覚悟の声。
《オイ『黒騎士』! アタシと一騎討ちだ! 正々堂々タイマンしようや!》
私は西に向かって加速した。
リーリヤ少佐の機影が、少しずつ小さくなっていく。
《あら評共の軍人の割に芯のある人間ね。いいわよ気に入ったわ! 僚機さんはどうするのかしら?》
《アイツはまだまだ弱っちいからな。未来があるから死なすには惜しいんだよ》
涙は流さない。だって、リーリヤ少佐は帰って来るから。
それにエリカもなんだかんだで甘い。……きっと、ぼろぼろにはなるだろうけど、今夜には帰ってこれる。
《優しいのねますます気に入ったわ。約束してあげる。貴女が逃げない限り、あの子には手を出さないわ》
《へ、感謝するぜ》
《名前は?》
ふう、と大きく息を吐いたのが聞こえた。
声を震わせながらも気丈に振る舞っていたリーリヤ少佐の声に、確固たる意志が宿った。
《リーリヤだ。リーリヤ・ウラジーミロヴナ・マルメラードワ。少佐。たぶんエース。お前は?》
《エリカよ。『
《やる前から自信満々だな。良い気になってる所悪いが、アタシは囮のつもりじゃねえ。――お前を堕とすつもりだ。覚悟しとけ……》
私の機体が戦闘空域を離脱して、2人の無線は聞こえなくなった。
背後を振り向きたい衝動と、今すぐに戻って加勢したい衝動に襲われるけど、唇を噛んでリーリヤ少佐を信じて、私は基地へと逃げた。
たった一人の帰り道は、鉄のような味がした。
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