また君に会うための春が来て
藤倉崇晃
プロローグ
第1話 巻き戻し
2023年11月1日。
瀟洒な建物が立ち並ぶ。東京近郊の長空市は閑静な住宅街だ。2階建ての神楽家は長空市内にある一軒家だ。
神楽りおは、進学校・長空北高校の3年生。大きな丸眼鏡と肩にかからないショートヘアで、学校からも信頼のある委員長風の生徒だ。りおの親は、りおは、来春には国立大学か都内有名私立大学に進学するものと思っている。しかし、りおは、プレッシャーに耐えかねて、子どもの頃から夢だった「作家になる」という情熱に逃避していたのだった。
高校3年生に上がると受験勉強が本格化
春が過ぎ
夏が来て
夏休みもあっという間に終わった
成績が思うようにあがらず
そして、秋になる直前に「作家になりたい」という気持ちのほうが爆発した。
受験勉強のストレスに屈したと言えばその通りだ。以来、りおは親の目を盗んで小説を書いている。もともとの計画では大学生小説家としてプロデビューする予定だった。それを、受験勉強が辛いため「最短ルート」に切り替えて目指したのだった。りおは受験勉強をしている体裁で二階の自室に籠ると、恋愛小説を書いている。毎日17:30に母親が差し入れにコーヒーを持って来るから、その時だけ受験勉強をしているのだ。
「お母さん、今日もコーヒーを持ってきてくれてありがとう」
りおは必ずお礼を言う。
「大学に入るのはうんと難しいから仕方ないわよ。りおならできるなんて決めつけても辛いでしょう」
と、母親は言うのだった。
2023年11月29日。
この日遂に恋愛小説を書き上げたりおは、インターネットの投稿サイトに投稿した。いきなり出版社に企画の持ち込みをする度胸は無かったし、応募しようと目を付けていた小説のコンクールは来年5月の募集だった。
りおは、前哨戦と思った。おそらく1000人くらいが読んでくれる。レビューも100件くらい。受賞歴のあるプロからアドバイスを貰えるに違いないと。
インターネットで有名になったら、それを踏み台にして来年5月の小説コンクールに応募する。大学に進学せず一直線に小説家になるのだ。高校卒業後だから、その前に親を説得しないといけない。インターネット上で評価されて自信と勇気と根拠を持てた状態でなら、親もこの道を承諾するだろう。これが新しい「最短ルート」の計画だった。
2023年12月6日。
しかし現実は残酷だった。読者は17名。レビューは1件だけ。5つまでつけられる星を4つ貰えた。現実は圧倒的に厳しく、評価は低い。実は投稿翌日には薄々感づいていた。この日になって漸く現実を受け入れたのだった。
りおは、自室のパソコンの前で突っ伏していた。勉強の事、学校の事、小説の事、様々に頭を巡った。そして1階にいる母親のもとへ階段を下りた。
いつもと変わらない、何も知らない母親に申し訳ない気持ちもあった。
「お母さん、コンビニに行ってくる」
母親は
「そう?行ってらっしゃい!」
と言った。
りおが玄関を出ると、相変わらず瀟洒な住宅街が顔色を変えずに建っている。1か月前と何も変わらない閑静な住宅街。りおは「近所のコンビニに行く」と言ったものの、自転車で駅前の本屋まで行った。
りおは、本屋では、なんとなく受験参考書を眺めた。
「逃避にすぎない動機だから、いけなかった」
りおは、一冊も買わず本屋を出た。自転車置き場を素通りして、駅前大通りに出た。そして数十メートル先の『ゴショガワラ』という交差点まで歩いた。
薄暮れの街中でゴォッと車が通る音が聞こえてくる。
「神様。私は小説家のほうを選んだけれど、中途半端では上手くいかないことがわかりました」
そして、りおは、
「それじゃあ今回も!神様!お願いします!」
と、言った。
りおは、そう言って交差点で手頃な大型車両が通るのを待った。
…ゴォッ!
ズァッ…!
車の通り音が轟くゴショガワラ交差点。
「ドキドキするなぁ。これから神様が高2の春に連れてってくれる」
りおの独り言が多くなり、自然と周囲の人混みが、りおから離れていった。信号は赤と青を繰り返し、人混みは入れ替わるけれど、「変な女の子がいる」という空気が充満しているかのように、りおの周囲に人がいない。
しばらくして12トントラックが交差点に進入してきた。音が轟く交差点。直進だ。スピードも出ている。りおは「よし!」と思った。そして交差点の車道にタイミングよく飛び出して、12トントラックに跳ねられた。
ドカンと大きな音がして、ゴム毬のようにはじけ飛んだ。今までの記憶が走馬灯のように蘇り、痛みも凄まじいが、どちらかと言うと身体の感覚が朦朧としている。空中を飛び、薄れゆく意識の中で、今回の自分の行いを深く後悔した。りおの感覚は、地面に叩きつけられることはなく、真っ白な光に包まれていった。
りおは、このように知っていた。
「私がゴショガワラ交差点で大型車両に跳ねられると、神様が私を高2の春に連れていってくれる」
2022年4月8日。
りおが目を覚ますと、自宅・自室のベッドだった。りおは1階の洗面台で顔を洗い、歯を磨いた。肩に届かないショートヘアを櫛でとかし、大きな丸眼鏡をかけた。
「また神様を頼って時間を巻き戻した?」
りおは、高3の秋から受験勉強を投げ出していたことは、全て忘れていた。
りおは、基本的に2022年4月8日以降の記憶を『神様を頼った』場合は忘れる。むしろ、唯一『神様を頼った』という既成事実だけ覚えている。
「おそらく受験に失敗したのだろう」
「志望校に落ちて『神様を頼った』のだな?」
と、りおは思った。
新学期。長空北高校へ登校する道。桜並木が閑静な住宅街に咲き誇る。自転車で学校に行くと、りおが『神様を頼った』ことすら知る由もない生徒達が、真実を言えば、本当は何度目かわからない新学期に胸をときめかせていた。
「りお!またよろしくな!」
気さくに話しかけてきた生徒が、新2年生の横山みずき。
「神楽さ~ん。同じクラスで本当によかった~。またテスト前に教えて欲しいな~」
勉強を教えて欲しい生徒が、同じく新2年生の田原えみか。
りおは、
「…2年生になったし、ガリベンする。いい大学に行きたいし」
と言った。
みずきは、
「ありゃ!なんかクールになっちゃってんな!」
と言った。
えみかは、
「勉強は大事だものね~。仕方がないよ~」
と言った。
すると、1年生の頃に同じクラスだった男子生徒・男子バレー部の前田よしとが話しかけてきた。
「横山!神楽!田原も!また~よろしく!」
「それでさ!今年の新1年生に元芸能人がいるんだって!子役で有名だった『浦川辺あや』だよ!俺らが小学生の頃CM出てた子!いま正門のところでスゴイ人だかりになってるから、一緒に見に行かないか?」
みずきは、
「芸能人?『うらかわべ』って微妙に人気だったけど本当か?見に行こうか?」
と言う。
えみかは、
「前田くん、馴れ馴れしいけど、いいひとだよね。なんでも教えてくれる」
と言う。
りおは、とても厳かな表情で、
「見に行く」
と言った。
委員長風の優等生にしては珍しく野次馬。結果、四人で見に行くことになった。中庭の桜も長空北高校へ入学以来、二度目。正門の人だかりに混じって、四人は『浦川辺あや』をひと目見ようとした。正門の外通りに黒い車。立派な黒いメルセデスベンツだ。みずきは背伸びをして、目線の先に車を見つけて「すごいな!あの車に乗って来たんだな!」と言う。
えみかは、背伸びをしても前が見えないようだ。
よしとは、浦川辺あやが見えたらしく「やっぱ!あんな感じか!」と言った。
長い金髪のロングヘアに、東京都出身ながら沖縄風ボーカリストのような顔立ちの完全なるギャルだった。
しばらくして教職員らが駆けつけて、人だかりに注意を促し始めた。浦川辺あやはようやく前に進むことができた。
教職員らは、
「一年生はこれから入学式だから、邪魔になるようなことをするんじゃない。行事が遅れるだろう」
と言った。
人だかりの生徒達は、教職員らに言われ、自分達の教室に戻って行く。
「浦川辺さんも、今日はお母さんも入学式に出席する関係で送迎車両があったけれど。通学は公共交通機関か自転車、あるいは徒歩だからね」
「はい!わかりました、すみません!」
浦川辺あやは、ハキハキとした、よく通る声で言った。そして金髪ロングヘアについては一切注意がなかった。
人だかりが微妙にはけて、浦川辺あやの姿が、りお、みずき、えみかにもはっきりと見えた。
えみかは、
「これから同じ学校の生徒だから~。芸能人だと思わずに接してあげなきゃだめかな~」
と言う。
みずきは、
「今じゃ全然テレビ出てないよな!背っ高っ!」
と言う。
みずきの声が聴こえたのか、浦川辺あやがキッと、りお達の方を見たのだった。
あやの目と、りおの目が合った。
桜の花が散るのをやめたような、一瞬の間があった。
すると、あやが、まっすぐに、りおを目掛けて歩いてきた。
りおは、なんとなく、動じずに立っていた。
あやは、りおの目の前で立ち止まり、
「先輩!芸能界戻る気ないんで、普通がいいです!」
と、何故か、りおに大声で言った。りお達は唖然として、「は、はぁ」という空気になった。周りの生徒達も「なんだろうな」という空気だった。
りおは、
「はじめまして、私は神楽りお、ジロジロ見てゴメンね、浦川辺さん」
と言った。
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