第23話 家族……ナナ、家族なのです?
「そういえばカイル、あの商人の側にいた男のひとりに殴られてたもんね」
実にあっさりとサレッタが言った。
「見てたのか?」
「公園でカイルに助けを求めようと見たら、丁度倒れるところだったの。頭にきて全力で向かっていったんだけど、さすがに多勢に無勢でどうしようもなかったわ」
ナナとサレッタを襲ったのも、エルローの側近だったという。荒事になれているようで、冒険者のサレッタを苦もなく拘束した。
サレッタを人質にとられたナナも抵抗できなくなり、公園の外で待機していた馬車へ乗せられた。向かった先が、エルローの屋敷だった。
最初は地下に連行され、牢屋みたいな場所に入れられた。そこへエルロー本人がやってきて、自分のために働くなら解放してやると言ってきた。
サレッタの話を聞くたびに、怒りがこみあげてくる。逃げる前に、数発はエルローを殴っておくべきだったと後悔する。
「私、カイルが心配だったから、適当に従うふりをして、まず地下牢を出ようと思ったの。それでナナちゃんにも、言うとおりにしてってお願いしたのよ」
サレッタの話は続く。
「地下牢を出された時は後ろ手に手錠をされてたの。でもナナちゃんが機転を利かせてくれたわ。手を拘束されてると火が吐けないと言って手錠を外させ、その次に地下は寒いから嫌だと言って、エルローの私室へ案内させたの。エルローはナナちゃんを見世物にしたがってたから、傷つけるようなことはしなかった」
ナナの誘拐目的は、カイルの予想通りだった。となるとサレッタも連れていったのは世話をさせると同時に、人質にするためだろう。
「火を吐いてみせろと言われたナナちゃんはにこにこ笑顔で頷き、ピンポイントでエルローの髪の毛を狙ったの。さすがにカツラだとは思ってなかったみたいだけど」
カツラを燃やされ、見事なつるっぱげが露わになったらしいエルローは大慌て。禿げ頭を急いで隠そうとするあまり、手錠の鍵を落とした。見るなと側近に叫んで、代わりのカツラを用意している間に、ナナは鍵を拾ってサレッタの手錠を外した。その後、それまでの怒りをぶつけるように盛大に火を吐いた。
「燃え盛る部屋の中で慌てるエルローたちを放置して、私とナナちゃんは部屋を出たの。屋敷は広い上に、用心棒らしき男たちもいた。どうしようか悩んでた時に、カイルの声が聞こえたの。まさか、そこにエルローもいるとは思わなかったけど」
自分の屋敷なのだから、エルローがサレッタよりも内部の構造を理解しているのは当たり前だ。先に脱出できても不思議はない。
とにもかくにも外に出たサレッタはカイルと合流し、ナナの力を借りて包囲網を突破した。追手がやってくる気配はない。
エルローは怒り狂っているだろうが、衛兵たちが夜に町を出て追撃するのを嫌っているのかもしれない。いかにエルローが町の有力者といえど、彼らの最大の任務はネリュージュの警護だ。
「このまま追手がこなければ楽なんだがな。ついでに冒険者ギルドを除名されてないとありがたい」
そうすれば冒険者として依頼を受け、金を稼げる。拠点とする町が変わるだけで、生活ぶりに大きな変化はないだろう。それはカイルにとって、とても重要だった。
だが、いまだ頭の上に乗っている少女には違ったらしい。撫でまわしていた空瓶の底で、カイルの後頭部の怪我していない部分をグリグリしてくる。
「どうしてこの瓶の中には、甘くて美味しい水あめが入っていないのです?」
口調はいつもと同じだが、普段にはない重低音が効いている。
「はっはっは。そんなの、ナナが残さず食べたからに決まってるじゃないか。もう忘れたのか? 駄目だぞ。それじゃ、立派などらごんに――うごっ」
片手で瓶を持っていたナナが、もう片方の手でカイルの頬をつねってきた。子供の力といえど、全力でつねられればなかなか痛い。
「嘘を言ったのはこの口なのです? そんな不愉快な口はいらないのです。取って、燃やして、捨ててやるのです」
顔を上げて、ナナの目を見る。本気だ。すぐにカイルは理解した。
「お、落ち着けよ。あの時点では、本気で水あめをご馳走するつもりだったんだ。財布に金は入ってるしな。だが、町を脱出した今では、買いに戻れない。お願いだから少しの間、我慢してくれ」
「無理なのです。人間の体に血が流れているように、ナナの体には水あめが流れているのです。早く口から補給しないと、死んでしまうのです!」
「大変! どうしよう、カイル。すぐにナナちゃんへ水あめを与えないと!」
「落ち着け、サレッタ。どう考えても子供の嘘だろうが。大体、初めて水あめを食べるまで、そんなことは言ってなかっただろ」
冷静にツッコミを入れたカイルの右頬がさらに引っ張られる。言葉はなくとも、余計な発言はするなと叱られているのがわかる。
首を振って頬をつねる指を払うと、改めてカイルは頭上のナナを見た。
「本当に水あめが体内を流れてるなら、それを舐めればいいだろ」
「カイルはたわけ者なのです。血が足りなくなった人間が、自らを傷つけて、その血を舐めるのです? 少し考えれば、狂った提案だと理解できるのです」
「言われてみればそのとおりだな。しかし、ナナはやたら人間についての知識があるよな。ドラゴンの里にいたら、人間の肉体構造なんて知らなくて当たり前なんじゃないのか?」
「前にも言ったのです。じーじに、人間のことを勉強させられたのです。勉強は嫌いでも将来、人間を支配下に収めた時のためにと頑張ったのです」
えっへんと胸を張ったのも束の間、すぐにナナは本来の問題を思い出したように、カイルの頬を再び引っ張りだす。
「話題を逸らすのは駄目なのです。大事なのは、偉大などらごんたるナナに献上する水あめがどこにあるかなのです」
「隠しても仕方ないので、率直に言おう。どこにもない」
いっそ堂々と白状してみたのだが、案の定、納得はしてもらえなかった。
「カイルは処刑希望みたいなのです。いい度胸なのです。即実行してやるのです」
「待て! 本当に火を吐こうとするんじゃない! いいのか? 俺を処刑したら、水あめが食べられなくなるぞ。きっと、おかーさんも怒るぞ!」
「むう……カイルの命はどうでもいいのですが、おかーさんに怒られるのは困るのです」
「そうだろ? だから少し我慢してくれ。これから行く先々で水あめが売っていたら、ちゃんと買ってやる」
「……本当なのです?」
「ああ、本当だ。家族に嘘をつくわけないだろ」
カイルがそう言った瞬間、肩車をしているナナの体がピクンと揺れた。
「家族……ナナ、家族なのです?」
「当たり前だろ。これから一緒に生活してくんだ。それにナナは、サレッタをおかーさんと呼んでるじゃないか」
ナナがチラリと、横を歩くサレッタに視線を向ける。
サレッタは笑顔で頷き、ナナが家族だというカイルに同意する。
「えへへ、家族……ナナ、家族なのです。えへへ」
水あめのない不機嫌はどこへやら。途端に幸せそうな顔になる。
それを見ていた、カイルも幸せな気分を覚えるから不思議だった。
出会って数日も経過していないのに、側にいるのが当たり前になっている。
自身をどらごんと名乗る着ぐるみの少女はどこまでも不思議で、どこまでも愛らしい。
火を吐けると知った時点で、もしかしたら行動を別にすべきだったのかもしれない。
自分たちの生活を考えるなら、相手の事を考えずにエルローへ売り渡すべきだったのかもしれない。
そうすれば追われるようにネリュージュを出ることはなかったし、冒険者を続けられるかどうかの瀬戸際まで追いつめられたりもしなかった。
損のない選択に思えるが、その場合はナナの心からの笑顔は見られなかった。どちらがいいかなんて比べるまでもない。
「ナナが家族だから、カイルは助けに来たのです? おかーさんのついでではないのです?」
「ついでなんかじゃないさ。サレッタもナナも大切な家族だ。二人とも助けるつもりだった。もっとも、今回は逆に助けられてしまったけどな」
自虐的な笑みを浮かべたカイルの後頭部に、予期していなかった温もりが伝わってくる。
見れば、ナナが抱きつくような形でカイルの頭に覆い被さっていた。
「ナナは偉大などらごんなので、心配無用なのです。逆にカイルが頼りないので、助けてあげるのです。家族だから……当然なのです」
「そうか。ありがとうな」
「どういたしまして、なのです。ついでに特別中の特別で、カイルをおとーさんと呼んであげるのです」
「うふふ。よかったじゃない、カイル。いいえ、おとーさん」
サレッタにからかわれ、カイルの顔が真っ赤になる。
「やれやれ。これじゃ、今度は俺が茹蛸だとからかわれるな」
「大丈夫です。おとーさんは、まだハゲてないのです」
「それにもしハゲても、私とナナちゃんで髪の毛を作ってあげるわよ。カツラを買うお金はないから、そこら辺に生えてる雑草でね」
「勘弁してくれ」
三人で笑い合いながら、夜の草原を歩く。整備された道では、追手がいた場合に見つかる確率が上昇する。少しでも避けるため、あえて正規のとは違うルートを選んでいた。
よほどカイルの肩車を気に入ったのか、ナナは離れようとしない。相変わらず水あめの空瓶を片手に持ち、楽しそうに隣を歩くサレッタと会話する。
そのうちに夜はさらに深まり、ナナが眠そうな気配を見せる。欠伸をしたのをきっかけに、カイルはここでテントを張ろうと提案する。
「それがいいわね。朝まで休んで、新しい町を目指しましょ」
ナナを地面に下ろし、カイルが中心になってテントを作る。
夜になると肌寒さが増すので、昨夜と同様にテントで眠る前に焚き火で温まる。
「こんなことなら、携帯食を買っておくんだったな」
カイルが言う。金銭的にゆとりが出たことで回復ポーション等のアイテムは購入したが、食料はまだだった。
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