着ぐるみどらごん&ないと
桐条 京介
第1話 どらごんなのです
遥か昔から伝わる最強の魔獣ドラゴン。
それが今、ひとりの男――カイル・ウィンズの目の前にいた。
「もう一度……自己紹介をしてくれるか?」
カイルの声が震える。
無理もない。自らをドラゴンと呼ぶ存在と、今夜の寝床に決めた古ぼけた宿屋の一室で対面しているのだ。
「ですから、どらごんなのです」
やたらはきはきした声で、自らをドラゴンと名乗る少女が言葉を発した。
「そうか、わかった。何の遊びかは知らないが、早く家に帰るんだ。もう夜だからな。親御さんも心配してるだろう」
軽くため息をつき、カイルは言った。
目の前にいるドラゴン――正確には、ドラゴンと思われる着ぐるみを身に纏っている少女に。
ドラゴンと聞けば誰もが震えあがる存在だが、自らをそうだと言うのはどう見ても幼い少女だ。本気でドラゴンだと思う人間はいないだろう。
カイルが最初に目を丸くしたのも、少女の外見と自己紹介が異質だったせいだ。
冷静になってみれば、よく考えるまでもない。カイルはからかわれたのだ。
冒険者の仕事で町に戻っていなかった最近のうちに、魔獣の着ぐるみを身に纏って遊ぶのが、子供たちの間で流行りだしたのだろう。
どこの誰が仕掛けた流行かは知らないが、上手く考えたものだなと率直にカイルは思った。
今も昔も、大きな流行は子供たちが作る。可愛い子供たちに、両親が競うように買い与えるからだ。そのため、子供に人気のアイテムを市場に出せれば大儲けできる。商人の技能や知識のない、戦士のカイルには無理な相談だが。
はあ、とカイルはさらに大きなため息を漏らした。
冒険者ギルドで請け負った仕事を終え、報酬を手に、久しぶりにまとな食事を味わい、宿でゆっくり寝ようとした矢先に今回の騒動が勃発した。
顔以外の全身を覆う着ぐるみに包まれた少女が悪いわけではない。ここまで連れてきたカイルの相棒――幼馴染の女性に原因がある。
「で、何でお前はこの子をここに連れてきたんだ?」
カイルが視線を少女から相棒に向ける。短く揃えた赤色の髪をかすかに揺らし、にっこりと笑う彼女に悪気はまるで感じられない。
サレッタ・ミリアル。それがカイルの相棒であり、幼馴染でもある女性の名前だった。
年齢はカイルと同じで十六。髪の色と同じ透けるような赤色の瞳は、本人が一番のチャームポイントだと言うだけあって、上質な宝石を連想させるような美しさを誇る。
控えめとはいえない性格のサレッタだけに、賞賛されれば鼻高々にドヤ顔を披露する。わかっているからこそ、カイルは実際に綺麗だと思っていても、彼女の瞳を褒めたことはなかった。
同じ村で生まれ育ち、家も近い。男女の違いこそあれ、仲良くなる条件は揃っていた。
サレッタが少女らしい遊びを好んでいれば少しは違ったかもしれないが、彼女はカイル同様に外で木の棒を持って走り回るのを好んだ。
それでいて世話好き。少し悪めの言い方をすれば、度を越えたまではいかなくとも、かなりのお節介なのである。
だからこそ、夜にひとりで寂しそうだったという理由で、ドラゴンの着ぐるみ姿の少女を、泊まる予定の宿屋の部屋へ連れてきた。
カイルはサレッタの行動を理解できず、俯いて首を左右に振る。
険悪ではないが、困ったような空気になりかけているのに、サレッタだけでなく着ぐるみ少女も申し訳なさそうにしない。直立不動で、じーっとカイルを見てくる。
値踏みされるような視線に気持ち悪さを覚えるも、こっち見んなとは言えないので放置する。それに今、考えるべき問題はそこじゃない。
先ほどの質問の答えを待っていると、サレッタは言ったでしょとばかりに同じ理由を説明する。名前も知らないドラゴンの着ぐるみを身に纏った少女が、夜の町角でひとり寂しそうにしていたからだと。
「かわいそうじゃない。カイルには人の心がないの? 冒険者として働くうちに慈悲の心も失ってしまったなんて、お姉さんは悲しいわ!」
「お姉さんと言ったって、一週間かそこら、サレッタが俺より早く生まれただけだろ」
「十日よ。正確に覚えておいてよね。それだけあると、草木も一人前に成長できるんだから!」
真剣な顔で何を言ってるんだと、心の中でカイルは頭を抱える。昔からだが、やはりサレッタの思考は理解できそうもない。
樹木はもちろんだが、雑草だって十日で十分に成長できるとは思えない。そもそも草なのだから、一人前という表現はおかしい。
ツッコミどころを上げればキリがいないが、ひとつひとつ指摘したところで、男が細かいことを気にしない、とサレッタに笑われて終わりだ。カイルが神経質な人間だったら、三日も持たずにサレッタから逃げていたに違いない。
強い風が吹くだけで揺れそうな、木材のみでできた二階建てのボロ宿屋の一室で、空気が重くなるほどのため息をカイルがつく。これで何度目かは、数えたくもなかった。
「それじゃ、そのお姉さんに新しい質問だ。いきなり娘がいなくなったご両親はどう思う? その娘を連れている俺たちは何に見えると思う?」
俯き加減で眉間に軽く人差し指をそえ、カイルは新たな質問をした。徒労に終わりそうな嫌な予感を覚えてはいたが、厄介事になる前にサレッタに己の行動の迂闊さを気づかせなければならない。
「それなら大丈夫よ。ご両親はいないって言ってたから。帰る家もないみたいなの。かわいそうよね。ね?」
「どうして、そんなに瞳をキラキラさせてるんだよ。嘘を言ってるだけかもしれないだろ。このくらいの年齢の子供にはよくある話だ。親や兄弟と喧嘩したとかいう理由で、家出をするなんてのはな」
「うわ、暗い。考え方が暗い。根暗冒険者の鑑ね。だからカイルはモテないんだよ」
「そりゃ、どうも。少女を連れてくる誘拐犯より、根暗冒険者という称号の方がずっとマシだ」
誘拐という直接的な単語を、カイルの口から聞いたサレッタがきょとんとする。
ようやく事態を正しく把握してくれたかと、呆れながらもカイルは安堵する。
だが、その判断は間違っていた。直後に愉快そうに笑いだしたサレッタにより、カイルは痛感させられる。
「ちょっと、話が飛躍しすぎでしょ。どこをどうしたら、私がこの子を誘拐したって話になるのよ」
「名前も知らない、どこの子かもわからない少女を、言葉巧みに宿屋へ連れ込んでるからだよ! どこをどうしたら、誘拐以外の結論に行き着くんだよ!」
「それはやましい心を持ってるからよ。綺麗な心の持ち主なら、私がこの子を優しく保護してるようにしか見えないもの」
心の中ではなく、現実世界でカイルは頭を両手で抱えた。駄目だ、話が通じねえという呟きとともに。
右も左もわからなかった一年前とは違い、細々とではあっても冒険者として生活できるようになってきた。
金持ちからすればその日暮らしにも似たみすぼらしい生活かもしれないが、極端に貧しい村で生まれ育ったカイルには、ようやく手に入れた幸せなのだ。
厄介事のせいで、それをすべて放棄せざるを得ない事態になんてなったら、恥も知らずに号泣する自信がある。
「そういう理由で、私はこの子をここに連れてきたの。かわいそうだから、しばらく置いてあげてもいいよね」
当たり前のように言ってきたサレッタに、カイルはふうと軽く息を吐いて、頭を抱えていた両手をサレッタの肩に置いた。顔を上げ、正面から幼馴染の目を見て答える。
「駄目だ。さっさと元の場所に戻してこい」
「ええーっ!? どうしてそんなに冷酷な決断ができるのよ。今のカイルは、私が泥だらけの捨て猫を拾ってきた時の母さんにそっくりよ。人でなし!」
サレッタの台詞をまともに捉えると、彼女の母親も人でなしになる。もっとも、本気でそう思っていても驚きはしない。カイルもサレッタも、生まれ故郷では幸せと胸を張って言えるだけの生活ができていなかったのだから。
「ナナはそれで構わないのです。ひとりでも生きていけるのです」
ポツリと、着ぐるみ姿の少女が言った。悲しげな表情はしていない。至極、当たり前のように自身の現状を受け入れているみたいだった。
ナナというのは名前だろうか。着ぐるみ少女の生活環境がどうかは知らないが、よそ者が軽々しく首を突っ込むべきじゃない。
多少はかわいそうだと思うが、カイルたちが手を差し伸べた結果、少女がより不幸になってしまう可能性だってあるのだ。
その点もサレッタには説明しているのだが、どうにも理解してもらえない。カイルが人でなし呼ばわりされて終わりだった。
こうと決めたら曲げない頑固さを持つサレッタは、着ぐるみ少女にすっかり同情している。放っておけば、数日ここに置いておくだけでなく、一緒に連れていきたいと言いかねない勢いだ。
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