おっさんアラフォー王妃になる

桐条 京介

第1話 アラフォー王妃に転生……これって転生になるのか?

「こっち見ないでよ、ゲロ」


 切れ長の目で冷たく見据えられ、嫌悪がたっぷりつまった言葉と、パンプスをはいた足での蹴りを食らう。


 小さなオフィスの古びた椅子から転げ落ち、俺こと下野太郎は毎朝ひとりでモップ掛けをしている床で頬を潰した。


「このパンプス、アンタのせいで汚れてもうはけないじゃん」


 見下ろす女――中島愛理が舌打ちをする。


(だったら蹴らなければいいだろ)


 俺がなにをしたわけでもない。


 ただそこにいるという理由で、毎日甚振られる。


(イケメンではないし、もうアラフォーだけどさ)


 大学を卒業後に今の会社へ就職し、ずっと真面目に頑張ってきた。


 だが当時から知っている社長も専務も止めない。新卒で美しい愛理に気を遣い、俺が虐められているのをニヤニヤ眺めている。


(人生なんてくそったれだ)


 部長で同期の倉橋加奈も、膝丈の制服のスカートから覗かせる長い脚をこれみよがしに組み換え、デスクにひじをついて冷笑する。


「なんの役にもたたない汚物が、いまだわが社にこびりついている。厄介だと思いませんか、社長」


 加奈は三十八になっても、いまだ二十代後半にしか見えない。


 俺なんてしわが増え、頬もたるんできてるってのに。


 世の不平等さを嘆いている間に、加奈は愛想笑いを浮かべて頷く社長に微笑みかけ、立ち上がって愛理と一緒に俺を蹴り始める。


「まさかとは思うけど、蹴られるのを楽しみに出社してるのではないでしょうね」


「もしくは下着を覗けるかもとか思ってたり」


「ありえるわね。ああ、気持ち悪い」


 愛理に言われて、加奈が顔に強い嫌悪を宿らせる。


 俺は両手で頭を守り、身体を丸めているだけだった。


 情けないが、これまでの経験で、なにもしないのが一番だと理解していた。


「情けない男」


 加奈が吐き捨て、愛理は最後にもう一度、俺の背中を蹴って席に戻った。


 俺が失敗をしたわけではなく、単に彼女たちの憂さ晴らしだった。


 むくり起き上がり、無言で書類の作成を続ける。


 横目でチラリと見たホワイトボードには、今月もダントツで最下位の営業成績が書かれていた。 


 このご時世、今の年齢で解雇されたら次の就職先を見つけるのも難しい。


 泣きたいのを堪えて仕事をして、俺は終業時間になると、そそくさと退社する。


 背中に加奈や愛理の嫌味や皮肉が飛んでくるが、無視をした。


(ああ、イライラする)


 速足で夜になりつつある街中を歩き、路地裏に入って適当な壁を叩く。悔しさのあまり、唇を噛み切っていた。


 血の味が口の中に広がる。目には涙がじわじわ溜まる。吠える声が大きくなる。


 体温が上昇し、壁を叩いても痛みを感じなくなり、胸に激痛が走った。


「――ガハッ」


 呼吸が止まり、まばたきも忘れ、脂汗を流して胸を押さえる。


(こんな、終わり、なんて……あんまりだ……)


 壁に触れていた手が滑り、薄暗い路地裏で膝をつく。


 駆け寄ってくる人間は誰もいなかった。


     ※


「いくら王族とはいえ、民が納めた税金を好きに使っていいということにはならぬ!」


 次の瞬間には、俺は赤い絨毯の敷かれた広い部屋で、まるでどこぞの王様みたいな服を着た中年男性に指を差されていた。


(なんだ、これ、なにが起こってるんだ)


 現状を把握できないうちに、横領の罪で投獄すると言われ、鎧を着こんだ屈強な男たちへ地下牢へぶち込まれた。


 ポカンとするだけでなにもできなかった俺は、それから一時間も経っただろうかという頃に、ようやく状況の異常さを察した。


「俺は死んだんじゃ……あれ、何で女の声が……」


 右手を見ると華奢で細い指が目についた。


 衣服はまるで中世ヨーロッパの貴族みたいなドレスを着ており、腰の締めつけがかなりきつい。


「女? 俺、女になってんの?」


 言葉にしてみたが、現実感がまるでない。


 だが石で囲まれた地下牢は肌寒く、ぶるりと震えた身体が紛れもない現実だと通告してくる。


「なんで? いや、なんで?」


 周囲を見渡し、自分の手脚を確認し、正座して首を傾げる。


 まったくもって意味がわからない。


 両手で顔をぺたぺた触ってみるが、やはり自分本来のとは大きく違っていた。


「まさか……転生? もしくは誰かに乗り移った?」


 ひとり言を呟いていると、遠くで薄明りが見える程度の無機質な地下牢に足音が響いた。


 牢の前にやってきたのは、広い部屋で俺を指差していた中年男性だった。


「これでお前も終わりだ、ベアトリーチェ。フフフ、いつも余を睨んでいた顔が、そのように歪むのを見られるとは」


 あっけにとられている俺の表情を、悔しがっていると勘違いしたのか、豪奢な服と白いマントを身に着けている男が楽しそうに嗤う。


「隣国へ嫁いだアレもお前の引き取りは拒否した。頼れる両親も他界した今、お前にはなんの力もない。だが、最後に王族に生まれた身を民のために役立ててもらうぞ」


 わけがわからなさすぎて、なにも言えない俺を見下ろし、調子に乗りまくりの男が目を細めた。


「お前には借金を返済するまで、娼館で働いてもらう。ククク、遠く離れた地で屈辱にまみれながら、病気にでもなって息絶えるがいい」


「なっ……!」


 あまりの仕打ちに声を上げると、名乗りもしない男は上機嫌で高笑いを地下に反響させ、きた時同様にひとりで去っていった。


     ※


 地下室に放り込まれ、風呂にも入らせてもらえずにおよそ一週間が経過した。


 ここがどこかも不明だが、昼食をとるという習慣がないのか、兜で顔を隠した甲冑姿の兵士が朝と夜に食事を運んでくる回数で、何日目なのかを判断していた。


 それ以外にやることはなく、時折身体を動かす以外は、牢の隅で膝を抱えて座っている。


 近くには粗末なベッドがあり、逆側の隅には排泄物を入れる壷がある。中身は一日に一回、兵士が取り換えにくる。


 兜の下でニヤついているのがわかるくらいに視線を感じ、そのたびに俺は羞恥に唇を噛んで顔を背けた。


「くそ、一体どうすればいいんだ……」


 俺が宿ったと思われる女性は、どうやらこの国の王妃らしかった。


 転生もののラノベは嗜んでおり、悪役令嬢ものも読んだ。


「若返るでもなく、同い年の王妃に転生ってありなのかよ。しかも断罪済みで娼館送りを待つだけって……難易度高すぎるだろ」


 考える時間はたっぷりあったので、それなりに頭の中をまとめることはできた。


 王妃でありながら、面会者がひとりもいないことから、どうやらこのベアトリーチェ・シャウル・エンスウィートという王妃様は、転生前の俺と同じく皆のきらわれ者だったようだ。


 小じわが目だってきてもおかしくない年齢なのに、見回りの兵士たちがチラチラ視線を向けてくることから、かなりの美貌の持ち主だと予想できる。


 ドレスに包まれた上半身のふたつのふくらみは豊かで、腰まわりもムチムチしている。娼婦になったら人気が爆発しそうだ。


 おまけにこの体に残っているのか、過去の記憶を断片的にだが思い出すことができる。


 自分で経験した覚えがないので、VRで他人の人生のドキュメント映画を見ているような感じだった。


 今日も暇つぶしをかねた情報収集にいそしんでいると、寝室らしき風景が脳裏によみがえった。


 体の本来の持ち主がベッドであお向けになっており、そこに例の中年男性がおおいかぶさってきて――。


「――おええッ」


 俺は壺に駆け寄って盛大に吐いた。


 地球で名前にちなんだゲロという蔑称をつけられていたが、よもや憑依したと思われる体で実際に吐くことになるとは夢にも思っていなかった。


 しかし、耐性のない人間が、リアリティの高いBLゲームをVRでプレイ中も同然の映像を見せられればこうもなる。


 脳が理解と思考を放棄し、肩で息をしていると頭がクラクラしてきた。


 壁に背中と後頭部を預け、両脚を投げ出す。


 力の入らない体が傾き、半開きの唇が震えた。


(この体の、過去の記憶がとどめになるのか……)


 どうせ一度死んだ身なら、それもいいかもしれないと目を閉じる。


 視界が黒く染まり、けれど意識は沈まずに眩い光を感じた。


 驚いて目を開けると、そこは見慣れた我が家だった。


 築五十年は経過しているオンボロアパートで一K。風呂なしなので家賃は安い。


 そんな家でも住めば都という通り、俺にとっては安らぎの場だった。


「戻って、これたのか……じゃあ、さっきまでのは……夢?」


 なんとなしに呟いてみたが、声は女のままだった。


 ならこれはどういうことなのかと疑問に思っていると、すぐ近くで声がした。


「残念ながられっきとした現実であり、そなたも元に戻ったわけではない」


 宙に浮いているような視界の中、小さなローテーブルの前であぐらをかいている俺が、俺を愉快そうに見上げていた。

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