六十四、論理くん、青白いうなじになる

そんなことがあってから数日後、ある土曜の夜、私は部屋で論理とラインしていた。学校の、他愛もない話をしていたんだけれど、そのうち論理がこんなことを言う。

『あ、そういえば文香、俺明日の日曜にさ、髪切りに行くんだよ』

論理が髪を切る?確かに論理、もう何ヶ月もカットしていない。横や後ろもモサモサに長々と伸びているし、前髪も目元にかかるくらい。私、論理と付き合い始めてから論理髪切るの見たこと、ないかも。

『そか。論理もうずっと髪切ってなかったもんね』

『さすがにこの前、倉橋に呼び出されて説教された。まあ今まで見逃されてきたのが不思議なくらいだな』

月影中は頭髪の校則は厳しい。おかっぱで言うなら、前髪は眉上一センチ、後ろはセーラーの白襟にかかっちゃいけない(もっとも私は誰かさんの好みで、襟足は校則よりずっと短いけど)。でも女子の規制がそんななのに比べて男子は緩やかで、サイドや襟足を長く伸ばして、女の子みたいにしてても何も言われないことが多い。んー、不公平だぞ。論理もその規制の甘さに浴して、前髪もサイドも襟足も伸ばしっぱにしてた。だけどとうとう倉橋先生につかまったみたい。

『そうだよ論理、伸びっぱなしじゃちょっとだらしないよ。しっかり切ってもらおう』

ここまで書いて、ふと指が止まる。月に一度の私のヘアカットには、論理は必ずついてきて、私の後ろでカットを熱く見守っていた。うん、それなら…。私はさらに指を動かした。

『ねえ論理、私、論理がカットされてくの、後ろで見てたい』

『え?文香が俺のカットを?』

『うん。論理いつも私のヘアカット見てるじゃん。たまには逆バージョンもいいでしょ?』

『そうだなあ。ちょっと恥ずかしいけど、いいよ。俺の行ってる理容室、俺の家のすぐ近くなんだ。だから文香、明日の一時に俺の家の前に来て』

『わかった。わぁ、楽しみだなぁ』

こうして私は、論理がきれいになっていく様子を見守ることになった。初めて見る、論理のヘアカット。一体どうなるんだろう。ドキドキして、明日が待ち遠しかった。


次の日の一時すぎ、論理と私は、論理の家から五十メートルも離れていない「上中(かみなか)理容室」という床屋さんの入り口をくぐった。

「いらっしゃい。おや論理くん久しぶり」

そう言って論理を迎えた理容師さんは、年恰好五十歳くらいのおじさんだった。

「こんにちは」

論理が頭を下げると、理容師さんは私のほうを向いて、ニヤリと笑う。

「おや今日は彼女さんも一緒かね。確か文香ちゃんって言ったっけね」

げ。私まだ一言も自己紹介も何もしてないのに。近所の噂って怖いな。論理の家に「悪夢のお泊まり」をしたとき、カレーの材料を買いに行ったお肉屋さんを思い出す。

「はい、そうです」

論理がそう言って苦笑する。

「俺の彼女の池田文香です。今日は俺のカットを後ろで見てたいらしくて」

「そうかいそうかい」

理容師さんがニコニコ。悪い人じゃなさそうだ。

「じゃあ、そこに立って見てくといいよ。彼氏さんがカッコよくなるとこだもんねぇ、見てたいよねぇ」

「は、はい…」

ようやく私はそう声を出す。論理が「お願いします」と言って施術席に座った。理容師さんは論理にサッとガウンがかけると、席の前の壁についたボタンを押す。すると壁が開いて、先髪台が現れた。論理が大きく前にかがみ込み、台に首を出す。理容室じゃ、頭を洗うとき前かがみになるんだ。美容室とは逆だな。

「じゃあ洗ってくよ」

「はい」

理容師さんは手際よく論理の髪を洗っていく。ものの数分で洗い上がり、論理の姿勢がもとに戻される。タオルで水気が拭われ、ざっと櫛が入れられた。

「ずいぶん伸びたね論理くん。スタイルはどうする?前来たときは、前も後ろも揃えたかわいい髪型だったよね」

「そうですね、今度はそれより短めにお願いします。ぐっと刈り上げてください。前髪もずっと軽めにすいていただければと思います」

「はいよ」

理容師さんは論理のオーダーを受けると、電動バリカンを手にして、スイッチを入れた。

「じゃあ下向いて」

「はい」

論理がピッと深くうつむく。きびきびした動作が愛らしい。下を向いた論理の、白いふっくらした頬。萌えるな…。もう裾の髪も十センチくらいまで伸びている。クセが出て波打ってる論理の後ろ髪。あちこちピンピンはねてる。ちょっとモサモサだな。これからどう仕上がるのかな。ドキドキする。そんな私の前で、理容師さんの電動バリカンが、論理の襟足に当たった。ジャーっという音とともに論理の髪が刈られていく。

「わあ…」

私は思わず声を漏らした。真っ黒な髪で覆われた論理のうなじにバリカンが走る。刈られた長い乱れ髪が落ちる。するとそこには、鮮やかに青白い刈り跡。何度もジャーッ、ジャーッとバリカン。ぎゅっとうつむいた論理のうなじが、見る間に青白く変わっていく。男の子の──論理の刈り上げって、こんな風になってたんだ…。論理、変身じゃん。見てるとドキドキしてくる。電動バリカンは、論理の後ろ頭の半分以上を刈り込むだけ刈り、次いでもみ上げからこめかみも青白くする。バリカンが終わったときには、論理は頭の上三分の一に黒髪がちょこんと乗り、あとは真っ青という姿になった。なんか、論理どんぐりみたいでかわいい。胸が熱くなる。こんな論理、初めて見る。

「ねえ論理」

バリカンを櫛と鋏に持ち替えた理容師さんに、チョキチョキと切られている論理のうなじに聞いてみる。

「うん?何」

「論理、髪切るのいつごろ以来なの?」

「そうだなあ。二年になってからは今日が初めてだな。なんか、だらだら伸ばしっぱになっちゃってた」

「道理で…。私、髪切った論理、見たことないかもって思ってたもん」

鏡越しに論理は、ふふふと笑った。

「文香、俺のヘアカット、どうだ?」

論理にそう聞かれた私、興奮していつもの目立つブレスが、一層「すはああああっ」と派手に聞こえる。そして私は早口にこう言った。

「そうだね!なんか、見てると熱くなってきちゃう。ジャーッて刈られたら、論理びっくりするほど変わったもん。変身するとこ見るのって熱い。論理、いつも私のヘアカット、こんな気持ちで見てたんだね!」

「うんうん。文香かわいくなるの見るの、熱いんだよ」

きれいになっていく論理とそう会話する。やがて理容師さんは、長く伸びた論理の前髪に梳き鋏を入れ、ジョキジョキっと何度も勢いよく切る。大量の毛が落ちた。論理が顔を上げると…、前髪がすごく短くなっている!めちゃ変わった。もう別人だよ。

そしてカットが終わる。理容師さんがシャボンを満たした白磁の容器を持ってきた。席が後ろに倒され、論理の顔にシャボンが塗られる。論理の額、眉、頬、口元、顎から耳に至るまで、丁寧に、丁寧に剃刀が当たる。論理、顔じゅうすべすべになるだろうな。羨ましい。美容室じゃ顔剃りやってくれないから。やがて顔剃りが終わり、席が再びもとに戻る。

「よし、じゃあ論理くん、ぐうっと下向いてね」

「はい」

理容師さんの言う通り、論理は上半身を直角に近いくらいまで曲げた。論理の青いうなじが、ほとんど水平になる。理容師さんはそんな論理のうなじにシャボンを塗る。

あ、襟剃りだ。いつも論理、私の襟足がバリカンで剃られるとこ、じっと見つめてくれてるよね。私も論理の襟剃り見れるんだ。嫌だよドキドキするじゃん。

「うん、なら襟剃ってくよ。襟足どんな形がよかったっけ?」

「そうですね、ちょっとラインに丸みを持たせてください」

「了解」

理容師さんはそう言って、まず論理のもみあげの、ずっと上のほうに剃刀を当てた。ジョリっと剃られる。もみあげ、ほとんど無いよ。私も論理に、もみあげそれくらい短くされてるよね。理容師さんは次に、右耳の上あたりに剃刀を持っていく。ジリジリ…とかすかな音がして、論理の耳をくり抜くように、カットライン(っていうか、刈り上げラインかな)が丸く揃えられる。そして襟足。理容師さんの剃刀が慎重に走る。剃られたあとは、ちょっと丸みを帯びたラインが、すごくきれいに整っていた。やがて剃刀は、襟足のいちばん下の生え際に行く。うなじをぎゅっとして、ほとんど水平に伸ばす論理。そのうなじに剃刀が当たる。理容師さんがちょっと指先に力を入れ、論理の生え際をゾリッと剃る。生え際がきっちりと真っ直ぐ揃った。そのあとには、剃り跡の黒い点々が淡く広がる。論理、端整だよ。そうか、この端整さがいいのか。論理が私のおかっぱに萌える気持ちがわかる。

「論理、きれい…。萌えるよ」

「そうか」

突っ伏したままの論理が、くぐもった声で答える。

「確かにかっちり整えてもらうと、気持ちにも張りが出るな」

「うん、そうだよね!」

剃り工程が終わり、身体を起こした論理は蒸しタオルで顔やうなじを拭われる。そのあとはヘアブロー。湿ってクセの出ている論理の髪が、ドライヤーを当てられてサラサラツヤツヤになっていく。論理の髪は量が多くて太い。刈り上げの青と、長く揃えられた黒。論理、こんなに見違えるようになって…。惚れ直すよ。

「よし、出来上がりだよ。お疲れ様」

ガウンを取られた論理が立ち上がる。

「ありがとうございます」

私たちは上中理容室を出た。

「論理っ!」

私は論理の後ろから、両肩に手を添える。青々と短い論理の後頭部が、私の目の前にある。襟足が、丸みを帯びた美しいラインで整えられ、生え際には三センチくらいの剃り跡。愛おしい!

「どう文香。一気に刈り上げてもらったけど」

「いい!論理きれい!めちゃ整ってる!」

私はそう叫んで、再度、論理の後ろ頭を見つめた。下三分の二の深々とした青白い刈り上げと、上三分の一の、ふさふさした黒髪の対比がかわいい。この対比の中に、論理の脳がある。私でいっぱいなはずの脳…。手を伸ばす私。

「論理…、触って、いい?」

「いいよ。下から上に逆撫でしてみて。気持ちいいから」

論理の言うように、私は論理の襟足を、生え際から上に撫でてみた。あ!なにこれ、ジョリジョリジョリってする。刈り込んだ芝生に触ったみたい。

「わぁー、なんか面白気持ちいい。男の子の刈り上げって、こんなになってたんだぁ」

私は論理の後ろ頭を、何度も逆撫でした。そして改めて、その襟足を見つめる。

「ねえ論理、襟足、きれいに剃り整えてあるね」

「ちょっと丸みを持たせてってオーダーしたけど、その通りになってる?」

剃り跡に触ってみる。私が、ヘアカットのあとや、論理の膝の上で剃ってもらったあとと同じ手触り。論理、こういうのを触って萌えてたんだ。

「なってる。丸い感じの逆富士山形。生え際、いっぱい剃って真っ直ぐな線にしてあるよ」

私がそう言うと、論理は「はああああっ」と深いブレス。後ろ姿の肩がぐっと上がる。生え際の線が、それにつれてかすかに動くのが愛らしい。

「それはよかった。ぎゅっとうつむいたうなじにジョリッと剃刀が走ったから、剃られてるって感じたよ」

剃られてた論理、端整だったな。胸を熱くする私の前で、論理が振り向く。

「前はどうかな」

「いいよ!前髪ずっと短くなって、男の子って感じがする」

「いっぱい梳いたからね。俺も顔上げて自分の顔見たらびっくりしたよ」

そう言って論理はにこっと微笑った。眉が剃り整えられてきれいになっているせいだろう、その笑顔がいつにも増してかわいい。

「論理…。顔、すごく整ってる。私、こんなきれいな子とカレカノしてたんだね…」

想いが溢れた。論理、ヘアカット大正解だよ!

「文香…。俺の刈り上げ、気に入ってくれたみたいで嬉しい」

論理の腕が私の肩を抱き寄せる。

「論理…大好き」

「俺も、文香大好き」

論理の家から五十メートルも離れていない場所だけれど、私たちは迷わず唇を重ねあう。長いキスをしながら、私はまた論理の後ろ頭を逆撫でした。このジョリジョリが、私、愛おしいんだ。論理、改めて、愛してるよ…。


翌朝、切り立て論理を見た教室がどっと沸く。論理、まるで別人だもんね。優衣と遥が、げらげら笑いながら、論理のうなじを「刈り上げーっ!」と撫でる。くすぐったそうな論理。その顔はやっぱきれいだった。この短い刈り上げ、論理にすごく似合ってると思う。ヘアカットしてよかったね、論理。

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