第74話 成長

 目尻をつり上げ微笑む綺羅星の笑顔は、深い慈愛に満ちていた。

 まるで母親が、幼子を慈しむように。

 穏やかに。

 この世界に生まれた、全てのものに感謝するかのように……。


「ありがとうございます。あなたが、分かりやすい悪役で助かりました。私は本当に幸せです」

「っ――!」

「私ね。じつは最近イライラしていたんです。城ケ崎さんに。

 あの人は天然で、悪意がないのに人を苛立たせる天才です。そのことに、苛立っていたんです。

 ……けれど、彼女は私に暴力を振るいません。

 大真面目に、小学生低学年のような夢を語り、それが本気で通ると信じている。

 私は彼女が嫌いですが、でも、嫌いだからという理由だけで殴り飛ばす決意が、まだ私の中には出来ていなかったし、社会的にも許されなかった。……だけど」


 じりっと、彼女が靴音を鳴らして迫る。

 妹屋はいやな予感に、気迫に押され……気づけば、どん、と背中に迷宮の壁がぶつかる。

 悪魔が迫る。

 にいっと、天使のような笑顔を悪辣にゆがめながら。


「あなたは、あなたのままだった。人間のクズのままで居てくれて、ありがとう。城ケ崎さんよりはるかに弱くて、わかりやすい……」


 ひひ、と女が凄惨に顔を歪め――


「苗字の通り"カマセ役"の雑魚キャラでいてくれて、ありがとう」

「ん、なっ」

「それと……何でしたっけ? ああ、証拠が残る……でしたっけ」


 思い出したように、


「確かに特定のスキルや武器を使うと、魔力の痕跡が残ります。私も詳しくないですが、どうやら強力なスキルや特殊な武器攻撃を行うとあとで困る場合があるようです」

「っ、そうよ。だからあなたは私に手が出せないの。粋がっても無駄ってコト! カザミにやらせたならともかく、あなたが直接手を出したら警察に訴えて――」

「でも私、先生を見て学んだことがあります。……先生は戦闘中、地雷を除いてスキルを全く使いません」


 綺羅星が見た限り、影一はあのベヒモス相手にすら、最後の一撃を除きすべて通常攻撃しか行わなかった。

 何かすごい弓を五連射してたし、宿した魔力量も常軌を逸していたけど、属性も特殊な効果もない、ただの攻撃。


 仮に使うとしても、道具……火炎放射器や殺虫剤のような、特別にすごい武器というわけではない。

 あくまで、市販品の範囲。

 配信者が煌びやかに使う武器固有や、本人固有の格好いいスキルは全くと言っていいほど使わない。


 なぜか?


 答えはひとつ。

 安心安全だからに決まっている。つまり――


「つまり、妹屋さん。通常攻撃であれば、魔力の証拠はほぼ残らない。そして多少の怪我であれば、魔力ダメージに換算されるだけで身体にも残らない。あなたが死んだり、行方不明になったりしなければ」

「っ……な、何が言いたいの……?」

「つまり――こういう意味です」


 綺羅星は本当に、にこにこと。

 心の底から楽しみながら拳を引き、



 妹屋のきれいなお腹めがけ、勢いよく己の拳をめり込ませる。

 見事な腹パンだった。



「げごふっ!? あ、がっ!?」

「頭のお勉強はしてきたみたいですけど、体育の授業はまだみたいでしたね。じゃあ今日は、身体でお勉強しましょうねぇ、妹屋ちゃん?」

「な、いっ、ぎっ……!」


 がっ、ごすっ、と二度続けて腹パンを加えたのち、お腹の上からぐりぐりとネジを回すように捻り、さらなる痛みを加える。

 妹屋の顔が苦痛に歪み、そのことにぞくぞくと快楽のあまり唇を歪にゆがめた綺羅星は、あまりの美味しさに、つい。


「すみません、おかわり、いいですか?」

「ひっ……」

「あ、がまんできない……ごめんなさい、私じつは性格悪くて。最近イライラしてて。なので、私の八つ当たり。あなたが代わりに引き受けてください。ね?」

「ま、まって、やめて助けてげぼっ」


 もう一発、遠慮なく腹をぶん殴る。

 ああ気持ちいい。ダンジョン最高!

 本当にスカッとするし、それ以上にぞくぞくする――!


 経験したことないけれど、きっと好きな男の人に抱かれた時、こんな快楽を覚えるのかな――なんて思いながら、気づくともう二発叩き込んでいた。


 腹を押さえ、嗚咽しながらずるずると倒れる妹屋を見下し、綺羅星は後頭部を踏みつけてやろうかと足をあげ――っと、ガマンガマン。

 靴痕が相手の後頭部についたら、ヘンな証拠になりかねない。


 まずは安心安全。先生の教えは守るべし。

 でも代わりに……と、綺羅星は妹屋の髪を掴み、顔を強引に引き上げながらにいっと笑う。


「今回は、顔はやめておいてあげますね。……証拠が残るからやめる訳ではありませんよ? 次回の楽しみに取っておくために、やめておきます」

「っ……!」

「良かったですね、ここが”凪の平原”一階で。その気になれば、近くに人がいる場所で。命拾いしましたねぇ」


 彼女をいたぶりつつも綺羅星は冷静に、妹屋を行方不明にするのは危ういだろうと考える。


 妹屋はカザミに全責任をなすりつけ、綺羅星を始末する気だったようだが……迷宮庁はそこまで甘い組織じゃない。

 実際、先生が犯行をバレないよう最も警戒しているのは迷宮庁だし、前に出会った黒服の人――後藤さんや虎子さんはとても優秀な職員だった。


 仮に、今回の計画を妹屋が完遂したら……妹屋もカザミも捕まっていた可能性が高いだろう。

 いかにモンスターがいるダンジョンとはいえ、凪の平原1階で死者が出るのは不自然すぎる。そのうえ城ヶ崎という目撃者もいる。


 ……綺羅星はまだ、駆け出しの狩人だ。

 身に余ることはしないし、危なすぎる橋は渡らない。


 今できる範囲。

 今できる安心安全のなかで、楽しんでおくのが、せいぜいだろう。


「ああ、妹屋さん。最後にひとつ、いいですか?」

「っ……げほっ……」

「あなたって、思ったより”弱い”んですね」

「!?」

「私、昔はひどくあなたや姉見さんを怖がってましたけど……安心しました。私より、あなたは”下”なんだ、って、……はっきり言っていいですか?」


 最後に、綺羅星は膝をかがめ、怯えつつも唇を噛む妹屋に――


「あなた程度の雑魚であれば、いまの私なら、いつでもやれます」

「――な、っ」

「でもここで決着をつけるより、もっと時間をかけて壊した方が……楽しいなあ、って」


 姉見さんはあっさり壊れちゃったし。

 いま思えば、勿体ないな……って。

 ほら。お菓子って,一口で食べちゃうと勿体ないでしょう?


 ゆっくり舐めて、たあっぷり舌で味わって、とろとろに溶かしてから飲み込まないと……ね?


 ぼそぼそと耳元で囁いた後、完全に土気色になる妹屋からそっと離れ。

 綺羅星は急ぎ"蝶の間"を戻り、ダンジョンを駆け抜けていく。


 上手くいった。自分の中では大丈夫。

 けど油断は禁物。

 勝って兜の緒を締めよ。最後まで演出は忘れずに――と、己を戒めながら通路を急ぎ駆け抜けて。


 ちょうどT字路にさしかかり、駆けつけてきた城ヶ崎と狩人らしき職員を見るなり、綺羅星はわあっと悲鳴をあげて――


「城ヶ崎さん!」

「あ、綺羅星さん! 先ほどの男性と妹屋さんはどちらに、……え?」


 城ヶ崎に駆け寄るなり、綺羅星は大粒の涙を浮かべながら飛びついた。

 すがるように。

 怯えたように。

 無力でか弱いJKのようにふるふると震えながら、顔を伏せる。


「あの男に、レイプされそうになりました。私達を騙してたんです! それで妹屋さんが殴られて、私、慌てて逃げて」

「襲われっ……そんなっ」

「ごめんなさい、妹屋さんを助けられなくて……で、でも今なら間に合います、お願いします、助けて――私の友達を、助けてください!」


 わんわんと涙し、城ヶ崎に抱きつきながら――


「ああ。これで妹屋さんが襲われてたらどうしよう……せっかく城ヶ崎さんが誘ってくれたのに、こんな目に遭うなんて……」

「っ……」


 びくっと震えた城ヶ崎に、綺羅星は誰にも見えないように、赤い舌をちろりと出す。

 妹屋が襲われたのは、お前の責任だぞ城ヶ崎――彼女の心にチクリと毒を刺し込みながら、綺羅星は彼女に抱きつき鼻をすする。


 妹屋やカザミが、真実を語れるはずもない。

 綺羅星がカザミを助けようとしたのは城ヶ崎の証言で明らかだ。にも関わらず、綺羅星が彼等を襲ったなんて話、どう取り繕っても脈絡がおかしくなる。


 妹屋にできるのはせいぜい綺羅星に話を合わせ、自分も男に襲われたと主張するくらいだろう。

 つまり私は今回も――男に襲われた”可哀想な被害者”だ。





 ……どうですか、先生。

 私、きちんと成長していますよね……?



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