第22話 小市民

 女子高生とともにダンジョン掃除を終えた翌日、影一は自宅で書類作成業務を行っていた。

 迷宮庁に提出する、報告書の作成である。


 ダンジョン攻略の仕事は、迷宮庁の傘下にある各都道府県の迷宮課……通称“迷宮ギルド”を通じて依頼(クエスト)の募集という形で行われる。

 国がダンジョンの全容を管理するとともに、ダンジョン被害者から申し込まれた補助金申請が妥当であるかのチェック等を行うために作られた制度だ。


 キーボードを叩き、昨日の顛末を綴る。

 本来なら綺羅星の存在も隠したかったが、悪七ナナが逮捕され刑事事件に発展することを考えると、彼女があの場にいたこと自体には嘘をつかない方が良いだろう。

 まあ、ほかの過程には細工させてもらうが。


 ……それにしても。

 些か惜しいな、と影一は珍しく感傷に浸る。


 あの女子高生……綺羅星は、中々の逸材だった。

 本人にダンジョン攻略への興味がなければ意味のない話だが、もし狩人になれば良い実力者になるだろう。


 それに、感性も影一に近い部分が、いやそれ以上のものがある――当人に自覚はないだろうが。


「よし完了……と」


 仕事を終え、軽く背伸びをしたのち外出。近場の弁当屋へ。

 いつもの店員に挨拶を交わしたのち、さて……


 今日は唐揚げ弁当にすべきか、それとも、野菜炒め弁当にするか。

 揚げ物につい手が伸びがちになるが、前世では三十五を超えたあたりから健康診断の数値が怪しかった。


 タイムスリップにより六年ほど若返ってるとはいえ、今から意識しておくべきか……?

 いやしかし、社畜時代に比べればストレスも薄いし、ダンジョンで戦闘もこなしている。


 案外、カロリー消費……してないだろうか?

 していることに、しておきたい。

 だから今日は揚げ物を許す……いや、その安易な気持ちが、後の不健康に繋がるのでは……?


「お客様? メニュー表を見つめてそろそろ十五分になりますが……」

「失礼。人生とは実に、難しいものでして」

「お弁当選び、そんなに悩まれますか? では本日のお勧めいかがでしょう」


 店員に勧められ、影一は結局すすめられるがまま海老フライ弁当を注文した。

 言い訳がましく、ミックスサラダと味噌汁も追加する。


 ありがとうございましたー、と可愛い店員に見送られながら、影一はそっと眼鏡の鼻に指を添えた。


「やはり私はただの凡人ですね……この程度のことで悩むとは。前世も今世も、なかなかに改善しない」


 影一普通という人間を、他人がどう評価しているかはわからない。

 ただ影一自身は、自分のことを実にありふれた凡人だと考えている。

 都会を歩けば三分に一回は見かけそうな、どこにでもいる、ごく普通の元サラリーマンだ。


(新しい日本に来て、二年。性根というのはなかなか変わらない)


 小さく溜息をつきながら、影一は人気のない横断歩道の赤信号を見上げて足を止める。


 と、


 不意にドスン!

 と背中から衝撃を受けた。


 自転車で突っ込んできた太っちょ男が、影一にぺっぺと唾を飛ばしてきた。


「ってえなクソおじ! どけよ、急いでんだよ!」

「赤信号ですが。それと、自転車で人に体当たりをする行為は交通法違反ですが」

「るせぇ、っろされてえかテメ」

「交通ルールを守りましょう、と小学生の頃に習いませんでしたか? 信号無視は、人命に関わるとても危険な行為ですよ」


 どすっ


「ほげえっ!?」


 男の心臓をナイフで貫き、即座に男ごとインベントリへ収納し消滅させる。

 わずか五秒。

 二年間で鍛えた排除の早業にも慣れたものだ。


 影一は社会のゴミを片付けながら、やれやれ、と溜息をつく。

 赤信号は止まりなさい。人にぶつかったら謝りましょう。小学校の頃に学ばなかったのだろうか?

 日本は法治国家なのだから、定められたルールはきちんと守るべきだろに。

 もう少し、常識、というものを知って欲しいものだ。


(……それにしても、今日は本当に海老フライ弁当で良かったのだろうか)


 信号が青に変わり、影一は改めて夕飯の選択が本当に正しかったのか――ううむ、と唸る。

 やはり自分は優柔不断な凡人だ。

 決断を求められるといつだって迷ってしまうと思いながら、のんびりと帰路につく。





 やがて、自宅マンションのエレベータを降り。

 見慣れた廊下を歩き始めたところで――自宅前に、見覚えのある人影を見つけた。


 先日も目にした高校のブレザーに、プリーツスカート。

 校則違反のこの字もない姿に、年頃の女子高生らしからぬ四角眼鏡をきらめかせた少女――


 綺羅星善子が、影一に気づいてそっと頭を下げた。

 何用だろうか。

 警察の件であれば既に打ち合わせ済みであり、そもそも何かあれば電話するよう伝えたので、自宅に来る必要はない。

 そもそも彼女に自宅を教えた覚えはないが。


「こんにちは、綺羅星さん。先日はお疲れ様でした。どうかされましたか?」


 弁当片手に問うと、綺羅星はそっと表情を曇らせ。

 けどすぐに顔をあげ、ぐっと勇気を振り絞るように唇を開き、


「……その。お願いがあります。……私を、えっと」


 一瞬言いよどみ、それでもはっきりと、彼女は――


「で。弟子に、してください!」

「お断り致します」

「!?」

「そういった仕事は引き受けておりませんので。では失礼」


 自宅ドアを開き、一礼をして閉めようとする影一。


 その隙間に、

 がっ!

 と、足を挟んでくる綺羅星。


「…………」

「…………」


 ドアの隙間から懇願するかの如く、彼女にじっと見つめられ――

 ……まあ一度は縁ができた相手だ、話くらいは聞くのも悪くない、か。


「……分かりました。話くらい聞きましょう。一旦離れていただけませんか?」

「と言いながら、私が離れたらすぐドア閉めませんか?」

「そんな失礼なこと致しませんよ」


 綺羅星が離れた。

 影一はごく自然にドアを閉めようとし、また足を挟まれた。


 ……ほう。中々やるじゃないか。


「影一さん。無理なお願いをしてるのは私ですけど、そんな塩対応しなくても……」

「自宅に直接やってくるのは、訪問販売か宗教勧誘と相場が決まっていまして。そもそも私、人間嫌いですし」

「すみません。でも、どうしてもお願いしたいことがあって」


 ぺこりと彼女に頭を下げられ、影一はすこし考える。

 人間嫌いな影一は、つい自宅に人が来たというだけで身構えてしまったが――彼女にある種の才能があることも理解している。



 まあ話くらいは聞いてみるか、と、影一はドアをゆるめ、先日顔をあわせたばかりのJKと再び会話を交わすのであった。

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