第40話

「これでいいのか、うつろ」


 坦克そろねは、背後に佇む青年に言った。


「うん。久しぶり、そろね」


 白衣に雑面の姿のまま、そろねが知らない人間であるかのような雰囲気を纏っているうつろが立っている。

 それに相対する坦克そろねは、藤色の一つに束ねた髪と、金色の瞳をしている。まるでうつろと対になっているかのような色彩だ。

 それも当然である。何故ならば、そろねは実際に、うつろの対になるようにデザインされているから。

 坦克そろね。『Busy Vigil』の団の一員にして、少々ポンコツな探偵。そして、過去に因習村にいたうつろを人間社会に連れ出した一人である。

 つまりはうつろの同期であり同僚、そして友人だった。正確には、『中の人』同士が。


「一年半ぶり、か。……久しぶり?」

「うん、久しぶり」


 二人が『ガワ』として顕現してから会ったのは、これで三度目だ。三年前、お互いの状況把握のために他メンバーである夕星かるま、麗月よやみと共に集合し、うつろと他三人が決裂したのが一度目。

 一年半前に偶然にも再会しそろねが固く拒絶されたのが二度目。

 そして、今が三度目である。


「署内で、少しだけ噂は聞いてたよ。まだ、配信はやってるんだ」

「ああ……私には、それしかないからな」


 三年前に決裂した理由は、そろね、かるま、よやみが配信を続けると意思表明したからというのもある。うつろには、この状況下で配信など続けるなんて考えすらしなかったから。その些細な意見の相違が、「うつろはマイノリティである」と言われているようで居た堪れなかった。


「その、勘違いというか、思い違いをして欲しくないんだけど……私が配信を続けようと思ったのは、私にはそれしかないからなんだ。アイデンティティというか……」


 何も言わないうつろに気圧されながらも、そろねはなんとか言葉を紡ぎ出していく。彼は知らない。うつろが三人と縁を切った真の理由は、別の場所にあるということを。


「私は、昔は何もない社畜だったから、配信しか縋るものがなくて……だから、配信しか、することもなくて」


「いいよ」


 寛容にも思えるうつろの言葉。しかし、あまりに色のない声音だった。彼は続ける。


「どうでも、いいよ」

「うつろ……?」


 表情が見えない。いいや、今うつろが人間らしい顔をしているのかすら怪しかった。真っ白に覆う布のせいで。


「なんでもいいよ。もういいんだよ。だってほら、もう何もかも遅いんだから。僕が生まれてしまった時点でさぁ。きみが僕を追いかけて警察署に入ったのだとしても、なんの感慨もないんだよ」


 うつろが一歩、そろねに近づく。ここは美術館の裏手、別の建物との間にある小さな林。

 そろねは一歩後ずさる。うつろは確かに友人であると彼は思っているのに、そろねの本能が警鐘をあげていた。彼に、うつろに近づくな、と。


「う、うつろ……?」


「一応さぁ、ちゃんと人の形のした天使を回収しておきたいんだってさ。例え使わなくても、きみは知名度があるから真っ先に地獄に落とせば見せしめにも使えるし、他にも用途はあるって」


 背中が薄氷に撫で上げられたかのように、ぞわりと悪寒が走ってそろねは身震いをする。


「本当に……うつろ、なのか?」


 知らない。

 こんな男、知らない。

 目の前に佇む青年は、一体誰だ。


「そろね……ソロネ。座天使を指す言葉。坦克は中国語で戦車を指す言葉。そして座天使は玉座、車輪、そして戦車を象徴する。……これだけの材料が揃っていて、僕がきみを捕らえない理由がない」


 そろねは更に数歩後退り、そして木の幹に背中をつけた。

 確かに、そろねは天使としての要素を入れてデザインされたキャラクターだ。しかし羽根はないし、天使としての自覚があるわけでもない。

 けど、『念の為』、うつろはそろねを捕らえて地獄の門の前に捧げる。念の為、だ。

 彼はもう方法を選ばない。相手が自分のことを共と認定していても関係ない。

 七支刀を振り上げる。特殊な形をした剣の形が、淡い逆光に透ける。


「っ、……!」


 そろねは固く目を瞑り、振り下ろされるであろう刃の鋭さを想像してしまった。

 ヒュ、と空気を切る音が聞こえて。そして襲い来るであろう痛みに構えた。

 数秒して、恐る恐る瞼を開く。想像していた痛みは来なかった。


「……?」


 一番に見えたのは、知らない誰かの背中だ。暗い色の衣服を纏った、男の肩幅の。


「っ、ご無事ですか坦克さん……!」

「……夜薙くん」


 彼の名前を呼んだのはそろねではなく、うつろだった。枝垂はナイフ二本を重ね合わせてようやくうつろの刀を受け止めて、拮抗している。

 うつろは数歩後退し、枝垂から距離を取った。


「邪魔しないでくれるかな」

「大変申し訳ないですが、聞きかねます」


 そして枝垂は背後のそろねに、小さく告げる。


「ラピさんが心配しておられました。どうか、ここから早く逃げてください」


「でも、うつろが……」


「お言葉ですが……これでも数ヶ月、哀染先輩の下で働いてきたのです。少なくとも、『ガワ』としての哀染先輩を知らない貴方よりは私はまともに立ち回れるかと」


 枝垂にしては珍しく、棘のある言葉。それに怯んだのか、そろねはふらりと立ち上がって去っていった。


「……哀染先輩」


 幽鬼のように立ち佇む彼に向き合い、枝垂はダガーを構える。


「少し、話をしませんか」

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