黒宮怜の日記⑨「忍び寄る。迫り来る」

 通りすがりの看護師に声をかけると、病室の中に看護師や医者らしき人が、ぞろぞろと入ってきた。ひとまず、これで一安心だ。


 くるりと振り向き、病室の主である少女を見る。八重子からは彼女―というみさきの姿をみることは止められていたが、我慢できなかった。


 大きなベッドの真ん中で、小さな女の子が目を閉じ、眠っていた。今にも折れてしまいそうなほど細くなった腕に、虎刈りにされてしまった頭。


 かつて僕の手を引いていた少女の姿は、もうどこにもない。


 髪に関しては、たぶん病院のスタッフが伸びてきた髪を刈ったのだろう。あの艶やかか髪がもう見れないのは残念だが、髪が伸びているということは、まだ、みさきが生きていることの証明でもあった。


 頬に触れようか考えてみたが、やっぱり止めることにする。今のみさきはヒビが入ったガラスのように脆くて、少し触れただけで割れてしまいそうだった。


「あのぉ……息子さんですか?」


 医者らしき男性に話しかけられる。


「いえ、甥です」


 彼いわく、八重子は別室で検査する必要があるらしい。それと、念のため八重子の家族にも連絡しろと言われた。

 本来ならば八重子の夫である誠人に連絡するべきなのだろうが、あいにく、彼の電話番号は知らない。仕方がないので検索エンジンで、みかがみ屋の番号を調べ、雅登に連絡することにした。



*



 雅登に八重子が倒れたことを報告してから一時間後、僕の前に姿を現したのは伯父である雅登と……誠人だった。


「この度は申し訳ございませんでした」

「怜君が謝る必要はないよ。なぁ、兄さん」


 頭を下げ謝罪の言葉を述べると雅登はニコリと笑い、隣に立つ男性の方を見た。


「そうだな、お前が謝る必要はない。むしろ、お前まで『鬼』の被害に遭わなくてよかった」


 黒ふちのメガネに白髪の混ざった頭、服装はストライプのシャツと黒のズボンといったラフな服装。僕の伯父であり、父の兄である誠人だ。


 初め彼の姿を見たときは、また怒鳴られるのではないかと身構えたが、どうやら杞憂だったらしい。


「雅登、俺は八重子の状態について医者から説明を受けなきゃならない。代わりに怜をウチまで送ってくれるか?」


「了解、兄さんも無理しないでくれ」


「ありがとう」


 誠人は頭をかきながら眉間にシワをよせる。


「それにしても……お前、あまり真喜に似てないな。母親似か?」

「えーと、僕ですか?」

「そうだ」

「分かりません。母は他界していますから」


 厳密に言えば他界したかどうかも分からないが……。


「写真とかないのか?」

「ありません。父が全て処分しましたから」

「なんだよそれ、真喜のヤツ何考えてんだ」


 どうせまた変な女に騙されたんだよ。誠人は独り言みたいにブツブツと呟きながら、立ち去って行った。


「兄さんが色々とすまないね」


「失礼を承知で質問いたしますが……誠人さんは、むかしから、あのような性格なのですか?」


 いや、そんなことはないよ。雅登は、苦笑いをしながら答えた。声は穏やかだ。


「十年ぐらい前にね、黒宮本家で火事が起こったんだ。その時に祭事に使う道具が全て燃えてしまってね……結局、火災の原因は分からなかったけど、バカ真面目な兄さんは、一人で全ての責任を背負いこもうとしたんだよ。あれから兄さんは、いつも寝不足で、すぐにカッとなるようになっちゃってね……」


 ストレス反応だろうか?


「責任って……たかが、祭事の道具でしょう?」 


 雅登の表情に影が落ちる。


「怜君にも『鬼』がみえるんだよね?」

「……そうみたいですね」

「八重子さんを襲った『鬼』は見えたのかい?」


 いいえ、見えませんでした。否定するために、首を横に振る。今回襲撃してきた『鬼』の正体に大体の検討はついているが、本人を視認したわけではない。


「そうか……今は分からないかもしれない。でも、君にもいずれ『鬼』の恐ろしさを自覚する日が来るはずだ。俺たち■■■■の人間が言う祭事とは、別名『鎮めの儀式』と呼ばれている」


「鎮め……『鬼』の祟りを鎮めるから『鎮の儀式』ですか?」


「そうだね。だけど大前提として『鬼』を鎮めるのは俺たち人間ではなく水鏡神だよ。鎮守神である水鏡神にお願いして『鬼』を鎮てまもらうのが『鎮めの儀式』だ」


「そのお願いって……道具がないと、できないんですか?」


 雅登がゆっくりと頷く。


「その通りだ。正しい手順で儀式を行わなかった場合、それは神様にとって、とても失礼なことなんだよ。ほら、怜君も投げやりにお願いことをしてくる人より、きちんと頭を下げて『お願いします』と言ってくる人だったら後者の願いを聞いてあけだいだろう?」


「なるほど……」


 分かったような……分からないような……。


「先ほどは失礼なことを言ってしまい申し訳ありませんでした」


「いいよ、誰にだって不用意なことを言ってしまうことはある。でも、これだけは覚えておいて。■■■■村で水鏡神や『鬼』を軽んじるような発言は決してしてはならないよ。基本的に■■■■の村人は余所者に対して、友好的だけど、いわゆる水鏡信仰に関わる事柄について馬鹿にするような発言をした場合……いろいろと保証はできないから」


「そうですよね……誰だって自分たちが信じているものを馬鹿にされたら許せませんよね」


「君が物分りのいい子で助かったよ。じゃあ、■■■■村に帰ろうか」


「あのー、先ほど誠人さんは『ウチに送って』仰っていましたが……」


「それについて、まだ説明していなかったね。怜君、申し訳ないけど今夜は黒宮本家に泊まってくれ。少し気まずいかもしれないけど、明日には真喜も来るから……」


「え……父さんが来るんですか?」


「僕が連絡したんだ。今、村が大変なことになっているから真喜にも手伝って欲しいとね。最初は拒否されてしまったけど、君が村にいることを伝えたら考え直してくれたよ。あの真喜が、こんな息子思いの父親になるとはね」


「父さんの連絡先を知っているんですか?」


 父との連絡手段を持っているのは、八重子だけであるはずだ。雅登が連絡先を知っているはずがない。


「八重子さんから聞いたんだよ」


 雅登は一見、優しそうな笑みを浮かべた。

 まるで夜中まで起きている子どもに「早く寝なさい」と諭す親のような顔だ。

 でも、今なら分かる。

 あの笑顔は人を騙すためにあるものだ。

 安心させて、ほだして、操る顔だ。


 どこから父さんの番号がバレたんだ?


 心当たりなら一つある。

 僕のスマホには、電話がかかると通知で着信者の番号を表示する機能がある。

 その通知は手動で消すまで、ロック画面に残り続ける。まさか、雅登は僕が夕食や入浴で部屋にいない間に……。 


「君が余所者でいる限り『呪い』には巻き込まれないなんて言ったけど……どうやら撤回しないといけないみたいだ。ごめんね」





 

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