黒宮怜の日記⑦「僕と遊んでよ」

 客室に戻る。

 なんでもない普通の和室。

 薄明かりが差し込み、部屋を柔らかい金色で満たしているこの部屋からは、ちっとも不気味さや、恐ろしさを感じることはなかった。まるで昨夜、起きたことは、ただの夢にすぎないと、諭されているような感覚に襲われる。


 荷物をまとめるために机に近づくと、が視界に写った。鈴だ。三つの鈴が赤い紐でくくられている。


 試しに振ってみた。

 チリン、チリンと小さな音がする。


「なんだこれ……?」


 鈴の表面を、よくよく観察してみると、文字が刻まれていることに気づく。



『僕と遊びましょう?』



 表面に書かれていたのは、この一文だけ。

 ただ眺める分には、大したことのない文面だ。誰がが遊びにさそうだけの一文。

 しかし、一応都市伝説の専門家である僕にとっては、厄災の始まりを告げるシロモノだ。


 スマホを取り出し、検索エンジンで『僕と遊びましょう?』と調べる。すると、あっさり鈴の送り主が特定できた。


(『くねくね君』か……)


 最近になって目撃情報が増えた怪異だ。

 黒い影の形をしていて、夕方になると現れる。影を見た際に『くねくね君』の正体を理解してしまうと発狂してしまう。更に時々変なアイテムを残すことがあり、残されたアイテムには『僕と遊びましょう?』と書かれている。


(夕方までに八重子さんの付き添いが終わったら、夕日が沈むまで目を閉じていればいい。もし夕方までに用事が終わらなかった場合は、極力、視界に映ったものについては考えないようにしよう)


 本来ならば慌てふためくべき状況なのだろうが、不思議なことに焦りを感じることはなかった。


 この村に来てから、おかしな出来事にばかり遭遇するせいであろうか?


 さて、この鈴はどうしようか。

 捨ててしまうべきか?


 だが、ネット記事の内容を見る限り、むしろ貰ったアイテムを使用した方がいい時もあるようだ。


 仕方がない。この鈴は持って行こう。


 一通り、必要な物をリュックサックに詰めて時計を見る。


 八重子さんと約束した時間まで、まだ一時間半ある。今のうちに■■■■神社に行くか。


 幼少期の思い出が詰まった■■■■神社。

 行けば何か思い出せるかもしれない。



*


 ツクツクボーシ、ツクツクボーシ――。


 蝉が鳴く。

 カサカサと音を立てる葉の中で、蝉たちがコーラスを奏でる。このやかましいコーラスの正体が、一週間しか生きられない生命が子孫を残すために、行っている求愛活動だという事実が信じられない。


 空を見上げる。

 揺れる木々のスキマから木漏れ日が差し込んで、石畳を照らしていた。


 参道である石段を登りきると、ねずみ色の鳥居が現れ、そこには■■■■神社と書かれていた。


 鳥居をくぐると左手に、手水舎が現れる。

 手水舎はしっかりと手入れがされていて、チョロチョロと透明な水が流れ続けていた。


 まず、左手を清める。

 次に、左手に柄杓を持ち替え右手を。

 再び柄杓を持ち替え口をすすぎ、もう一度左手を清める。

 最後に柄杓を洗えば、おしまい。


 手順は迷わなかった。扉を見つけたら、ドアノブを捻るぐらい簡単なことであった。


 手水舎を離れ、再び参道を歩く。

 参道の真ん中を、歩いて、歩いて、進んでゆくと、拝殿にたどり着く。

 本坪鈴ほんつぼすずを鳴らして、二礼二拍手一礼しようとした――その時。


「――?」


 視線を感じる。

 どこから?


 周りを見渡す。

 視界に映るのは、灯篭と看板……あと鬱蒼と広がる鎮守の森だけ。

 カサカサと揺れる木々の間に『何か』かいた。こっちを凝視している。姿は見えない。されども、そこに居ることだけは分かる。




「僕のことを知っているのか……?」

 

 


*


 すっかり日が登り、気づけば朝から真昼間へと変わっていた。みかがみ屋の駐車場へ向かうと八重子が、昨日乗せてもらった高級車の隣で立っていた。


「あ、八重子さん」

「怜君、おはよう」


 こちらの存在に気づいた八重子が、笑顔で振り向く。着物をまとって、振り返る姿は浮世絵の見返り美人みたいだった。


「もしかして……僕を待っていて下さっていたんですか?」


 八重子が苦笑いをしながら、首を横に振る。


「いや、今来たばかりよ。気にしないで。それよりも怜君、昨日はちゃんと休めた?」


 はい、と答えようと口を開いたが、思いとどまる。


「休めはしましたが……昨夜、寝ている最中に、おかしな出来事がありまして……」


「あら、何があったの?」


 八重子もだと、雅登さんが言っていた。ならば、八重子さんにならば、昨夜起きた不可解な出来事について話しても良いのではないか?


「あのー、実は昨夜、みかがみ屋に住む座敷わらしに遭遇しまして……」


 満面の笑みを浮かべた八重子に両手を捕まれる。


「貴方にも、あの子達が見えるの?」


「はい、はっきりと」


「まぁ、そうなのね。ということは他の『鬼』も見えるの?」


「あの子たちが『鬼』……?」


 耳を疑い、言葉を失う。

 だって、あの子たちは、どこからどう見ても普通の子供だったから。

 『鬼』なんて言葉は似合わない。


「最近は此岸に現れる『鬼』が増えているから気をつけてね」


 八重子が笑う。

 彼女の声は優しいが、その笑顔は、まるで無理やり貼り付けたように不自然だった。



*



 車が高速道路に乗ると、今まで田園風景が広がっていた外の景色が、一気に無機質な灰色に変わった。市立病院までは車で一時間ほどかかるらしい。


 到着するまでスマホで、動画のネタ探しでもやろうかと思ったが、車酔いしてしまう可能性を考慮し辞めることにした。


「八重子さん」


「あら、なぁに?」


「あのぉ、八重子さんは僕の父と連絡は取り合っているんですか?」


「いや、真喜さんがウチから出て行った後は一切連絡を取り合ってないわよ。ほら、私真喜さんが電話でやり取りしているところを、使用人や誠人さんに盗み聞きされちゃったら大変でしょ。下手したら貴方達の居場所がバレちゃうもの」


 そこまでして僕と父さんの居場所を、本家に隠したかったのか……?

 運転席の方を見る。無表情でハンドルを握っている彼女の顔には、心做しか影が落ちているように見えた。


「もしかして、僕は■■■■村に来なかった方が良かったですか?」


 数秒ほど車内に静寂が訪れる。


「そうね……でも来てしまったものは、しょうがないわ。貴方に出来ることは、黒宮家の事情には極力関わらずに、■■■■村から去ること」


 取り返しのつかないことをしてしまった。


 そう確信する。


 父だけではなく、八重子さんまでもが、僕を■■■■村に潜む『何か』から守ろうとしてくれていたのだ。


 それなのに僕は……。


 心臓が高鳴り、胸騒ぎがする。


 なんだ、この違和感は。


 八重子さんは以前、父が■■■■村から離れた理由は、古臭いしきたりや風習に支配された村が気にいらないからだと言っていた。


 本当にそうだろうか?


 父と連絡を取り合わない理由が、僕達の居場所を隠蔽いんぺいするためだとして……そこまでする必要があるだろうか?


 まるで黒宮本家が何らかの理由で、僕と父を必死に探しているのではないか?

 

 その刹那――八重子のふふっ、という笑い声が思考を遮る。


「でも、貴方からの話を聞く限り、真喜さんは、怜君に対して、事情をちゃんと説明しなかったみたいね」


「そうですね……引っ越した理由はおろか、母の事さえも」


「だったら、真相を探る為に、村へ帰ってしまうのは仕方がないことね。少なくとも私が怜君の立場なら、間違いなく村に戻っているいるでしょうね」


「八重子さん……」


「はい、それじゃあ、暗い話は終わり。あー、そうだ、そういえば怜君に聞きたいことがあったわ」


「なんでしょう?」


「怜君は今大学生よね?」


「大学三年生です」


「何を専攻してるの?」


「生物学です」


「へぇー、なんで?」


「それは……」


 投げかけられた問に答えるべく、口を開き息を吸ったが、なぜか言葉は出てこなかった。というより、なんと答えればいいのか分からないのだ。

 生物学科に進学した理由を求めて、記憶の沼を漁っても答えは一向に見つからない。


 あれ、僕はどうして……。


 代わりに、その場で思いついた答えを返すことにする。


「人魚を作りたかったからです」


「まぁー、夢があるわね」


 冗談として言ったつもりであったが、どうやら八重子は本気で信じ込んでしまったようだ。





 




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