黒宮怜の日記④「かくしごと」
――ねぇ、父さん。どうして引っ越さないといけないの?
「それはね、父さんの会社が変わったからだよ」
――ねぇ、父さん。引っ越す前に、おじぃちゃんと、おばあちゃんに会っていい?
「絶対にダメだ。■■■■村のことは忘れなさい」
ねぇ、父さん。父さん。
何を隠しているの?
*
すりガラスがはめ込まれた引き戸を開けると、右手に木製の下駄箱。左手にチェックイン用のカウンターがあった。カウンターの上には、色がはげた招き猫が腕を降っていて、壁にかかった振り子時計が、カチカチと時を刻み続けている。
招き猫の隣にあった銀色のベルを叩くとチーンという音が鳴り、茶色の着物をまとった男性が姿を現した。
「いらっしゃい。えーと、お名前は?」
「黒宮怜です」
「あー、怜君。いらっしゃい……というより、おかえりなさいだね」
とつぜん男性が放った言葉のせいで、頭が真っ白になる。
「えーと、僕を知っているのですか?」
「もちろん。最後に会ったのは、まだ怜君が小さかった頃だから、君は覚えていないかもしれないけど、俺はハッキリと覚えているよ」
「もしかして……雅登伯父さんですか?」
「そうだよ」
顔も性格も似ていないと周りからはよく言われるけどね。雅登は、そう呟きながらニッコリと微笑みながら、宿泊者のリストにサインをした。
「怜君は何の為に■■■■村へ?」
「それは……十年前、両親の身に何があったのか調べる為です。引っ越した際、何度か両親に理由を尋ねたのですが、いつも仕事の関係だと説明されました。しかし……なんだかはぐらかされているような気がして……」
「そうか……そうだろうな」
「理由に心当たりはありますか?」
「……たぶん、真喜は家族を■■■■村の呪縛に巻き込みたくなかったのだと思う」
「……呪縛?」
「そう、人の業がある限り解けることは、ない醜い呪いだ」
呪い。それは僕が動画配信者として活動する中で、何度も口にした言葉だ。
しかし、いざ直面してみると骨の真まで恐怖で支配されしまいそうになる。
「その、呪いというのは……村全体が怨霊――いや、『鬼』に取り憑かれているということですか?」
雅登は首を横に振る。
「間違ってはないないよ。でも実際は君が想像しているより、この呪いばずっと深くタチが悪いものだ。人の業がある限り消えることはない」
背筋にヒヤリとした冷気が襲う。
両親が、この村から僕を遠ざけようとした理由がなんとなく理解できた気がする。
「要するに『鬼』は実在しないんですね?」
「いや、それも違うね。『鬼』は存在する、この村に『鬼』の存在を認める者が消えるまでは」
呪いの正体が感情というのならば、『鬼』の伝承と呪いには関連性がないと思っていたが、どうやら違うらしい。
「一つ例え話をしよう。君はムラサキノカガミを知っているか?」
「知っています。大人になるまで覚えていると、不幸な目に遭う単語ですよね?」
紫の鏡、あるいはパープルミラー。
成人になるまでこの単語を覚えていると、不幸になると言われている。都市伝説の類だ。
ちなみに僕は小学生のときに、紫の鏡という都市伝説を知って、二十一歳になった現在もバッチリ覚えているが今のところ不幸にはなっていない。
「そうだね、実を言うと『鬼の伝承』も紫の鏡と同じで、言葉自体に呪力があるんだよ。たとえ『鬼』の存在が見えなくとも、話を聞けばアウトだ」
「えっと……■■■■村の住民は、見たこともない『鬼』の存在を恐れているんですか?」
「そうだよ、察しがよくて助かる」
見えないものに縛られて、恐怖して、逃れられなくなる。これを雅登は『呪い』と呼んでいるらしい。
「あの……『鬼』とはなんでしょう?」
「『鬼』というのは……簡単に言えば蔑称だよ。■■■■に存在する言葉の中で最も最低な言葉だ。昔の■■■■に住まう人々は、異端として扱っていた人々を、『鬼』と呼んで村から追い出していたんだ。『鬼』は厄災の根源であり、人ではあらず。だから、捨てても良いと」
「そんな事が許されていいわけない……」
雅登が申し訳なさそうな表示を浮かべる。
「君の怒りは最もだ。しかし、昔の日本では、このような事はいくらでもあったんだよ。怜君は鬼子という言葉を知っているかな?」
首を横に振る。
「知りません」
「鬼子は、産まれた時から体に異常のある子供のことだ。当時は、鬼子は縁起の悪い物だと考えられていてね。殺されたり、道端に捨てられていたんだよ」
*
「夕食は何時からにする?」
「二十時でお願いします。長旅で疲れたので、先に風呂へ行こうかなと……」
「そうか。わざわざ東京から来てくれたものな……浴場はフロントの脇にある通路から行けるよ」
雅登に導かれ客室に入る。
十畳ほどの和室には、掛け軸から旅館の客室には欠かせない和菓子まで置かれていた。
「じゃあ、俺は仕事に戻るから」
「はい、色々とご丁寧にありがとうございました」
荷物を部屋の端に置き、窓を開ける。
窓のたてつけは悪く中々開かなかったが、苦労の末、なんとか開くことができた。
窓を開いた先に広がっていたのは、満天の星空と、田んぼの間にポツリポツリと並ぶ民家であった。
東京では中々お目にかかれない風景である。村を取り囲む山々は、そろそろ色付き始める頃であろうか?
(結局、凪については何も分からなかった。明日は村人から情報を引き出せないか聞き込みをしよう)
しばらく外を眺めていようとした、その時であった――。
リュックサックから軽やかな音楽が流れる。スマホの着信音だ。チャックを開け、リュックサックの底に埋まったスマホを取り出す。画面には『父』という一文字が、表情されていた。
「もしもし」
「あぁ、もしもし。怜、最近冷え込んできたが、風邪引いてないか?」
電話越しに、少し眠そうな父の声が聞こえる。酒でも飲んでいるのだろうか?
父はいつも仕事から帰ってくると、酒を飲んで何もやらなくなる。テレビを見て、風呂に入って、そのまま眠ってしまう。だから、昔から料理や掃除といった家事は僕の仕事だ。
父には料理ができないので、もしかすると昔は母が家事を殆どやっていたのかもしれない。あくまで仮説だが……。
残念ながら、この仮説が正解かどうか調べる術は無かった。我が家には母と呼ぶべき存在が居ないからだ。物心ついた時からずっと。
そして、父は母について何も教えてくれなかった。名前、生年月日、姿までも。
「引いてないよ。父さんは、どう?」
「俺も大事ないよ。そうだ、お前の元へ父さんの実家から連絡が来てないか?」
胸にナイフが刺さるような衝撃が走る。
連絡以前に僕は今、父の実家がある■■■■村に滞在している。そして、父は昔から僕を■■■■村から遠ざけようとしてきた。
もし、今僕が■■■■村にいることが露見したら……?
「いや、来てないよ。どうして、そんな事を聞くの?」
「それは良かった。最近、父さんの元に何度も実家から連絡が来てな。もしかすると、お前の元にも来ていないか心配だったんだ。もし、お前の元に『黒宮本家』だとか『父の兄弟』を名乗るヤツから連絡が来ても、人違いだって答えろよ?」
「えーと、どうして?」
「理由は、まだ話せない。でも、これだけは言える。お前が、あの家に関わると不幸になるぞ」
警告する父の声は震えている。
彼が眉間にシワを寄せ真剣な表情を浮かべていることが、電話越しにでも伝わってきた。
「分かったよ」
「あぁ、頼む。それじゃあ、明日も大学頑張ってな」
「父さん……今は夏休みだよ」
「ウチには帰るのか?」
「あぁ……来週帰るつもり」
「よし、怜が好きなアワビを買っておくからな」
「ありがとう」
「そんじゃ、おやすみ」
「おやすみ、父さん」
画面に表示された受話器型のアイコンをタップして、通話を終了する。
(父さんに嘘をついてしまった……)
全身を罪悪感が覆う。
明日にでも■■■■村から離れるべきだろうか?
そんな考えが過ぎったが、首を横に振り、脳内を、ぐるぐると渦巻く感情を、無理やり払いのける。
ここまで来たんだ。
今更、帰るわけには……。
「……サマが呼んでるよ」
声がする。
「……サマ寂しいって」
子供の声。
「……サマ悲しいって」
廊下から聞こえる。
「早く助けてあげないと」
男の子と、女の子。
二人が話す声が。
恐る恐る客室の入口である、引き戸に手をかける。すると、廊下から子供達が立ち去るスタタタタという音が響いた。
思い切って引き戸を開ける。
「……誰もいない?」
廊下に顔を出してみたが、そこには誰も居なかった。もう走り去ってしまったのだろうか?
廊下の端に居た老夫婦に睨みつけられる。
「なんだ、兄ちゃん。なんか用か?」
「いえ……さっき、子供の声が聞こえたので、気になって……」
「子供なんて、通っちゃいねぇよ」
「そうですよね。すみません」
気まずくなり、廊下に出していた顔をひっこめる。
それにしても、感じの悪い人たちだな。
腹の底からムカムカとした熱が伝わってきたが、深呼吸をして何とか抑えた。
廊下から老夫婦の声が響く。
「そういえば、さっき村の人から怖い話を聞いちゃったのよ」
「怪談の類か?」
「いいえ、『鬼』の話よ」
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