第3話:意地悪な担任教師

「はいは―――い! みんな、おはようぉ! ホームルーム始めるよぉ!!」


 生徒よりもハイテンションな調子で担任の───二十代半ばの今年赴任してきた新任の女性教師───桜沢みこ先生が教室に駆け込んできた。新人らしく人一倍エネルギーに満ち溢れていて常に笑顔を絶やさないのはいいのだが、ことあるごとにポンコツなミスをするので先輩教師によく怒られている。

 容姿は大学生どころか高校生と言っても通用するのではないかと思うくらい幼いのに出るところは出ているアンバランスさが背徳感を醸し出していて四ノ宮さんとは別の方面で人気があるとかないとか。ちなみに情報源は俺の愛すべき馬鹿(親友)である。


「でもその前に一言言いたい生徒がいます!」


 ふんすと鼻息を荒くするみこ先生。朝から小言を言われるような間抜けをした生徒はいったい誰だ。


「今日の日直の庵野君! どうして日誌を取りに来なかったのかな?」

「……あっ」


 名前を呼ばれて教室中の視線が集中する。ユズハさんの写真を確認するのに夢中になってすっかり忘れていた。


「あっ、じゃないよぉ! まったく……朝からポンをするなんてらしくないぞ! 罰として今日の日誌はきっちりびっちり書くように! 手抜き禁止だからね!」

「そんな理不尽な……」

「ダメですぅ! これは決定事項ですからね! 先生が納得するまで何度も書き直してもらいますからねぇ!」

「この畜生教師! 職権乱用するな!」


 日誌を受け取りにいかなかっただけでこの仕打ちはあまりにも酷いと思う。隣の四ノ宮さんがクスクス笑っているのも腹立たしいが。


「なんだお? 先生とやるっているのかぁ? それなら庵野君だけ宿題倍しちゃってもいんだお?」

「……っく。わかりました」


 ニヤリと笑いながらさらなる圧をかけてくるみこ先生に屈する以外の選択肢はなく、俺は渋々要求を受け入れた。これで放課後は居残り決定だ。


「ご愁傷様です。朝から教室で過激な写真を見ていた罰というやつです。頑張ってくださいね、庵野君」

「……さては俺が日直だってことを忘れているのを知っていたな?」

「さぁ、何のことでしょう?」


 俺はジト目で疑惑を追及するが、天使のような微笑を浮かべて華麗に回避されてしまった。まさかと思うが四ノ宮リノアはからかうのが大好きな悪戯っ子なのだろうか。みんな見た目に騙されているだけで、 その本性は聖女とは反対側なのか?


「ちなみに明日の日直は私なので、庵野君がどんなことを書くのか楽しみにしていますね」

「確信犯かよ!? どうして教えてくれなかったんだよ!?」

「だってその方が面白いかなって……ダメでしたか?」

「ぐぬぬ……」


 瞳を潤ませながら言われてしまっては悔しいけれど何も言い返せない。もしも嘘でも涙を流されようものならファンクラブの会員達から袋叩きにあって明日の朝日は拝めなくなってしまう。


「本当に庵野君と話すのは楽しいです。これからもおもちゃ……ではなく隣の席の友人として、仲良くしてくださいね」

「……お手柔らかにお願いします」


 ぶっきらぼうに言いながら俺はそっぽを向いて強制的に会話を終わらせる。人をからかって楽しむ四ノ宮リノアの姿をファン達が知ったらさぞ驚く ことだろうな。いや、むしろ人間味があってさらに人気が出そうだな。実に業腹な話だ。

 そんなくだらないことを考えながら、みこ先生の愉快で軽快な中身があるようでない話をぼんやりと聞き流す。


「庵野君、日誌に書くことはすでにもう始まっているからね?」

「なんですって?」


 終わり際に満面の笑みで爆弾を投下されて内心で悲鳴を上げる羽目になった。これ、本当に帰れるのか。授業開始のチャイムが鳴り響くのを聞きながら、俺は一抹の不安を抱くのだった。


 *****


「うーーーん。まだちょっと不満なところはあるけど今日のところはこれで許してあげよう!」


 悲しいことに俺の予感は的中し、みこ先生がOKをしてくれたのはすっかり日が傾いて夕日が綺麗な時間になってからだった。リテイクにリテイクを重ねた結果、自分でも何を書いたのかわからなくなっていたのでお許しが出たのは非常にありがたい。


「庵野君、最近ちゃんと眠れてる? だいぶやつれているように見えるけど大丈夫?」

「……まぁ今に始まったことじゃないんで大丈夫です」


 正直十分な睡眠時間を確保できているかと言われれば答えは否。撮影したユズハさんの写真の編集作業をしたりしないといけないし何より広い部屋に一人だとどうにも落ち着かない。とはいえこの生活はすでに一年近く続いているのでもう慣れたのだが。


「ならいいんだけど。あっ、話を変えると。庵野君はさ、二年生になって授業はどうかな? 問題なくついていけてるかな?」

「え、えぇ……まぁボチボチって言ったところですかね? まだ二年生になったばかりなので何とも言えないのが正直なところです」


 さすがに進級してひと月も経っていないので自分が置いて行かれているかどうかはわからない。ただ幸いないことに授業中に頭の上にはてなマークが浮かぶことはまだない。


「一年生の頃はよくスヤスヤピーってしていたって聞いたけど、今のところはそんなこともないみたいだしね。担任としては一安心だよ!」


 そう言ってからニャハハとみこ先生は笑った。職員室にはまだ他にも先生が残っているので声のトーンを下げてほしい。

 これは名誉のために言っておくが、俺は決して不真面目なわけではない。授業中に夢の中に旅立ってしまうのは決まって前日にユズハさんの撮影会があって夜通しで編集作業した時だ。

 つまり何が言いたいかって言うと。仕事による不可抗力だから許してほしい。未成年の学生でも納期は守らないといけないのだ。


「これはあれだね。庵野君が真面目君になったのはやっぱり隣の席の女の子が影響あったってことかな?」

「……ナンノコトデショウカ?」

「惚けなくていいんだよぉ? 泣く子も黙る美女のリノアちゃんが隣にいたら寝たくても眠れないよねぇ? 庵野君も男の子ってことだね!」


 うんうん、と腕を組んで満足げな様子で何度も頷くみこ先生。どうして俺が居眠りしない理由に四ノ宮さんの名前が出てくるのだろうか。そういう意味を込めて俺はジト目で睨みつける。


「ん? だって超が付くくらい可愛い子が隣に座っていたら色々漲ってきちゃうんじゃない? 居眠りしている場合じゃねぇ! みたいな?」


 笹食ってる場合じゃねぇ、みたいなノリで言うのはやめてほしいと心の中でツッコミを入れつつ俺は重たいため息を吐く。


「別にそんなんじゃないですよ。二年生になって心を入れ替えただけです。四ノ宮さんが隣じゃなくても居眠りはしていませんよ」


 実は去年の冬休み頃に撮影してから写真の加工と編集、納品までの期間があまりにも早いことに疑問を抱いたユズハさんに尋ねられたのだ。渋々理由を話したら、


『学生の本業は勉強だからね? 納品が早いのは助かっているけどそのせいで巧の学業が疎かになっているなら本末転倒だからね? 金輪際やめるように。わかったね?』


 とわりと本気で怒られると同時に無理をして倒れたら困ると心配された。もし仮にそうなったら申し訳なくなって撮影を頼めなくなってしまうとも言われてしまったので、これ以降はペース配分を意識するようにしているのだ。


「本当かどうかもう少し問い詰めたいところだけど、まぁ今日のところはそういうことにしておいてあげよう。先生の寛大さに感謝したまえ!」

「興味本位で生徒のプライバシーを根掘り葉掘り漁るのはやめた方がいいと思いますよ?」


「仕方ないじゃぁん! 当の昔に過ぎ去った青春を生徒から浴びるのが数少ない私の楽しみなんだよぉ! 恋とか思春期ならではの色んな悩みを抱える若者の話をもっと聞かせてくれてもいいじゃんかぁ!」

「いや、俺は別に恋をしているわけでも何かに悩んでいることもありませんから。というか先生の暇つぶしに利用しないでください」


 そんな殺生なこと言わないでよぉ、と俺の肩を掴んでガクガクと揺らしてくるみこ先生。これではどちらが教師かわからない。


 ただ悲しいことに、みこ先生のこういう子供っぽいところが親しみやすいということで男女問わず多くの生徒から好かれている。ちょっとばかり鬱陶しくて騒がしいのが玉に瑕だが。


「話は終わりですよね? それなら俺は帰らさせていただきますね」

「えぇ!? もう少し先生とお話ししようよぉ! 暇つぶしに付き合ってくれてもいいじゃんか!」

「……ちゃんと仕事はしてください、先生」


 スーパーでお菓子を買ってほしいと親におねだりする子供のように嫌だ嫌だと暴れ出すみこ先生。駄々っ子、ここに極まれりである。ただそろそろいい加減にしないと雷が落ちてくるんじゃなかろうか。


「庵野君の意地悪! そんなんじゃテストで100点取っても一学期の成績で1をつけちゃうんだからね!」

「おいこら赤ん坊教師! 職権乱用にもほどがあるだろうがよ!?」

「誰が赤ん坊じゃぁ!? 今すぐそこに正座せい! お説教じゃぁ!!」

「お説教されるのは桜沢先生、あなたですよ?」


 ほら見たことか。堪忍袋の緒が切れた学年主任の先生が怒りの上から笑みを無理やり張り付けたような顔でポンとみこ先生の肩を叩いた。


「あっ……えっと、これはですねぇ……」

「言い訳は無用です。口を動かす前に手を動かしてください」


 みこ先生の正しい対処の仕方───すなわち何か言う前に上から言葉を被せて有無を言わせない───の手本を見せてもらっている気分だ。


「庵野君。もう大丈夫ですから帰宅してもらって構いませんよ。気を付けて帰ってください」

「はい。ありがとうございます。それじゃ桜沢先生、また明日」

「そんなぁぁぁぁぁっ!! 担任を裏切るなんて薄情だぞぉ!!」


 助けを求めるように必死に手を伸ばしてくるみこ先生を無視して、俺は学年主任に頭を下げて職員室を後にするのだった。


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