第68話 肥前国・龍造寺隆信&鍋島直茂

 1572年9月30日


 肥前国


 龍造寺隆信(43歳)

「織田信長の幕府軍、とんでもない数だな。」


 鍋島直茂(34歳)

「10ヶ月前4万の倍以上いますな。」


 夕餉を供に食しながら、江戸幕府軍への対応策を話す義兄弟。


 龍造寺

「空飛ぶ鉄箱に巨大な艦隊。いつでも攻め込める筈なのに、唐津・松浦・平戸の海を封鎖したまま1年近く放置だ。

 こちらから仕掛けたら爆殺された。。まったく何がしたいんだ。」


 鍋島

「江戸幕府への領地返還期限まで後3ヶ月。1573年になった瞬間、攻め込んで来るのかと。」


「そうであろうな。。。この際だから有馬や大村とも休戦して対応しておるが、空から連日落ちてくるビラには、肥前国の隅々までが写された見事な絵が描かれておる。

 正直わしでも知らぬ場所すらあるのだからな。。。」


「如何なされますか。年初に筑後を幕府軍に取られ、肥後から一切物も人も入ってこれなくなりました。

 制海権は昨年末から幕府海軍のものとなっておりまする。

 休戦中の有馬や大村は続々と幕府に降伏し、最早兵数は1,000もおりません。」


「頼みのポルトガル南蛮戦船も昨年末、前田慶次郎艦隊に全滅され、今年は1隻も来なくなった。。。

 海も陸も封鎖されたまま。。。これでは肥前国全体の食糧が年内持たぬな。。」


「ポルトガルもスペインも九州を目指す船はすべて、琉球沖合いで消息が途切れるとの事。」


「琉球、今は沖縄県と申すか?

 かの地が織田信長の手に落ちては南蛮船も、九州へ入って来れぬな。。。直茂。。。ここらが潮時かのう。。」


「殿。。。思えば今山の戦いにて大友宗麟の弟・親貞を討ち取った2年前。

 あの頃が戦国の世の武将として、我ら龍造寺家も輝いておりましたなあ。」


「そうであったな。懐かしいのお。。。。。直茂、国境の織田幕府軍まで使者としてこの書状を頼む。

 それと。。。これを持って行け!!!」


 ブス!!


「なっ!兄上義兄!!なにをなさるか!!!」


「この、、、くび、、持って、降伏、、、、、」


 自身の脇差しで心臓を深々と刺した龍造寺隆信。

 信長に宛てた書状と、自分の首級を鍋島直茂に託した。


「兄うえーーーーー!!!」


 大友宗麟や有馬氏・大村氏・松浦氏らと戦乱に明け暮れた史実より12年も早く逝った43年の生涯であった。


 **********


「そうか、、、まだ働き盛りだと言うに。。誠に残念であるが、龍造寺隆信殿・最後の願いが込もっておるこの書状。


 *** ***

 龍造寺家は取り潰しでも仕方ないが、家臣・領民の命と生活は何卒良しなに御頼み申しあげます。

 *** ***


 しかと上皇使徒様に届け、その願い叶うように我からも誠心誠意申し上げる故、安心なされよ。」

 織田信照(江戸幕府外務大臣・中納言)は、筑前国・糸島の織田家駐屯地に、降伏の使者として赴いた鍋島直茂に約束した。


 鍋島

「はっ!我が主、最後の願い何卒宜しくお願い致します。」


 信照中納言

「では早速だが鍋島殿。肥前国境に待機させておる江戸幕府陸軍9万を侵攻させる。

 機械工科軍と言ってな、全軍が馬の10倍近い速度で走る、鉄製の"トラック"なる乗り物で移動する。

 もし万が一遮る様な不届き者がおっても、幕府軍は止まる事などせぬ。

 そのまま轢き殺す事になる。そうならぬよう家臣団を纏めるのが、そちの重要な役目であると心得よ。」


「はっ!直ちに肥前に戻り徹底させます。」


「うむ、侵攻は10月3日9:00とする。どこの国にも命令に従わぬ集団はいるが、"織田幕府軍"は攻撃されれば容赦はせぬ。

 面目を保つ為と、一当てして降伏しても殲滅皆殺しにする。

 そこを間違えないように徹底させてくれよ。あまり小賢しいと空爆もいとわない、そうなると肥前国は跡形も無くなる、宜しいな。」


「はっ!徹底させまする。」


「うむ。では主殿の首級は、上皇使徒様の首実検が済み次第御返しする。

 勿論、丁寧に扱うゆえ懸念には及ばぬ。

 主水、鍋島殿をオスプレイに御案内せい!国境、、いや佐賀城まで御送り致せ。」


「はっ!ではこちらへ」


 *****


 オスプレイで筑前国・糸島の織田家駐屯地から肥前佐賀城まで、僅か15分で到着。

 しかも途中で糸島の雷山に爆撃を行い、その威力を見せ付けた。


 鍋島直茂

「。。。。。。。。。。」


 操縦士

「鍋島殿、到着しました。」


「あっああ。。忝ない。。。」


「ではこれにて御免!」


 しばらく放心状態の鍋島直茂。


「鍋島様!!今のは空飛ぶ鉄箱!」

「幕府軍の空軍とやらですか!」


「あ、ああ~。。。

 良いか亡き殿の遺言を守り大人しく降伏するのだぞ。あれには絶対に勝てん。」

『馬で半日かかる道程を僅か15分。しかも途中の雷山への爆撃、、、あれでは何も出来ぬまま虐殺されるだけだ。

 肥前の民を守るには無条件降伏を受け入れるしかあるまい。』


 龍造寺隆信の自害を受けて江戸幕府へ臣従を決めた鍋島直茂。もう少し早く決断していれば、隆信も死ぬ必要は無かったのに残念である。

 と織田信長が語っていた事を後日知る事になる。


 ーーーーーーーーーーーー


 織田信照・信長実弟

(織田信秀八男26歳・庶弟)

 江戸幕府外務大臣・中納言

 東京都江戸東区・織田城在住


 1572年1月5日より

 江戸幕府・九州方面大臣就任。

 門司国浮島型東京ドーム在住

 外務大臣の座は佐久間信盛・織田家筆頭家老へ引き継ぐ。

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