第29話 室町幕府第15代征夷大将軍 足利義昭
第28話が幕間で物足りないかと思い、連続公開します。
どうぞお読み下さい。
ーーーーーーーーーーーー
1570年6月9日京都二条御所
室町幕府第15代征夷大将軍
足利義昭(33歳)
まだ在位2年だが史実より3年も早く、織田信長との対立は最終段階に入っており、いつ決裂してもおかしくない状況にあった。
決裂と言っても権威にすがる名ばかりの征夷大将軍。
自らの軍勢も持っていない義昭が、二条御所から叩き出されるだけであるが。
足利義昭
「どういうことじゃ!!津川義近が斯波義銀に戻り、尾張守護・斯波家15代当主を名乗っておるだと!!!」
三淵藤英(39歳)
「上様。。。そう申されますが斯波義銀殿は正当な斯波家15代当主にて、此方としては異を唱えることは出来ませぬ。」
将軍
「信長めーー斯波を尾張から追放したのは奴ではないか!武衛家の京屋敷・武衛陣をこの二条御所としたのも奴じゃぞ!
事実上とっくに滅んだ斯波武衛家を再び尾張守護として祭り上げるとは。。。信長の奴、一体何を企んでおる。」
細川藤孝(36歳)
「。。。。。上様、兄上(三淵藤英)、もしや越前・朝倉義景の件では無いでしょうか?」
将軍
「朝倉?」
三淵
「浅井との連合で信長討伐軍28,000にて攻めいったが、生存者僅か4,000の大敗北を喫した朝倉義景。そんな敗軍の将に今さら信長が何用があると?」
細川
「朝倉義景は越前・金ケ崎城にて生き延びております。一乗谷を織田家に実行支配され、もはや何の力も御座いません。
がしかし斯波義銀を擁立したということは、実行支配だけにとどまらず、名目的にも越前全土を平定、斯波を傀儡として織田家の領地にするため。
故に応仁の乱で朝倉に越前を奪われた斯波の名での越前奪還!その大義名分を得るためかと。」
将軍
「なっ!そんな大それた事を幕府が許可出来るか!!すぐに止める様に信長に書状を書け!!」
三淵
「いや、それでは話が通りませぬ。
斯波武衛家は時の将軍が認めた正式な越前守護職!!
横紙破りをしたのは寧ろ朝倉家。しかも斯波武衛家は足利一門衆で御座います。
その返却を求める真っ当な動きを足利幕府が許可しない等できましょうや?」
将軍
「ぐぬうぅぅ。。。やりおったな信長。。。奴の狙いはそれだ。。。」
ダダダダダダダダ
幕府奉公衆の者が廊下から入室
「北近江より早馬にて上様に御目通りを願う一行が参っております。使者の者は尾張・遠江・越前守護・斯波武衛家使いの者と名乗っておりまする!」
細川
「やられたか。。。この動きの速さ。。勝負あったで致し方無きかと。。。」
将軍
「室町幕府の征夷大将軍はワシだぞ!!信長めーー勝手な振る舞いばかりしおって!!」
三淵
「上様!まずは斯波武衛家の使者を名乗る者の話を聞きましょう。」
細川
「その通りで御座います。織田家の動きを聞くのが先決にて。」
*****
その後、二条御所は凍り付いた。。なぜなら
斯波武衛家による越前・朝倉義景討伐軍の先鋒・織田信長軍15万人が6月8日金ケ崎城へ進軍を開始したと聞いて。
足利義昭
「15万人。。。。。終わったな義景。。。」
三淵
「この人数は。。。軍事侵攻が越前だけで留まるとは思えぬ。。。」
細川
「多数の領国防衛を維持しながらも、これだけの動員力。。。上様、兄上、幕府として勝馬に乗らねば後でどんな難癖を付けられるやら。。
それがし急ぎ幕臣を率い織田軍に合流致します。さすれば如何に信長殿とは言え越前平定後、上様に無体な言い分も控えるかと。」
足利義昭
「口惜しいが。。。。。仕方あるまい。。藤孝、宜しく頼む。」
これで形だけは幕府・斯波・織田連合軍となりました。
さあ金ケ崎城攻略戦の始まりです。
**********
1570年6月10日北近江・長浜
斯波家15代当主・斯波義銀
信長に再び斯波の名前を名乗る事を許可され、皇室に承認された為政者の紋章であり、本来皇室・将軍家から下賜される五七桐。
信長は15万人の軍勢に、斯波武衛家が紛れもなく足利一門であるとの証拠・足利二つ引の旗印を1万本と大量の旗指し物を持たせ、自身の織田木瓜と永楽通宝旗印は3千本に留めた。
誰が見てもこの大軍勢は、足利将軍家から遣わされた越前平定軍であり、3割ほど見える織田家の旗印によって足利将軍家・斯波武衛家・織田家の連合軍と世間一般に認識されていた。
民衆に見せ付ける為、わざと2人並んで騎乗している信長と義銀。
織田信長
「若武衛様。。失礼。。斯波義銀様、15万人の大軍勢!壮観な眺めですなあ。」
斯波義銀
「はっ!!はい!!誠に持って織田信長様の権威の象徴かと存じ奉りまする!!」
信長・超小声で
「おい義銀!人前での言葉遣い何度言えば分かる!御主は尾張守護、織田家の主だぞ!それではまるで余の家臣ではないか!」
義銀
「ひいいいいい。。すみません。。ごめんなさい。。」
信長
「。。。はあ~全く。。。もう良い。何もせんでいい、とにかく胸を張り堂々としておれ。それが御主の最も大事な仕事だ。良いな!」
そう言うと信長は側を離れ後方に下がる。
斯波義銀にとって己を尾張から追放し、僅か10日前に突然拉致監禁され、斯波を名乗れと散々に脅された織田信長という魔王。
それはもう恐怖の対象でしかなく、尊大な態度・言葉遣い等できる訳が無い。
織田武蔵(濃姫)
信長とテレパシー会話をする。
『殿様、あんまり若武衛を虐めないで下さいね。』
信長
『ふん!それにしても器が無さすぎだ!仮にも15代斯波武衛家当主、あんなオドオドしてどうする。。』
武蔵
「殿!小谷城跡地が見えまするぞ!」
信長
「帰ちょ。。。武蔵あの山城は廃城にする。琵琶湖長浜沿岸に新しく築城するがそれは戦乱時の城ではない。
蝦夷から北陸そして京への通商物流玄関口としての城だ。琵琶湖の海運を利用して、長浜から大津経由で京へと結ぶ。」
武蔵
「それは素晴らしい計画ですな殿。」
信長
「いいかげんその"殿"呼びは止めよ。実の兄弟だ、兄上でよい。」
武蔵&濃姫
「。。。はっ!畏まりました。。。」
『殿。。。普段私は殿と呼んでいるのに。。武蔵の時には兄上と。。また気を付けねばならぬ事が増えまする。。。』
信長
『がんばれw』
付け髭・浅黒メイク・陸自スタイルの"織田武蔵"再び登場です。
*****
今回、信長直轄内政官僚(Android)と共に、兵糧等の用意を命じられたのは明智光秀・木下秀吉2人の武将であった。
帰蝶のギフトショッピングモールで仕入れた飲食品を、信長チートコピーで増やし収納すれば兵糧の用意は容易い。
しかしそれでは、本来商品を提供する物達の売り上げが無くなり、織田家兵站を担う
また経済を活性化させるためには兵糧を買い集め、市中に織田金貨をふんだんに使い金を回すのも重要な経済対策。
15万人もの大軍勢移動は格好の練習になるため、敢えて2人のチートを封印したのである。
信長は姉川戦終了後に行われた織田家会議での領地召し挙げ、織田金貨での扶持払い決定直後に、2人を軍事部門から外し内政担当に配置を変更した。
明智光秀には織田家領地内の住民票作成・最高責任者としての地位を。
木下秀吉には織田家領地内の太閤検地。。失礼。。"織田検地"最高責任者の地位を与え封じる。
それぞれ年棒1億円。
特別賞与コシヒカリ20石(3,000kg=10kg袋で300袋)。
信長のお膝元岐阜城下に
いまや織田家臣団最高の栄誉である憧れの的
"信長創造・最強屋敷"をシステムキッチン・ユニットバス・洗浄トイレ・豪華応接ソファーセット・冷暖房完備等々フル設備付きで与える。
当然2人の家臣団は木下秀長(秀吉弟)等の近親者を除き解散。
細分化され、他の織田軍武将に引き継がれる。
当初内心では不満もあった光秀は出奔し、足利幕府を頼ろうかとも考えたりしたのだが"信長創造・最強屋敷"の想像を絶する快適さ、毎日土産で持帰り可能な家族全員大好き、濃姫手作り(と思い込んでいる)CoCo壱番屋カレー弁当&特上焼肉弁当の魅力には抗えなかったw
ひたすら黙々と実直に、時には自分なりの改善を加えながら内政に勤しんでいる。
秀吉はある程度の地位にはいたが、まだ大出世前なのもあり、元々の人懐っこい性格が幸いし、農民や民と直接触れ合う"織田検地"の役目を気に入っている。
弟の秀長も戦より内政が性に合っており、兄弟2人毎日汗水流して働いていた。
織田家の官僚人員以外に直属の部下として、内政型Android10人を配属させ(当然家臣では無いので彼等の扶持は織田家から出る)、業務の補佐兼監視役も勤める。
念のためステルス偵察ドローンも24時間体制で密着している。
高い年棒・高い地位に最高級住宅等の厚待遇を与え、軍事力ゼロの実力派・切れ者・凄腕内政担当官が、2人同時に生まれた訳である。
**********
長浜を通過したところで
伝令が信長の本陣に駆け込んで来る。
「幕府軍・細川藤孝殿!御着陣!」
信長
「ほお来たか通せ。ニヤリ」
細川藤孝が共の者15騎を引き連れ、疲労困憊汗だくで案内されてきた。
信長
「藤孝!久しいのお、越前朝倉義景討伐軍への参陣!大義!」
完全に織田家臣扱いをする信長。
細川
「織田弾正忠・平朝臣信長様におかれましては、此度の斯波武衛家・旧領越前奪還の正義なる軍勢!上様も大いに期待しているとの事に御座います。」
此方も将軍家幕臣とは思えない殊勝な態度で頭を下げている。
「良い!見るに相当無理をしてやっと追い付いた様だな。軍勢も丁度これから小休止に入る。奥で少し休んでおれ、湯漬けに合う美味い沢庵もある。
誰ぞ!幕府軍大将・細川藤孝を奥に案内せい!」
「はっ!細川様此方へどうぞ。」
信長小姓の1人が細川一行を案内しようと近寄った時!
信長
「で藤孝!いつだ!」
細川
「はい?」
信長
「いつ、正式に余の家臣になるのだ?」
細川
「そ、それは。。。公方様の側付きゆえ」
信長は威圧たっぷりに細川の耳元で呟く。。
「泥舟はすぐに沈むぞ!良く良く考えろよ!息子の熊千代(後の細川忠興)はまだ7歳であろう。2年前、いまの御主の勝竜寺城を容易く落とした余の軍勢の強さ、まさか忘れてはおるまい。」
「うっ!。。。。。」
「何なら越前の帰りに、この15万の軍勢で寄ってもいいぞ。。山城は実質余の領地だからなw
二条御所も誰が金を出して作ったと思っている。
全て織田家つまり余だ。気分次第で東寺の安土城京都支店から引っ越して住むのも一興だなww」
「何卒なにとぞ、それだけは御容赦下さいませ。」
「御容赦?それは異なことを申すではないか藤孝。いまは二条御所として将軍家が居座るのを余が大目に見てやっておるが、斯波武衛家が復活するのだぞ。京の都に武衛家が住まう屋敷が無いのは可笑しいであろうニヤリ。」
「あっ!!!」
幕臣1の切れ者、細川藤孝も今の今までそこは読めて無かった。
二条御所とはそもそも武衛陣と呼ばれる斯波武衛家の京都屋敷だったのである。
「ふん!その程度も先読み出来ぬとは藤孝!名ばかりの将軍家で腑抜けておったか!余を落胆させるなよ。
此度の戦は余の本陣にての参戦を命じる!その弛んだ思考力を切れ者に戻すためだ!励め!!」
「はっ!はあーーー畏れ入りまして奉りまする。。。」
信長が目を掛けた理由は武将としても優秀で尚且つ、文化人として優れた知識を持つ藤孝の才能が、幕府と共に滅びるのを惜しんだのである。
この戦場での短時間のやり取りが、細川家その後の運命を決めた。
細川藤孝に沈み行く室町幕府の泥舟から、逃げ出す決意をさせたのだから。
ーーーーーーーーーーーーーー
【織田家越前平定軍】
総大将・斯波義銀
総参謀長・織田信長・本陣6万
【織田武蔵(濃姫)・織田信興(実弟)・蒲生氏郷(信長娘婿・初陣)・蒲生賢秀・松永久秀・細川藤孝等に5万・菅野第2軍団1万・】
副将先鋒・佐久間信盛1万5千
2陣・柴田勝家1万5千
3陣・森可成1万
右備え・村井貞勝1万
左備え・前田利家1万
後詰め・吉川第8軍団1万
【若狭湾海上・織田海軍・織田信忠提督】
織田信忠提督1万
滝川一益提督補佐
阿部慎之助・東尋坊海軍基地
第5軍団1万
**********
**********
戦国時代は二条御所ではなく
"公方様御城"または"武家御城"と呼ばれていました。
ここでは分かりやすく"二条御所"と描いています。フィクションですから。
m(_ _)m
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます