File43 キリストと悪魔

 星崎は咳ばらいを一つしてから人差し指を立てて続きを話し始めた。

 

「キリストは当時、ラビと呼ばれる宗教指導者たちが率いるユダヤ社会において宗教主体で人間と神がないがしろにされている状況を痛烈に批判した。それに怒ったラビたちはキリストを磔刑にしてしまう。民衆も、キリストはローマの圧政から救ってくれる救い主だと思っていた。その目論見が外れてラビたちと一緒にキリストを処刑した」

 

「それは読んだ。それからキリストは三日後に復活して神のいる天界に帰って、弟子たちはその時キリストから命令された通り世界中で宣教を始めるんだろ?」

 

 星崎はチチチと舌を鳴らしながら指を振る。

 

 あ。すごい腹立つ。

 

「表の歴史ではそう。でもキリストは実は死んでいなくて弟が身代わりになった説や、日本に渡来した説まである。ちなみにわたしはキリスト宇宙人説を採用している」

 

「……どっちでもいいよ。さっさと本筋に戻せよ」

 

 僕が冷めた口調でそう言うと、星崎は頬を膨らませて目を細めた。

 

「何にせよ、キリストの復活劇は民衆の心を激しくつかんだ。現状に希望を見いだせない貧困層から、もとはキリスト処刑に賛成していた宗教指導者にいたるまで、その影響は計り知れなかった。それに腹を立てたのが……」

 

「ラビたち……」

 

 星崎は僕の言葉に静かに頷いてから続きを口にする。

 

「正確にはサンヘドリン。彼らにとって神は旧約聖書に登場する創造主だけでなければならない。キリストを神の子と認めれば自分たちの主張が間違っていたことになる……つまり、彼らにとってキリストは悪魔でなければならない」

 

 僕は一瞬納得しそうになった頭をブルブルと振り払って抗議した。

 

「いやいや! でもそれはユダヤ教の話だろ? ローマはキリスト教だ! 話が混線してる」

 

「それがそうでもない。ローマにとってもキリストは脅威だった。絶対的な権威である皇帝よりも、もう一度天から降り立ち、その時は万物の王になると言い残したキリストのほうが民衆の心を掴んでいる……これによって図らずもラビとローマに共通の敵が生まれた」

 

「それがキリスト……」

 

「そう。ローマにとっても、ラビにとってもキリストは絶対に受け入れられない敵。だから彼らにとってキリストは悪魔。ローマは民衆の信仰を集めるキリスト教を取り込み、都合よく利用する作戦を思いついた。それが免罪符や魔女狩りで悪名高い、後の暗黒時代にも繋がっていく」

 

「でも……そんなの、時代錯誤だろ? 二千年以上前の偉人を今も敵視してそれを軸にしてるなんて。だいたい死者が蘇ったとか、本気で信じてるのか⁉」

 

 星崎は一瞬だけ視線を落としてから小さな声で答えた。

 

「多分、信じているのではなく、実際に見たんだ……と思う……」

 

 ありえない……

 

 それなら替え玉説のほうがまだ信じられる。

 

 でももし、星崎の言うように宇宙人や、あるいは本当に神なら?

 

 つい先ほど見て触れた超常の異形たちが頭にちらつき、僕はいつしか、自分の信じていた普通や当たり前を、心底からは信じられなくなっていた。

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