たすくもん~千と律、悪夢の館
流城承太郎
奇、黒羽左衛門
「どこだ、ここは」
伊賀同心、飯岡
一日の仕事を終えた夕時。組屋敷の自宅に戻って刀を置き、さて一風呂浴びようかと思い、廊下に出た……。
――軽く一杯ひっかけたが、深酒ってほどじゃねえんだがな。
黒羽左衛門は思わず自分の頬っぺたを武骨な手で引っぱたいた。
「痛ッ」
どうやら夢を見ているわけではないようだった。
――さもなきゃ、狐にでも化かされてンのか。
黒羽左衛門がそんな風に思ったのも無理はなかった。
廊下と自室を隔てる障子を開けたのだが、そこにあるはずの廊下がない。
代わりにそこには見覚えのない書斎が広がっていた。
「まさか、かかあと婆の仕業じゃないだろうな」
その部屋がなんとなく南蛮風であるとは分かるが、黒羽左衛門は生来、海外の文明などには興味のない男である。それが
すなわち、自分の住居を南蛮風に飾る趣味などは持ち合わせていない。
それで自分が出ている間に家の者が勝手に改装したのではないか、と思ったのだが、それにしても妙である。
――いや、俺は確かに廊下を通って部屋に入ったはずだ。
「じゃあ。おかしいじゃねえか」
黒羽左衛門は左手を右肘に、顎に右手を当てると、狐につままれたような顔して首を捻った。
首を捻りながら辺りを見回す。
後方には畳張りの見慣れた自室。障子を開けた前方には、生まれてこの方、見たこともない南蛮の調度品が揃えられた書斎が広がっている。
書斎の中へ一歩足を踏み出すと、毛むくじゃらの敷物――
前方には扉が一つ。両脇に設えられた本棚には革装丁の書籍が並び、部屋の隅には書き物机が置かれている。
黒羽左衛門は机に近寄ると、机上に置かれていた一冊の本を手に取った。机の上に置かれた
――読めん。
皮の表紙に彫られているのは異国風の文字。
ふっと、部屋が暗くなった。
背後へ振り返ると、あったはずの障子が消えていた。
「どうなってやがる」
手にしていた本を机に戻し、代わりに
悪戦苦闘の末、見知らぬ
外は暗闇に近い。
部屋から持ち出した
――さて、どっちに行くか。
行く当てもない探索であるから別にどちらでも良かったのだが、刀を振るう習慣から、黒羽左衛門は左手の壁に沿って歩き始めた。
五間ほど(9メートル)進んだ所で、
「奇奇ィ阿阿阿阿ァ」
女の
「なんだてめぇは。ここは化け物屋敷か」
黒羽左衛門は押し殺した声を漏らした。
本来なら悲鳴の一つも上げる所であったが、黒羽左衛門は恐怖と云うものに鈍い所があった。
「ぎゃあ嗚呼」
それと同時に、黒羽左衛門の真後ろから悲鳴が上がった。
黒羽左衛門、どちらかと言えば、この悲鳴の方に驚いて思わず振り返った。
「新吉じゃねえか」
いつの間にか、
「おめぇ、いつから隠密の技を身に着けやがった」
「そんなんじゃありやせんよ。勝手口開けたら、旦那の背中が見えたんで、中入った途端に今のですよ。おっかねえのなんのって」
「ほぅ。それでおめぇが入っ……」
言いかけて黒羽左衛門は不意にしゃがみ込むと、足元にいる新吉の脇差を抜いて背後に斬り上げた。
「欺ィ耶阿阿阿阿ァ」
今度、叫び声を上げたのは、先ほど天井から跳び出して来た化け物だった。出血した腕を
振り返り様、黒羽左衛門は脇差をもう一振りした。
一閃。
化け物の首がぼとりと落ちた。首は床を転がって、刀の
「旦那、怖くねえんでやすか」
「怖がったってしょうがねえ」
黒羽左衛門は脇差の血を振り落とすと、新吉の腰に引っかかったままの鞘に刀身を押し込んだ。
「それよりも、刀の手入れはもうちっとマメにやりな。おめぇの刀ぼろぼろじゃねえか」
「いつも竹光差してる旦那には言われたくねえですよ。これは安く譲り受けたもんで、ぼろなのは
起き上がった新吉は、黒羽左衛門の顔を見上げながら下唇を突き出した。
偉丈夫の黒羽左衛門と小柄な新吉が並ぶと、大人と子供のように見えた。そう見えるのは、幾らか
「今はその竹光もねぇや。ハハッ」
黒羽左衛門は声を上げて笑った。刀――竹光――は、帰宅して自室に置いてきたところである。
「へっ、どうするんですかい。また、あんなのが出て来たら」
「出て来ねえのを祈るんだな」
「そんなぁ」
「それより新吉、おめぇが入って来た勝手口ってのはどこにあるんだ」
「そりゃ、あっしのすぐ後ろに」
言って新吉は振り向くが、その目に映ったのは虚ろな廊下だけだった。
「あれ。確かにここから……」
「お前の入って来た戸口も消えちまったようだな」
「そういや旦那、いつの間に建て替えたんでやす……いや、どこでやすここは」
「俺が聞きてえよ」
そこへ、
「あなたー、どこにいるの。あなたー」
廊下の先から女の声が聞こえて来た。
黒羽左衛門にはそれが誰の声がすぐに分かった。
「旦那、ありゃ奥方の声じゃねえでやすか」
黒羽左衛門は黙って
廊下の端には光が漏れており、先は広く開けていた。天井も高く、二階建てか三階建てほどの高さがあった。何か大邸宅の
「それにしてもここはどこなんでしょうね。なんだか狐につままれたような」
「ほんとうに。訳が分かりませんわ。とにかくあの人が来るまで、ここで待ちましょう」
「あんな
「あら酷いわ、お母さま。戸口のつっかえ棒くらいにはなりましてよ」
天井からは硝子細工の燭台が吊り下げられていて、部屋全体を明るく照らしている。
黒羽左衛門は手にしていた
「律。
一方、声を掛けられた当の本人たち、――黒羽左衛門の妻である律と、その母親の千はその場を動かず、じっと黒羽左衛門を
「あら、あなた。やっぱりいらっしゃるんじゃありませんか」
「婿殿。何をもたもたしているんですか。早くこちらへいらっしゃい」
「ねえ、あなた。ここは一体なんなんですの」
「普段はぬぼーっとして役に立たないんですから、こういう時ぐらい役に立っていただかないと」
律と千は交互に言いたいことを言った。
「いや、そんなこと言われましてもね」
黒羽左衛門は頭を掻きながっら、こんな時に述べるいつもの口上を口にした。だが……。
――何か妙だな。
違和感を覚えた。
確かに律と千の口さがない態度に普段との違いはない。口を開けば黒羽左衛門への説教、小言ばかりであり、面と向かって悪態をつくことも
だが何かがいつもと違うのだ。
「おい、新吉」
「へぇ」
黒羽左衛門は、遅れて来た新吉に一声掛けると、その腰から脇差を引き抜いた。
「借りるぞ」
「へッ、いったい何をなさるんで」
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たすくもん~千と律、悪夢の館 流城承太郎 @JoJoStromkirk
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