第2話 王子の婚約者とその護衛
誕生日パーティーの数日後、クライド殿下の行動は早かった。まぁ、ご自分からの提案なのだから、当然といえば当然のことだった。
早速、我がファンドーリナ公爵家への打診。それを兄が断る理由などなく、トントン拍子に私はクライド様の婚約者となり、そして……待ちに待った、この時が来た。
「本日よりクライド殿下からの命にて、ヘイゼル嬢の護衛を務めさせていただきます、デニス・ヴェルターです」
「よろしくお願いします、ヴェルター卿」
そう、私の元にデニス様がやって来たのだ。これもまた、クライド殿下の配慮である。
私がデニス様と話す機会があまりないことを愚痴ったら、このような気を利かせてくれたのだ。
もうクライド殿下は平民ではなく、国王になるべきでは? と思わずにはいられない。
ボンクラ王子でもなければ、頭も切れて、配慮もできる。そんなクライド殿下の元だったら、誰でもついていきそうだけど……当のクライド殿下は平民に下りたい、と願っている。それも、想い人と結ばれるために。
どうしてそこはお花畑なのかしら。
「ヘイゼル嬢?」
「あっ、すみません。ちょっと考え事をしてしまって」
「そうでしたか」
あっ、どうしよう。挨拶の最中に、考え事とか言っちゃった。これって失礼よね。しかも、好きな殿方を前にして、別の殿方のことを考えるなんて……。
「ヘイゼル嬢」
これからアピールしていく予定なのに、悪印象を与えたのではないかしら……あぁ、最悪だわ。
「ヘイゼル嬢」
どうにか
「ヘイゼル嬢!」
「えっ、あ、なんですか?」
「顔色が悪そうに見るのですが。椅子にかけた方がいいと思います」
「だ、大丈夫です。あっ、でしたらヴェルター卿もいかがですか? 少しお話したいのですが」
本当は少しじゃなくて、たくさんお話したい!
「ですが、俺は……いえ、私は護衛なので」
「確かにヴェルター卿はここにお仕事で来ていらっしゃいます。けれどこれからもずっと傍にいてもらうのですから、できれば仲良くした方が、ヴェルター卿も楽なのではありませんか?」
キャー! ドサクサに紛れて「ずっと」って言ってしまった!
デニス様は気づかれたかしら。
チラッと様子を伺うが、柔らかな表情をされただけで、手応えを一切感じない。
それもそうだ。今の私はクライド殿下の婚約者。デニス様はそのために来てくれたのだから、そもそも私の想いに気づくわけがない。むしろ、逆効果になってしまうのではないだろうか。
思わず、何も非がないクライド殿下に毒ついた。だが、次の瞬間、意図も簡単に手のひらを返す。
「そうですね。私もヘイゼル嬢にお尋ねしたいことがありましたから。しかしそれとこれとは違いますので、失礼させていただきます」
デニス様に断られてしまったが、私の心は一喜一憂する。元々、デニス様とは接点が少ないというのに、質問とはなんだろうか。もしかして、さっき失礼なことをした話?
それでも身分は私の方が高いため、尋ねなくてはならなかった。
「……なんでしょうか。遠慮せずに聞いてください」
「では、私とお会いしたのは何時のことでしょうか。クライド殿下から聞いたのですが、記憶にないものでして……」
私は目をパチクリさせた。デニス様の言葉に対してではない。クライド殿下に何を?
「……お聞きしたのでしょうか」
「はい? ヘイゼル嬢。申し訳ないのですが、もう少し大きな声でお願いします」
デニス様は私の声を聞き取ろうと顔を近づける。わざと声を小さくしたわけではないのだが、急な接近に胸がうるさく鳴った。
「すみません。クライド殿下から何をお聞きしたのか、気になったものですから」
「あぁ、そうですよね。言葉足らずでした」
「いいえ、お気になさらず」
私は長話になると思い、再びデニス様に椅子を進めた。
けれど本来、護衛は扉の前か外で立っているもの。先ほど断られてしまったが、私は気にせずに座るよう促した。すると当然、デニス様は困惑した表情になった。
「ここには私とデニス様しかいません。誰も咎めませんわ」
普段なら、貴族令嬢と令息が二人きりで部屋にいることは、あらぬ疑いをかけられる。たとえば不貞。密室にいるだけで、純潔を失ったと判断されてしまうのだ。
けれど私とデニス様の関係は、王子の婚約者とその護衛。二人きりでいても、何も問題はなかった。
嬉しいようで、ちょっと悲しい。
「……では、お言葉に甘えて」
一瞬、過った沈んだ感情など、デニス様が向かい側に座った時点で吹っ飛んだ。
「実はクライド殿下から、その……ヘイゼル嬢が私のことをす……いえ、気にかけていると聞いたので、そのキッカケは何だったのかと……」
ク、クライド殿下ーーー!!
今から王城に殴り込みに行って、その尊いお耳に向かって、大声で叫んでやりたかった。それはもう、鼓膜が破れるほどに。
いや、その前に私のことだ。穴があったら入りたいくらい恥ずかしい。けれど求められているのなら、答えなくては……!
そうだ。デニス様にそんな失礼なことはできない!
私は暴れまくる心を落ち着かせるために、深呼吸をした。
「ヴェルダー卿は、二年前に行われた王家主催の狩猟大会を覚えていますか?」
「はい。けれどあの時クイーンに選ばれたのは、ヘイゼル嬢ではなかったと思いますが」
そう、狩猟大会は騎士から獲物を多く贈られた令嬢が、その年のクイーンに選ばれる。
「当時の私は十六歳で、騎士様たちから獲物を贈られる立場ではありませんでした。けれど兄に連れ出されて……」
「ヘイゼル嬢はクライド殿下の婚約者候補筆頭でしたからね」
「えぇ。社交界には出られなくても、狩猟大会は顔を覚えてもらえる絶好の機会だと、兄に言われて仕方がなく……」
わざとではないけれど、これで私と兄の関係、ファンドーリナ公爵家の内情が、デニス様に伝わればいいと思った。
「ヘイゼル嬢は、あぁいう場はお嫌いですか? 令嬢の中でも嫌がる方はいらっしゃいますから大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。ヴェルダー卿もご存じだと思いますが、私は公爵令嬢ですが、メイドの子です。……だから、あまり暴力的なことだとか、血を見るのは苦手……いえむしろ怖いと感じてしまいます」
私はテーブルの下で手を組んだ。
今でも忘れない。義母が母に辛く当たりながら、「あぁなりたくなければ、言うことを聞きなさい」と言われた日のことを。
「なるほど、それでクライド殿下が私を護衛に」
「私は一度、ヴェルダー卿に助けられたことがあるので、クライド殿下が配慮してくださったのだと思います」
「助けた? それが二年前の狩猟大会のことですか?」
私は頷いて見せたが、デニス様は考え込み、首を横に振った。
「申し訳ありません。やはりヘイゼル嬢にお会いした記憶が……」
「大丈夫です。ヴェルダー卿にとって、令嬢を助ける機会は多いでしょうから」
ニコリと笑って見せると、デニス様も安堵した表情をされた。
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