第23話 シカのお願い!

「てまえ、生国と発しまするは道南の生まれ。名をバン。人呼んで影走りのバンと申します。ご賢察の通りしがなき者にござんす。後日にお見知り置かれ、行く末万端昵懇じっこんに願います」


「丁寧な挨拶痛み入るわ。私はこの家のもので、名前はぴろしき。ご賢察の通りしがない者よ。これからよろしくね。顔を上げてちょうだい」


「いえ。そちらさんからお引きくだせい」


 で、また私かそっちから上げなさいと言い、向こうもいえいえあなたからと言う。

 これを三回繰り返して、同時に頭を上げるのだ。

 たかが自己紹介するのに、どんだけ手間をかけてるんだって話なんだけどね。


「おもしろーい! なにいってるかわかんないけど時代劇みたい!」


 さくらがはしゃいでいる。

 みたいっていうか、まんま時代劇よね。

 私は普通の言葉遣いだったけどさ。


 ようするに形式なのだ。守るってことが大事で、そこをちゃんとできない人は、礼儀をわきまえてないやつだと思われて袋叩きにされる。

 野生ではね。


 街で暮らす野良猫たちはそこまで厳格な形式があるわけじゃないけど、ちゃんとルールはあるんだよ。

 道ですれ違ったときは互いに顔を背けて目を合わせない、とかね。


「で、影走りのバンとやらが、なんで街にいるのよ?」

「あ、やめて。その中二くさいニックネームはやめて」

「あんたが自分で名乗ったんでしょうが」


 恥ずかしそうに身もだえしているバンに半眼を向ける。

 呼ばれたくないなら名乗らなきゃ良いのに。

 難儀なやつだなぁ。


「じゃあ、普通にバンババンって呼ぶわよ」

「普通にバンって呼んで。お願い」


 でかい角をしてくねくねすんな。うっとうしい。

 颯爽と仁義を切っていた過去をどこに捨てたんだ。


「この人おもしろい!」


 ほら、さくらが目を輝かせているじゃないか。

 コントをやりにきたの?


「じつは、バロンの野郎から街にとんでもない智者がいるとききましてね」


 ごほんと居住まいを正して、バンが私と正対した。






 山の中で事件が起きているだという。

 石狩の方からダンガーって名乗る巨熊が流れてきて、道南の山を荒らし回ってるんだって。


 前にヒグマは滅多なことじゃエゾシカを襲わないって言ったと思うんだけど、今回はその滅多なことが起きているそうだ。


「ふーむ」

「その凶暴さたるや。このあたりをまとめていた親分のゴンタロウも殺され、奥方は犯され、子らは食われ、いまや帝王のような存在でして」

「それはなかなかね」


 ボスが交代するとき、メスたちはすべて奪われて、子供たちが殺されるのはけっこうよくある。

 ライオンの群れだってそんな感じじゃないかな。


 でも、食べちゃうってのはちょっとね。

 ヒグマと鬼は共食いを忌避しないってやつなんだろうけど、さすがにぞっとしないわ。


「山はダンガーに怯える日々を送っておりやす。おれたちエゾシカの勇者、ハリケーンも食われちまいました」


 悔しげなバンだ。

 ハリケーンってのは私も名前を聞いたことがある。ものすごい俊足で渡島檜山の山林を縦横無尽に駆け回る颶風ぐふう。ヒグマどころか自動車だって彼には追いつけない、だったかな。



「都市伝説的ななにかだと思っていたのだけれど、実在したのね」

「おれの父親です」

「あら、ごめんなさい」

「いいんです。弱肉強食は自然の掟ですから」


 軽く首を振り、バンは私を見つめる。


「どうか姐さん。山を救ってはいただけないでしょうか」


 と。


 無茶ぶりすぎるでしょ。それは。


「私は一介の家猫よ。ヒグマなんかに出会ったら、ぱっくんちょって一口で食べられちゃうわ」


 それ以前の問題として、私はこの家からは出られないの。

 戸は開けられるけどね。

 私が勝手にいなくなったら先生が心配するもの。


「バロンが言っておりやした。姐さんは指一本動かさず、尻尾一振りすらせずに自分を追い払った切れ者なのだと」

「ぴろしきすごーい! あねごー!」


 大げさな言い方に、やんややんやとさくらが囃したてる。

 あなた、あきらかに事態を面白がってるわね。


 

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