第7話 日課
中学を卒業してから日課を決めた。それは挨拶をする。
真面目な性格じゃないし、続くかどうか分からないけど、高校生活の基本は挨拶にしようと決めた。友だちを作るのもまずは声をかける事から始まるし、何より、宏人に声をかける言い訳になる。
待ちに待った入学式の日。祥太は早めに家を飛び出した。
宏人の母親に、宏人が家を出る時間をさりげなく探っておいたから、待ち伏せするつもりでいた。
宏人とはあれから一度も話していない。
春休みの間も会う機会がなかった。今日はただ、おはようって声をかけるだけでいいのだ。
難しい言葉じゃない。
朝の挨拶なんだから、勇気を出せば宏人も答えてくれるだろう。そう思った。
四月になったばかりの朝は清々しく空気は新鮮だ。少し肌寒く、祥太はポケットに手を突っ込み、壁にもたれて宏人の家の前にいた。がちゃっとドアが開いた。
「あ……」
祥太は体を起こした。ブレザー姿の宏人が現れる。ブルーのネクタイに落ち着いた紺色のブレザーを着て、グレーのチェック柄のズボンを穿いている。会わなくなってから少し髪が伸びたのだろうか。痩せて精悍になった気がした。
祥太は逸る胸を押さえた。 一度、大きく息を吸い込んで吐き出す。それから宏人に駆け寄った。
「宏人っ」
真新しいカバンを持っていた宏人は目を瞠った。
「お……おはようっ。宏人っ」
声が裏返った気がしたが何度も練習したのだ。おはようを練習するなんて、この先あんまりないかもしれない。それなのに宏人は口を真横にすると、ぷいと横を向いた。
「あ……」
祥太の前を素通りしていく。祥太は愕然としたが、我に返って後を追った。
「き、今日から学校だな。楽しみだな」
声をかけたが、その背中は頑なに拒んでいた。
「ひ、宏人……俺……っ」
手を伸ばそうとしたら、宏人が突然走り出した。
「あっ。宏人っ」
宙をさまよった行き場のない手を下ろして祥太は立ち尽くした。
「何で……だよ…」
ここまで無視される理由が分からなかった。
どうして許してくれないのか。謝るチャンスすら与えてくれない。
落胆した祥太は立ち止まったままうつむいた。それから、ポケットに手を突っ込むと歩き出した。
でも、と顔を上げる。
宏人に無視されたのは今に始まった事じゃないんだ。また、明日やったらいいだけの事。歯を食いしばり、祥太は走り出した。
絶対にあきらめるつもりはなかった。
宏人は大切な幼なじみだ。
仲違いしたままでいるのは絶対に嫌だった。
それから毎日のように祥太は宏人の家に行った。
竜之介には未だに無視されていると言う話は
「ただいまあ」
夕方、空はだいぶ薄暗くなった頃、部活を終えた翔太が元気いっぱいの声を張り上げて帰ってきた。そのまますぐに階段を駆け上がり、制服を脱いで私服に着替える。
部活で使用した汚れたシャツとパンツを取り出して、洗面所に持って行く。洗濯機の中にそれらを放り込むと、その勢いはとどまらずに玄関へと向かった。靴を履いて飛び出そうとした矢先、兄に呼び止められた。
「祥太っ、待て」
「え?」
すっかり日に焼けた顔で振り返ると、呆れた顔で兄が立っていた。
「何? 兄ちゃん」
「どこへ行く」
「宏人の家」
そう言うと、またか、と裕一が顔をしかめた。
「それより、ちょっと俺の部屋に来いよ」
「ダメだよ。宏人の家に行くんだから」
祥太は靴を履いてから、ドアに向かおうとすると兄が引き止めた。
「待て。約束しているのか?」
「そうじゃないけど……」
「だったら、今日ぐらいいいだろ?」
裕一は、立ち尽くす祥太の腕を引いた。サッカー部で鍛えた腕にはわずかだが筋肉がついた。
昴流学園に入った祥太はサッカー部に入部した。当然、全国を目指す学園のサッカーのレベルの高さにまず驚いた。
今まで自分がやっていたものは何だったのだろう。
厳しい部で毎日、追いかけるのに必死だ。辛いこともたくさんあるけど、おかげで宏人の事で落ち込む余裕もなかった。
「兄ちゃん、俺、兄ちゃんの相手なんかしている暇は――」
強引に腕を引かれて、兄の部屋に押し込まれると人がいた。
「こんにちは。お邪魔しています」
祥太は驚いて目をぱちぱちさせた。
「あ……」
兄に肘で突かれてハッとした。
「あ……こ、こんにちは」
慌てて頭を下げる。顔を上げると、ほっとさせるような笑顔があった。
「祥太、彼は俺のアルバイト先のバーテンダーで
バーテンダー?
聞き慣れない言葉に戸惑いながら茂樹を見た。見れば見るほど綺麗な人だった。身長は兄と変わらないだろう。繊細そうな雰囲気は大人だ。
「祥太くんは高校生?」
祥太は見つめられどぎまぎした。睫が女の人みたいに長い。薄い唇がにっこりとほほ笑んだ。
「あ、はい……」
「何か部活しているの? 鼻が真っ赤だ」
「あ……」
祥太はひりひりする鼻を擦った。
「サッカー部です」
「そうなんだ。楽しい?」
「うん……」
こくりと頷くと茂樹が笑って裕一を見た。
「だからか」
「え?」
祥太は首を傾げた。
「祥太くんはサッカーに夢中なんだってね、裕一がいつも言っているから。君みたいに可愛い弟なら、構ってもらえないといじける気持ちも分かるよ」
くすくす笑うと白い歯が零れる。裕一は隣で口を尖らせた。
「こいつ、俺が部屋でトントンと音を立てていても見向きもしないんですよ。隣の部屋にいて熟睡しているんだから、まさかここまでサッカーにはまるとは思わなかったけど」
「え? え?」
祥太にはわけが分からなくて、交互に二人を見た。そして、兄の部屋ががらりと変わっている事に気付いて口を開けた。
「何これ……」
目の前に悠然と置かれてあるのは木のカウンターだった。置いてあるというより備え付けてある。背後には棚があって、わずかだがお酒の瓶が並んでいた。
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