第18話 父の秘蔵っ子


今年も、四季に『秋』などなく、『小さい秋』さえも日本中の人間が総出で捜査してもついに発見されなかった。

そんな、冬の入口での出来事である。



宏明の心中は、穏やかではなかった。

怪異の出現ではない。同じくらい、切実な悩みだ。


担任の先生から連絡が来たのだ。「麻由ちゃんですが、授業中の姿を見ていると、ちょっと心配です。

ずっと机に向かって絵を描いてまして、授業中も休み時間もです。」


原因は我が家の特殊が過ぎる家庭環境に間違いはなかった。


救い出さねば。娘をこんな狂った日常から本道に戻さなくては。




我が家に巣食う怪異どもを一網打尽にして追放できたら話は早いが、

……正直、一刻も早くそうするべきなのだろうが、

それをやろうとすると、せっかく受け継いだ家ごと撤去する事態になりはしないだろうかと言う懸念があった。


だから、できることからやることにした。



休日の朝、

宏明は庭に出た。庭といっても、相変わらず芝生が生えているだけの空間を持て余した『土地』だ。

その庭に、父親が建てた小屋がある。

それは、娘と同名で呼ばれているカエルの化け物が住んでいる小屋で、入口には相変わらず『マユちゃん』と書かれている。


……親父は何のつもりでこれを建てたのか。


兎にも角にも、この庭をどうにかしないと状況は改善されないのではないか、というのが宏明の考え抜いた末の見解だった。


遺言書によると、庭を改築したら親父が化けて出る。でも『あんたの孫』のためだから仕方がないだろう。

何より、もう親父の妖怪が出ても我が家ではそんな物ですらも霞むほどのイレギュラーどもが巣食っているのだ。

この庭をどうにかしよう。いや、駐車場にしよう。そして家族の幸せのために土地と資産を使おう。


……なんて合理的で真っ当な意見だ。宏明は俄然やる気が出てきた。


さしあたり……この小屋から解体してやろう。


宏明は、買い揃えていたカナヅチ、バール、ノコギリ、軍手、作業靴、6尺の脚立を用意して小屋の前に立った。


小屋の中に化け物カエルはいなかった。……そういえばここのところ見てはいない気がする。


そして、愛娘と同名が描いてある忌々しい看板から撤去してやろうと脚立を立てかけ、バールでもって看板を外そうとしたその時である。


「お待ちしておりました。ご主人様」


後ろから声がする。


振り向くと、


老紳士と柴犬がいた。


老紳士は、黒いバーバリーのクラシカルなトレンチコートを身にまとい、

しわの一つないターンブルー&アッサーの白いシャツ。

赤と黄色のストライプ模様のネクタイは一才の妥協を排除したウィンザーノットで結ばれていた。

ジョン・ロブ製の革靴も、先ほど磨いたのかと言う光沢を放っていた。

山高帽を浅く被り、杖をもち、黒い手袋をし、

日本人だが、完全たるブリティッシュスタイルの老紳士だ。


一方の柴犬は、おそらく雑種だ。


しかし音もなく背後に現れた初対面の客は、明らかに怪異である、と宏明の第六感は訴えていた。


バールを振り下ろす手を思わず止めてしまったのは老紳士が言った言葉が全て引っかかったからだ。


『お待ちしておりました。ご主人様』


一言だが、何から何まで要領を得なかった。


戸惑う宏明に、老紳士は穏やかに語り始めた。


「私は、小林忠吉と申します。鈴木先生の顧問弁護士を務めております。」


老紳士は、サヴィルロウの黒いスーツの内ポケットから、紋章の描かれたレザーの名刺入れを取り出し

さらにそこから新品の名刺を一枚取り出し、


ビジネス・マンよろしく両手で宏明に手渡した。


その一つ一つの動きは指先まで洗礼されており、一才の不合理を排除した作法であった。


名刺を取り出し、両手で手渡す。その一連の動作には一編の詩のような品格があった。


名刺には、宏明ですら名前を知っている弁護士事務所の名が記してあった。


果たしてこの方は本当に怪異だろうか……?


不安になり、体が硬直することによって背筋がのびた。


そして……次は紳士の足元でお行儀よく座っている柴犬に視線を移した。


犬は…… ありふれた犬のようだ。しかし『まとも』な犬を見ることが久しぶりのようでもある。


「本日は鈴木先生から相続されましたその小屋についてお話がありまして、お伺いいたしました」


「この……『小屋』ですか?」


「左様。お恥ずかしながら我々の方で手違いがございまして。

 お渡しした鈴木先生からの遺言書にこの小屋の詳細を記すことを怠っておりました」


「手違い?」


「左様。こちらが、加筆された部分にございます」


紳士はスーツの内ポケットから、仰々しく口を封じられた封筒と、純銀製のレターナイフを差し出した。

レターナイフの柄の部分は、さ気ほど目にしたレザーの名刺入れと、揃いの紋章が掘られていた。


……せっかくなら封筒を開けた状態で渡していただけたら手間が省けていいのだが、

目の前の老紳士にしてみればそこまでが『儀式』の一環なのだろう。


宏明は、慣れない手つきでレターナイフで封筒の口を開けようとするが、これが堅牢でなかなか開かない。

思わず手で少し破いてしまいたい衝動に駆られるが、この場の空気感がそれを許さなかった。


老紳士は、宏明が封筒を開けるのを辛抱強く待った。


やっとの思いで封筒を開け、真っ白な便箋と取り出した。



そこにはこうあった。


「追記、くれぐれも『マユちゃん』の事をよろしく頼む。

 

 追記2、ハムステッドから友人を招いている。そのうち来るだろう。彼のために小屋を用意したので住まわせてくれ。

     並びに『まゆ五郎丸』の世話に関しても乙に依頼するものである。

     このこと、鈴木家に代々伝わる最重要にして最後的な依頼であり、鈴木の社からの御言葉と心得よ。

     これを破った場合鈴木の血は穢れ、末代まで、生まれてくる長男長女が、丑三つ時に赤備を纏いし二十八体の鬼武者によって、

     毎夜毎夜、恨み節をつけた小言を言われる事だろう。」



おそらくこの[追加2]の部分が、加筆された部分だろう。

宏明は、ひとまずバールを引っ込めた。



「ご承知かと存じますが、ハムステッドとは、ロンドンの地名にてございます」


「はぁ……それで、この、まゆ五郎丸、と言うのは……」


「左様」


老紳士は柴犬の頭を撫でた。


「由緒正しきケルベロスの血統を継ぐ異界犬でございます」


「ワン!」

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