第8話 お賽銭を払おう。


雀のなく声が屋根の高さまで届き、人々に夜が明けたことを教える。


朝である。


人々に平等に朝が来るのと例外なく、鈴木家にもこの日、朝が来た。


ドーン! ドーン!


と重機のようなものが勝手口に体当たりしている音だ。


宏明が朝方の免れざる訪問者で目を覚まさせられるのは、今週に入って二度目の事だ。


正体はわかっている。例の馴れ馴れしいアメリカザリガニの怪異だ。そうでないなら、何か別の怪異だろう。


一度寺か神社にお祓いを依頼することを、宏明は切実に計画していた。


「宏明さん、お客さまですよー」


靖子はすでに起きていた。


宏明はため息をついて、洗面台で顔だけ洗ったら、


「ドーン!」と鳴り響いている勝手口の方に歩き出した。


ザリガニが「討ち入りに参った!」と竹槍で勝手口を突いている姿を想像していた。

そうでないなら、次は何の怪異だ。

熊か?象か?ケンタウルスか?もう何が来ても驚かないぞ。


「はい鈴木ですが!?」


強い気持ちで宏明は勝手口を開けた。


……


……


目の前にいたのは、重々しい牛の銅像だった。

全体的にくすねた鶯色で、鼻の頭や足の膝の辺り、背中の中心が銅色をしている。

大きさは大人の牛ほどだ。


宏明にはこの牛に見覚えがあった。


子供の頃、父に連れて行ってもらった神社に「撫牛」という撫でたらご利益があるとされている牛の像がある。

これは、それだ。

要するに神の使いが訪問してきた。


勝手口が開くと重々しい銅像は、のっし、のっしと鈴木家の内部に上がり込み、廊下で撫牛のポーズよろしく寝転がった。

つぶらな瞳が宏明を見ている。


「あのー……」


「もう。」


それは牛の鳴き声というより、親父が息子に説教をする時の「もう」であった。


「ご用件は……」


「集金だよ。」


牛は銅製の尻尾をパタパタと床に打ち付ける。当然、金槌で地面を殴ったような音が響く。


「集金……?」


「黒鉄ちゃんは? いないの?」


「あー……」


「この頃、神社の方でね。見かけないから。撫牛ちゃん自ら来ちゃったよね。ちょっと遠いよ? おたくん家。」


神様だからだろうか。なかなかに横柄だ。


「集金というのは……父が何か?」


「もちろん、お賽銭だよ」


牛は、口を開けて、中の舌を回す牛独特の動きをした。舌も銅製だ。


牛は、頭を宏明に突き出した。


「撫でとく?」


「いえ、結構です。ごめんなさいお賽銭を集金するという意味がわからなくて……」


すると牛は、突然上半身を起こした。


「お賽銭は建前に決まってるでしょ!! 無事を確認しに来たんだよ撫牛ちゃんは! 神様に野暮なこと言うと、こうだよ!!」


牛は、前足の片方を振り上げた。


「ひ!!」


宏明がたじろぐと、

牛は、


「さらに、こう!!」


もう片方の前足を振り上げた。牛がバンザイしているように見える。


銅製の、しかもあの質量の足を地面に打ちつけられたら、流石に床に穴が空いてしまう。


「あああの!あの!!」


「そして……こう!!!」


牛は今度は後ろ足をあげてみせた。それは何かしらのヨガのポーズを連想させるが、銅製の体がプルプル震えている。


「わかりました! わかりましたから!!」


「もう。」


牛は全部の足をゆっくり床に下ろした。そして、ヒクヒクと鼻を動かして、外の芝生に目をやる。

そして面倒臭そうにゆっくりと立ち上がり、外の芝生をモグモグし始めた。


「まあまあな庭だね。黒鉄ちゃん家は……

 黒鉄ちゃんはね。かれこれ30年以上毎日神社にきては牛ちゃんを撫でていくんだよ。だから牛ちゃん、お鼻ヒリヒリしちゃって。もう……」


すると突然牛が、口を開けて下を向いた。これは猫が吐く時の仕草だ。


「ちょっと!」


するとすると牛は、戻しかけた芝生を再び咀嚼し始めた。


「牛の反芻運動も知らないのかい君は。もう。デリケートなんだから牛ちゃんは」


「あの! 黒鉄は不在です! これからも神社にはちょっと寄れないと思います! すいません!!」


「え……じゃあお賽銭……」


牛は、首からかけた「お賽銭箱」と書かれた筒を寂しそうに前足でいじくっている。


「建前じゃなかったんですか!?」


「神様が個人の家にわざわざ出向いたんだよ!? お気持ちぐらいくれてもいいでしょう! もう!!」


「めんどくせえなあ……じゃあほら。五円でいいですか?」


宏明は、肌身離さず持っている小銭いれから五円玉を取り出し、牛の首元のお賽銭箱に入れようとしたら、牛は後ろに下がった。


「もう」


「……なんですか」


「お賽銭はね、3の倍数がいいんだよ。……かといって三円とか十二円は嫌だよ! 小銭溜まっちゃうから! 首疲れちゃうから!」


「じゃあ六円?」


「もう! ……人の子よ、空気を読みなさい。…… ……ここは十五円にしておきなさい」


本当に神様か!? 宏明は訝しげな目で牛を見た。

そして渋々十五円を取り出し、お賽銭箱に入れようとするが、牛はさらに後ろに下がった。


「なんですか今度は……」


「うん。十五円でもいいけどね。……三十円入れたらオプションサービスがつきますよ」


「オプションサービス!?」


牛は頭を差し出した。


「撫でる?」


「撫でない! 結構です!!」


「もうもうもうもう……。人の子よ。撫でておきなさい。神様に胡麻を擦っておきなさい」


宏明は頭を抱えた。そして面倒臭くなった。

そして結局五十円玉と、十円玉をお賽銭箱に入れた。


「毎度ー!!」


牛は両足を上に掲げた。

……毎度とはなんだ。毎度とは。


「撫牛ちゃん、話のわかる子は大好きです」


「そりゃあどうも……」


「抱っこ」


「え?」


銅製の牛が、宏明の胸に飛び込んできた。数十キロ分のテンションが、一瞬にして宏明にかかる。


ぎゃあああ



この日の朝、宏明は首と腰を、いわした。


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