第4話 春崎藤右衛門、現る。


明朝。

世田谷区松原。午前6時。

鈴木家の庭は今日も賑やかだ。



「御免!! 主人は御在宅か!! 御免!! 拙者、春崎藤右衛門(はるさきとうえもん)と申す!!」



鈴木家の勝手口を誰かが叩いている。

それは、コン コンなどというものではなく、巨大な張り手でバシバシ扉をしばいているような音だ。

・・・起こされた宏明は警察を呼ぼうとスマホを探したが、こんな日に限ってベットの脇に落としてしまい、まずメガネを探すという作業を強いられた。


「御免! 拙者、春崎藤右衛門(はるさきとうえもん)と申す!! 主人は御在宅か! 拙者、春崎藤右衛門(はるさきとうえもん)と申す!!」


同時に靖子が目を覚ましたようだ。


「あなた。ご来客ですよ」


「あーーいい。いい。まず警察だ」


「警察って、本当にあなたに御用のある方だとしたらどうするのです?」


「モラルってものがあるでしょうよ!」


「御免!! 拙者、春崎藤右衛門(はるさきとうえもん)と申す!!」


「ほら、そうおっしゃってるじゃありませんか。どこの世界に名乗りをあげる強盗や不審者がいますか?」


「靖子さん!? 本気で言ってる!?」


「主人は御在宅か!! 拙者、春崎藤右衛門(はるさきとうえもん)と申す!!」


「はーーい! 今行きますのでーー!!」


「ちょっと靖子さん!!?」


「さ、これ以上お待たせしたらご迷惑だろうから、さっさと要件を伺ってきてくださいな」


「僕が……ですか?」


「この家の主人は宏明さんですよ」


ええい・・・もう、なんなんだ朝から。

宏明はメガネを見つけ、寝巻きのまま玄関を開けた。…… ……が誰もいない。

ああ、そうか。庭の勝手口か。…… ……庭の勝手口!? 不法侵入じゃないか!!


「靖子さん! やっぱり警察を……」


「お茶をご用意いたしますから、失礼のないようにお願いしますよ」


「靖子さん!?」


もう何がなんだか……。そしてだんだん腹が立ってきた。

もういい。こんな朝に大声を出す奴がいても、我が家以外誰も起きないような街なのだここは。

巨大なカエルの怪異が自然に馴染んでいるような街だ。もう何があろうが驚くものか。

鈴木家の長男として、堂々と応対してやる。


「はい。鈴木ですが!?」


宏明は半ば乱暴に、勝手口の扉を開けた。



……


……


……ところで宏明の身長は172センチある。……とすると……

このザリガニの身長は180センチはあることになる……ザリガニ!?

訪問者は巨大なアメリカザリガニだ!真っ赤なアメリカザリガニが白い鉢巻をして、ザリガニが相手を威嚇するポーズよろしく大きな両方のハサミを上段に構え、勝手口の前にたっている。


「ば…… ば……化物!!!!!」


「やや!! これは失礼いたした。人を違えたようだ。お初にお目にかかる。拙者、春崎藤右衛門と申す。

 ここの主人には、『バルちゃん星人』という名で呼ばれし武士の端くれにて候」


宏明はザリガニの口というものに今まで興味を持たなかったが、こうやって目の前でつらつらと日本語を喋られても、どこが口なのかわからなかった。


「は……はい……」


「黒鉄殿は御在宅か!」


「ち、ち父は……去年亡くなりました」


「なんと!? 真であるか!」


ザリガニは、一回ハサミを後に仰け反らし、『驚いた』というポーズをとった。

そして、次は両のハサミを顔の前で合わせた。


「合掌致す。素晴らしき御仁であった。追悼の意を込めて詩を詠ませてくだされ。


 幾節越え

 隣出(となりいず)るはハサミ持ち。

 語られし非法の無念よ、

 喉も乾けど、礼を尽くす。


 南無阿弥陀仏

 南無阿弥陀仏」



「ど……どうも……」


「あなた? 御用は済みましたの?」


靖子が沸いたお茶を持ってキッチンから出てきた。


「あら…… まあ! 立派なザリガニさんですこと!!」


「やや!! お初にお目にかかる。拙者、春崎藤右衛門と申す。

 修行中の身故、女人との接触は慎みたく存ずるが、せめて出会いを祝して詩を詠ませてくだされ。


 …… ……


 我がこころ 鋼の如く とぎしこと

 されど、婦人の笑みと玄米茶。

 

 我がはさみの刃の柔(やわ)きこと、

 よるべき夢を夢夢と、

 我が鈴の音にこころ震わす」


「あらあら、お上手ですこと」


「ごごご御要件はなんですか!!!?」

  

「む、これは失礼仕った。

 無礼の念を込めた詩を……」


「詩はもういいです!! 詩はやめましょう!!」


「左様か。うむ。では亡き黒鉄殿に代わり、お主にこれを届けに参った次第である! 受け取っていただきたい!!」


そう言って、ザリガニはどこから取り出したのか、大きなはさみで和紙を掴んで差し出した。


「なんなんですかもう……」


宏明はザリガニのはさみから、和紙を受け取った。


「……はたし状? ……

 …… ……春さき とうえ門。

 まゆちゃんどのえ」


「拙者、春崎藤右衛門。

 其方が鈴木家に仰ぐ名誉に我が心、武士としての矜持が震え、

 ここにそなたとの勝負を望む。


 本日夕刻、松原は鈴木家の庭にて待つ。

 剛の者たる拙者と、あいまみえんとならば姿を表すがよい」


「あらあら、かわいい文字ですこと」


「靖子さん! 正気ですか! お前も勝手に玄米茶を飲むな!!」


「確かに渡したぞ! まゆちゃんによろしく伝えい!! ……お茶ご馳走様でした。

 ……美味であった!!!!」


ザリガニは、ハサミで器用に湯呑みを勝手口に置くと、カサカサと素早く庭を去っていった。


「まあ、8本足だと案外俊敏ですのね」


「靖子さん!? そんな呑気なことを言ってる場合かい!?

 うちの娘が変なのに因縁つけられて……しかも勝手にうちの庭を決闘場にしようとしてるなんて!

 やっぱり警察を……」


「麻由のことでしょうかねー。この家には『まゆちゃん』が二人いますから」


「いない!! 片方は『まゆちゃん』じゃない! 怪異だ!!」


「あなたまだそんなこと言って。」


「面倒なことになったなーもう……これだから外来種は!!」


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