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「かもめ」の第一幕の設定は、ソーリンの庭で、そこに芝居の舞台が作られています。

今夜に、ンスタンチンがここで自作の劇を上演して、訪れている母親達にご披露しようというのです。といっても、出演者はニーナだけ。

ニーナは言います、「この劇は、とてもやりにくいわ。だって、生きた人間がいないんだもの」


コンスタンチンは、背景の湖、月、角笛の音、鬼火、硫黄のにおいまでも使った革新的な劇を上演しようとしているのに、アルカージナが冷やかしたため、彼は幕を下ろして、姿を消してしまいます。


それでは一幕から、心に残った台詞を書いてみます。


        ☆   ☆   ☆


第一幕

アルカージナ(大女優)「私に言わせれば、(息子の劇)あんなもの、新形式でも何でもない。ただのへそ曲がりだけですよ」

トリゴーリン「人間は誰も、書きたいことを書きたいように書けばいいんです」

アルカージナ「そう、書きたいことを勝手に書けばいいのよ。でも、私をパロディにしたりしないでほしいものだわ」


アルカージナ「私は怒ってなんか、いません。ただいい若者が時間をもてあましているのが、はがゆいだけよ」


ニーナが舞台から降りてきます。

ニーナ「(トリゴーリンに)いかかでした?変な芝居でしょ」

トリゴーリン「さっぱりわからなかったです。でも、あなたの演技は、なかなか真剣で、よかったですよ。この湖には魚がたくさんいることでしょう。ぼくは釣りが好きでね、夕方、岸辺に坐り、ウキを見ているのが一番楽しい」

ニーナ「創作の楽しみと比べたら、比ではないでしよう」

アルカージナ「そんなことは言わないほうがいいわ」



第二幕

数日後の湖のそば。

アルカージナ、ドールン、マーシャの会話。


アルカージナ「(マーシャに)じゃ、ふたりで並んで立ってみましょう。ドールンさん、私とマーシャとどちらが若く見えます?」

ドールン「あなたですよ、もちろん」

アルカージナ「そうよね。なぜかわかりますか?それは私が働いているからよ。いつも気を使っているからよ。私には主義があってね、それは年をとることや、死ぬことを考えないっていうこと」


マーシャ「私は若いけど、生きようという気持ちがなくなる時があるわ。そんな気持ちは、捨てなくっちゃだめね」

アルカージナ「私はイギリス人みたいにきちんとしているわ。いつも緊張感をもて、身なりや髪にだって、いつも気を使っているから、自分を甘やかさなかったからよ。だらだら生きている人達とは違うの」


アルカージナは町へ行きたいというのに、シャムラーエフが馬(ライ麦運びに使うからと)を用意してくれず、怒って、モスクワに帰ると言い出します。

そこに、両親が旅行に出かけたニーナがやって来ます。


      ☆   ☆   ☆


この後、ニーナとトリゴーリンの興味深い会話が始まります。

私は前に「かもめ」を読んだ時、このトリゴーリンという男が大嫌いでした。プレーボーイで、純粋なニーナを騙し、妊娠させ、捨ててしまうようないやな男。

でも、今回読んでみて、それが違っていたことに気がつきました。何を読んでいたのでしょうか。

今では、トリゴーリンという作家には、とても惹かれます。作家の本音が出ていて、とてもおもしろいです。この彼って、チェーホフじゃないですかね。



      ☆   ☆   ☆



ニーナ「こんにちは。トリゴーリンさん」

トリゴーリン「こんにちは。でも、ぼく達はある事情のために、今日、モスクワに発つことになりそうです。あなたとはまたいつお会いてきるかどうか。ぼくは若いきれいなお嬢さんに会う機会がないので、十八、九歳の頃はいったいどんな気持ちでいたのか、すっかり忘れてしまって。

ぼくの小説にでてくる若い娘達は、たいてい作りものです。ぼくはせめて一時間でもいいから、あなたと入れ変わって、あなたの考え方や、あなたがどういう人かということを知りたいと思います」


ニーナ「私はあなたと入れ代りになってみたいわ」

トリゴーリン「なぜですか」

ニーナ「有名でごりっぱな作家が、どんな気持ちでいのるか知りたいからですわ。有名人って、どんな感じなのかしら」

トリゴーリン「別にどうということはありません。この名声というものを大げさに考えているのか、それとも、名声というものが何か知らないのでしょう」


ニーナ「自分のことが新聞に出ているいうのは、どういう気持ちかしら」

トリゴーリン「褒められればいい気持ちで、くさされると、二日は不愉快です」

ニーナ「すばらしい世界だわ。私がどんなに羨ましく思っているか、おわかりですか。人の運命ってさまざま。退屈で、人目につかない不幸な人生を生きている人がいる。でも、一方で、百万人にひとりの、面白くて明るくて、有意義な人生を送る人がいる。選ばれたあなたは、幸せですか」

トリゴーリン「ぼくが幸せかって。あなたは名声とか幸福とか、明るい生活だとかっておっしゃるけれど、そんなものなんか、たいしたものではないです」


ニーナ「あなたの生活はすてきですわ」

トリゴーリン「別にいいところなんか、ありませんよ。ぼくは今、執筆をしなければならないのだが、それはまあいい。お話をしましょう。さて、何を話しましょうか。脅迫観念というものがあるでしょう。ぼくにとっては、書かなくっちゃ、書かなくっちゃというやつです。次から次へと書かなくっちゃならないのです。このどこが明るい生活なものですか。ぼくは今、こうやってあなたとお話をして楽しんでいる。でも、書きかけの小説が待っていることを、忘れたことはないんです。今、こうやって話をながら、景色だとか、匂い、自分やあなたの一言一句をかたっぱしから捕まえて、小説に使えるかもしれないと考えているんです。それで、一仕事が終わってほっとできるかと思うと、次の題材を考えなければならない。

いつも追いまくられても心の休まる時間もなく、心も魂も責め立てられて、自分の生命を食べているようなものです。人に会っても、『今は何を書いていらっしゃるのですか』と、同じことばかり訊かれるし。みんな感動したとか言っても、そんなのは嘘っぱち。

ぼくはね、誰かが忍び寄ってきて、あのゴーゴリの主人公みたいに、精神病院にぶちみまれるんじゃないかと怖くなることがあります。ぼくの文筆生活は、もう苦しみの連続でした。特に駆け出しの頃は、関係者の回りをうろつき回り、しかし相手にはされず、文無しで、鼻つまみものといった感じでした。私は読者には会ったことはないけれど、疑り深い人間のように思えました。世間というものが怖かったです」


ニーナ「でも、筆がうまく走っている時には、至福を感じられるのでしょう」

トリゴーリン「そう、書いて時も、校正も楽しい。でも、いざ本になると、もうだめだ。いっそ書かないほうがよかったと気がめいり、落ち込むんです。でも、世間というやつは、『うまい』、『上手に書けている』しか言わないし。いつか死んでしまった時、誰かがぼくの墓のそばを通り過ぎてこう言うと思うのです。『ここにトリゴーリンが眠っている。いい作家だったが、ツルゲーネフにはかなわなかった』とね」


ニーナ「あなたは成功に慣れ過ぎていらっしゃるのではないのかしら」

トリゴーリン「どんな成功?ぼくは自分の作品が嫌いだし、それよりも何よりも、いつも頭が混沌としていて、何を書きたいのかわからないんです。ぼくは水や空、木立が好きだ。それを見ていると、書きたいという欲望が湧いてくる。しかし、ぼくは風景だけではなく、社会のことも書きたい。祖国や人々や、その悩みや未来について書きたいし、人間の権利とかについても書かなくてはと思う。それで、あれもこれも書こうと焦る。ぼくは猟犬に追い詰められたキツネみたいに、あっちへ逃げ、こっちへ逃げしているうちに、時間が経ってしまい、汽車に乗り遅れた百姓みたいに、ぼくはみるみる取り残されていく。つまり、自分にできるのは自然描写だけで、あとは全部、ニセモノだと思ってしまうんです」

ニーナ「あなたは時間がなくて、疲れていらっしゃだけよ。ご自分がどう思われようと、世間の人にとっては、あなはご立派な方です。私があなたみたいな作家だったら、自分の生命を人々に奉げます。人々の幸福というのは、人々が私のところまでたどり着くことよ。人々はそんな私を祭礼の馬車に乗せて、パレードするの」

トリゴーリン「ぼくは祝福されるアガメンノン〈王の中の王〉ってことですか」

ニーナ「私は女優になれるのなら、貧乏をしても、幻滅しても、耐えてみせますわ。その代りに、私は名声がほしいの。ああ、想像すると、頭がくらくらしますわ」


トリゴーリン「これは」

ニーナ「かもめよ。トレープレフ(コンスタンチン)さんが射ったの」

トリゴーリン「きれいな鳥だ(手帳に何か書く)」

ニーナ「何を書いていらっしゃるの?」

トリゴーリン「題材が浮かんだのでね。短編です。湖のほとりにあなたみたいな若い娘が住んでいる。かもめのように湖が好きで、かもめのように自由で幸福だ。ところがふらりとやって来た男が、退屈まぎれにその娘を破滅させてしまう、ほら、このかもめのようにね」



      ☆   ☆   ☆


トリゴーリンは自分の本音を言っているように見えます。本音は本音ですが、それでけではないでしょう。彼が自分の弱い部分を意識的に見せて、相手の反応を観察していることも忘れてはなりません。


      

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