第47話 罪を犯した後の人生

 「あと15分くらいは歩かず安静にしていてください」


 「助かった。……ありがとう」

 「いいえ、どういたしまして」


 治療を終えて立ち上がった私は、さてどうしようかとこの状況を見る。

 ずぶ濡れの私たちのせいで教室はドロドロのベチャベチャ。

 私の服はぐっしょりと濡れて冷たく、今すぐにでも脱ぎたい。靴下もそのまま外に出てしまったせいでドロドロだ。

 グエンさんはレインコートを着ていたから中の服にはさほど影響はないだろう。


 (帰るまでこのままでいるか、どうしよう)


 迷ったのは少しだけだった。


 (やっぱり今すぐ脱いでちょっとでも乾かしたい!)


 私は暖炉の前に立ち、ワンピースの前ボタンをプチプチと外し、上からガバッと脱ぎ、下に着ていたシュミーズも肩紐を外してストンと下に落とした。

 肌にまとわりついていた布がなくなって清々する。


 「ちょっ、あんた慎みとか羞恥心とかないのか!?」


 グエンさんは慌てた様子でレインコートと中に着ていた服を脱ぎ私に着せてくれた。

 私としてはシュミーズとその上にコルセットを一応程度につけているし、ドロワーズも穿いている。露出はしていない認識だったが、ここでは__もしかしたらジルタニアでも__露出狂の行いだったかもしれない。


 「ごめんなさい。ありがとうございます」

 「はぁ、なんか調子狂わされる……」


 隣に立ったグエンさんが濡れた頭をガシガシ掻いた。

 私は教卓を動かしてストーブの前に置き、そこに脱いだ服を掛けた。

 これで帰るまでに少しは乾くだろう。

 濡れた服を脱いでスッキリした私は、教室の後ろに掛けてある雑巾を持ってきて濡れて泥もついた床を拭いた。

 グエンさんのこの床の有り様に責任を感じたのかあまり動かずに済む範囲で掃除を手伝ってくれた。


 「手伝ってもらって、ありがとうございます」

 「別に」


 どこかの女優さんのような返事をした。……ってこのネタは古すぎるか。

 落ち着いたらストーブでお湯を沸かしていたことを思い出して、ティーポットからコップにお茶を淹れた。


 「どうぞ」

 「どうも」


 彼にお茶を渡して、私は前列の席__ウェルナさんの席に座った。

 なんとなく気まずいような、そうでもないような時間が流れる。


 「あんたは俺のこと、怖いとか思わないのか?」

 「怖い? 確かに大柄だから、ちょっと、近寄りがたいですけど……」

 「いやそうじゃなくて! ……って知らないのか?」

 「何がです?」

 「……俺が人を殺したことがあるってことだよ」


 どうせいつか誰かから聞くことになるだろ、と彼は吐き捨てるように付け加えた。

 それを聞いて怖いと思った。でもすぐに何かやむにやまれぬ事情があったのではとも考えた。


 「……どうして?」

 「…………殺すつもりなんてなかった。俺は18の時から街に住んでて、その日も行きつけの酒場に行った。ただその日は仕事でちょっと嫌なことがあって飲み過ぎた」


 彼はまたしゃがみ込んだ。その顔はつらそうに歪んでいた。


 「きっかけは本当にしょうもないことだった。俺はトイレに立って、その時に向こうから来たその人と肩がぶつかった。『おい謝れよ』って言われて、最初はお互い様だろって無視した。けど無視して行こうとしたら肩を掴んで引っ張られて。それで頭にきて殴った。相手も殴り返してきて殴り合いになった。でも相手もそれなりに酔ってて足にキテた。俺の何発目かの拳で後ろに倒れ込んで、酒場のカウンターに後頭部を打った。……相手はそのまま動かなくなった」


 彼の話からは後悔だとかいろんな感情が伝わってきた。

 この話が本当なら不幸な事故だと思う。


 「知りませんでした……。村の人は、皆知ってる話なんですか?」

 「村どころか、そもそも街で俺が服役してたって話が広まって村に帰ってきたんだよ。でも村でもいつの間にか皆が知るところとなったな」

 「そんな話……誰が、わざわざ広めたんでしょう」

 「さぁな」


 でも逆で考えたら分かる気もする。

 誰でも自分の住む家の近所に犯罪者(元かどうかは区別しない)がいて欲しくないという心理はあるだろう。

 そういう人の一部がどこからか情報を得て広めるのだと思う。ここにインターネットはないけど事件だったら新聞には載る。

 そして情報を持った人は自分と同じ善良な市民のためにとかって親切心もちょっとありつつ情報を広めるのだ。

 近所にこんな人が住んでます。気をつけてくださいねって感じで。

 でもそんなことをされたら、罪を償いもう一度真っ当に生きていこうとしている人はどうすればいいのか。

 そして彼はどんな気持ちで過去を噂されながらも便利屋として村の役に立つ仕事をしているのだろう。


 「……そういえば、前に井戸を直してもらった時……、村の人達がグエンさんに話しかけなかったのが、気になったんです」

 「あぁ、誰も俺と親しくしようって気がないからな」


 彼は投げやりに言い捨てた。

 犯罪者とは関わりたくないと思う気持ちは私にも正直ある。

 けど、その心のまま行動してもいいのだろうか?

 社会から孤立してしまったら、犯罪を抑止する心の重しがなくなってしまうのではないだろうか。

 大切な人がいるから、大切に思ってくれる人がいるから、その人を失望させるような行いはやめておこう。そう思って罪を犯すことを踏み止まる人もいるんじゃないだろうか。

 でも犯罪者と関わって自分や家族に危害を加えられたら?

 その人が心を入れ替えたかどうかなんて外からじゃ分からない。

 私だってそうだ。

 『お嬢様』は犯罪行為をした可能性が高い、と私は思っている。

 けれど今の中身は菊池奈緒。

 でも中身が別人だなんて証明のしようもない。

 それこそ以前の私と今の私を深く知っている人物でもない限り。

 それを踏まえて、私はどうすべきか。


 「私は、グエンさんを知りません。昔も今も。でも今日、大変な中で、学校の屋根を直してくれた。それを知っています」


 私の言葉にグエンさんは大きく目を見開いて固まってしまった。

 変なことを言っただろうかと不安になったが、彼は険しかった表情をぎこちなく笑うように崩し、不意にそっぽを向いた。

 一瞬だけ潤んだ目が見えた気がした。





 お茶を飲み終わり、私の服もだいぶ乾いたかなというタイミングで学校を出ることにした。

 グエンさんの足の調子ももう問題ないようだった。

 雨風も先ほどよりかはマシになっていた。

 私とグエンさんの家は村の入り口から逆方向なので、そこで別れた。


 「ただいま帰りました」


 扉を開けて入ると、ナラタさんは薬局のいつもの場所で薬草を調合していた。


 「帰ってきたね」

 「雨に濡れてしまったので、今からお風呂を、沸かします」

 「レインコートを着てるじゃないのさ」

 「それが、色々あって」

 「また風邪引くんじゃないよ?」

 「もう、嫌です。……っくしゅ!」

 「って言ってるそばから! ったくしょうがないね。あたしも水汲み手伝ってあげるよ。さっさと温まってきな!」


 せき立てられて私はナラタさんと水を汲みお風呂に入った。

 翌日、喉が痛かった。

 ……あまり酷くならないでほしい。

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