第36話 手紙が届いた
ここに来てから2カ月が経った。
12月も中頃になり、深い雪で閉じ込められたこの村でも、新年へ向けて少し浮き足立ってきたように感じる。
(クリスマスがないのがちょっと寂しいかな。プレゼントを贈りあったり、ケーキやご馳走を食べるあのイベントは大人になってもなんだかワクワクして好きだったけど)
近頃はウィルド・ダム語のリスニングも8割がたできるようになってきたので、ナラタさんにお願いして1階の薬屋で薬草の種類や煎じ方を教わっている。
そこに雪をかき分け郵便配達の男性がやってきた。
「郵便でーす」
店の扉を開けて入ってきた郵便屋さんは雨ガッパを着ていて、それには雪がまとわりついていた。
「ご苦労様です。雪、拭きますか?」
「先ほどからまたちらほらと降り出しましたね。大丈夫です、まだ配達の途中ですからすぐ出ます」
そう言って、男性は私に手紙を2通手渡して、言葉の通りすぐ行ってしまった。
手紙の宛先を見るとどちらも私宛で、1通はマルティンさんから、もう片方はハリス先生からだった。
ハリス先生へはマルティンさんから手紙セットをもらってすぐに近況と新しい定住先を伝える連絡をした。
それから1カ月が経ってようやく返事が返ってきた。
私のいたジルタニアはもう果てしなく遠い。
私は封筒を開けて便箋を取り出した。
愛弟子ナオに宛てる
手紙をありがとうございます。
まずはあなたが無事に住む場所を見つけられたようで安心しました。
大森林の奥に住んでいる人がいるなど、想像したこともありませんでした。そのくらいの場所です。あなたは書いたりはしていませんでしたが暮らしも楽ではないはずです。
けれどもつらかったら帰ってきても良いとは言えない状況です。
あなたが遭遇したらしい列車事故ですが、即死だった乗客以外は全員助かるという奇跡が起きました。あなたも無事で本当に良かった。
記憶を失い過去を捨て街を出て初めて乗った列車で事故に遭うなど、どれだけの試練を与えたまうのかと神を呪いそうになりましたが、あなたが乗り合わせていたからこそ多くの人が助かったのだと考えると、これも天の配剤のように思えてきます。
我が弟子、ナオを私は心から誇らしく思います。
さて、あなたは今手紙に書いたはずのない列車事故のことをどうして私が知っているのか疑問に思っているはずです。
この事故のことは新聞で大きく報じられ全国民の耳目を集めています。そこに負傷者34名を救った英雄、謎の治療魔法師のことも書かれています。
あなたは面倒を避けるために治療した後すぐに姿をくらませたんでしょうが、それがかえって謙虚な救いの女神として国民の興奮を煽る結果となってしまっています。
新聞にはその治療魔法師の身体的特徴が書いてあり、私はそれを読んでナオだろうと見当がつきました。
(あなたが乗ったであろう列車の出発時刻と当該列車の出発時刻も同じでした)
今や全国民があなたを探している状況です。
その筆頭が皇帝陛下の2番目の王子、アーサー・フィリップ殿下、川辺で倒れていたあなたを助け、この診療所まで運んでくださった方です。
衝撃的な手紙の内容に読むうちに変な汗をかいてきたが、この一文には心臓がドクンと脈打った。
(あのアーサーさんが私を助けてくれた人?)
言われてみてふと気づく。
あの印象的な瞳。そうだ。痛みで途切れがちだった意識の中であの瞳を見た気がする。
絶対に助けてやるという強い意志と心配そうに見つめる優しさを含んだ金色の目。
列車事故の時も同じように怪我人を慮っていた。
きっと彼の方は私が以前助けた重傷者だとは気づいていないだろう。
私は再び先生の手紙へ目を落とした。
アーサー殿下はあなたにジルタニア帝国勲章を与えるべくあなたを探しています。
確かにあなたはそれに相応しいことをした。しかしあなたは後ろ暗い過去があるかも知れぬ身。勲章が授与されたとなればあなたを知る人物が確実に出てくる。それがどう転ぶか分からない。
ほとぼりが冷めるまで、2年か3年か。少なくともそのくらいの期間、ジルタニアには戻らないほうが良いでしょう。
医学の勉強も良いですが、どうせ村から出られないのであれば新しい治療魔法の開発に着手してみてはどうでしょう。時を忘れ気が紛れるかもしれませんよ。
(それは先生が根っからの研究好きだからじゃない)
私は苦笑した。
手紙続きは締めの言葉が綴られていて、体に気をつけるように、というようなことが書いてあった。
私は手紙を読み終わり、椅子の背もたれに寄りかかって深く息を吐いた。
(あの事故の後、国内ではそんな騒ぎになっていたとは……)
大事故だったから報道されないはずはないが、まさか自分が英雄と祭り上げられているなんて。
やはり2人同時治療は荒技すぎた。あれは見る人が見れば異様な光景に映っただろう。
でもあれが出来ていなければ死者ゼロにはならなかった。
それに治療できた人数も尋常ではない。
(ジルタニアに戻れないのは寂しいけど私はこの村で暮らしていくって決めたんだし問題ないはず)
私は気を取り直して、次にマルティンさんからの手紙を開いた。
マルティンさんからの手紙はウィルド・ダム語で書かれていた。私の練習用だろうか?
私は辞書を取り出して、それを片手に読み始めた。
ナオへ
元気にしてるか?
オレのほうはボチボチやな。
雪が積もってからは大森林の奥まで入って行けへんから、御用聞きで村を回るのも実家のある狐族の村までを行って帰ってくる感じになってる。
春になって出られるようになったらまた実家の方にも遊びに来てや。
なんやうちの親、ナオのこと気に入ったみたいでな。また連れてこいってうるさいねん。
村から出られへんし息が詰まったりしてへんか? スッキリ晴れる日もあんまないし気分が落ち込んだりとかないか?
できる気晴らしは、まぁあんまないけど。本読むのとか好き? やったら街で買って送るで。流行りのもんでも、好きな系統教えてくれたらテキトウに選んで送るから気軽に言うてや。
それからちょっと気になることがあってんけど、ジルタニアの軍人っぽい人が街で人探ししてるっぽくて。オレも片言の言葉で聞かれたんやけど、なんかそれがナオっぽいねんな。髪色、瞳の色、背格好とか。まぁ知らんって言っといたけど。
大丈夫か? なんか困ったことになりそうなら相談してや。
じゃあまた書く内容ができたら書くわ。
風邪とか引かんようにな。
手紙はウィルド・ダムの標準語で書かれているのに、ついジルタニア語で話していた時のように関西弁で読んでしまった。
マルティンさんの優しさあふれる内容に心が温まったが、最後に書かれていた人探しをしているジルタニア人のくだりを読んで熱が一気に引いた。
(これって、やっぱり私よね……?)
私と似た見た目の別人が他にもジルタニアから入国している可能性なんてあるのか? しかも捜索しているのは軍人。ただごとじゃない。
私の過去が公になったのか、列車事故の功労者を探しているだけか。2人からの手紙にはラグがあるから分からない。
とにかくここで隠れて生きよう。
国境の街からここまではマルティンさんに連れてきてもらったから聞き込みをされても足がつくことはないはず。
(こんなに逃げ回らなきゃいけないなんて。『お嬢様』ホントにあんた何したの!?)
一周回って腹が立ってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます