第15話 倫理的ジレンマ

 合同訓練合宿、初日。

 俺たちはなぜか、いきなり走らされていた。


 

「何事にも、まずは体力と精神力! 少年少女よ、とにかく走れぇえええええええッ!! HAHAHAHAHAHAHA!!」



 とりあえずグラウンド10周、という脳筋すぎる特訓メニューを課してきたスパルタ男の名は——「Mr.ミスターマーヴェラス」。金髪や日本人離れした体格を見るに十中八九アメリカ人だが、本人曰く、筋トレの【中毒者ホリッカー】だという。どうやら海外にも【中毒者ホリッカー】は存在しているらしい。


 が、そんなことは今どうだっていい。


「長距離走、苦手なんだよなぁ……」


 誰にも届かぬ文句を吐きながら、ゆるいペースで走り続ける。現在四週目に差しかかったところだが、すでに息が上がってきた。スポーツは大抵人並みにできると自負しているものの、きちんとしたスポーツ経験がないために実は体力がない。マラソンは大の苦手だ。


 前を見ると、先行集団とはかなりの差をつけられていた。

 運動神経の良さそうな沢田が先頭を行き、身軽そうな錦ちゃんがその後に続く。その2トップの存在はまだわかる。しかし——同い年の天喰やマイペースそうな伊織さんに先を行かれているとなると、俺は男子として情けなくなる。これが、〈ANTIDOTEアンチドート〉での経験の差というやつなのか。


「くそッ、俺だって……!」


 躍起になって少しペースを上げる。

 すると、後ろからこんな声が聞こえてきた。



「——ちょっ、待ってよ〜! みんな速すぎー!!」



 俺の後ろにいるのは、茶髪ギャルの乾遥。通称はるポン。

 そう——あのはるポンである。


 まさかここで乾と再会することになるとは、俺も思っていなかった。いくら乾も俺たちと同じ【中毒者ホリッカー】とはいえ、彼女は自分のクラスメイト十数名を殺めた紛れもない殺人犯だ。本来ならこんな場所で野放しにされていいはずがない。


 しかし、そんなことは気にする素振りも見せない彼女を前に、俺もあの日のことを直接聞き出す気にはなれなかった。当たり障りのない話題を振って、それとなく事情を探るほかない。


「なあ、いぬい


「呼び捨てはやめよって言ったじゃん! うちら知り合いなんだからはるポンでいいって!」


「……はるポン。自分が【中毒者ホリッカー】になった日のこととか、覚えてないか?」


「んー、あんまり。あんときのアタシ、あぽとーしす?とかになってたらしくてさ。記憶が曖昧でよく覚えてないんだよね。なんかめっちゃキレ散らかしてたような気はするんだけど……」


 乾……はるポンと並走しながら、俺もあの日の記憶を掘り起こしていく。

 あの教室の惨劇は、紛れもなく暴走したはるポンがもたらしたものだ。いくら何でも、ただの精神的ショックだけであの記憶を丸々失くしてしまうなんてことは考えにくい。毒暴走アポトーシスの副作用と見るのが自然だろう。


「ゆうぴっぴも、あんときはアタシのこと助けにきてくれたって聞いたよ? 意外とかっこいいトコあんじゃん、このこの〜!」


「ああ……って、ゆうぴっぴってもしかして俺?」


「決まってんじゃん。『ゆうすけ』だからゆうぴっぴ。お分かり?」


「はぁ……」


 はるポンがこうして正気を取り戻してくれたことは、もちろん喜ぶべきだ。しかしその一方で、彼女が今ここにいるという事実に抵抗感を抱く自分がいたのも事実だった。


 水無月さんたちは、それより上の人たちは何を考えてる?

 いくら記憶がないとはいえ、乾がここに居ていいのか?


 

 彼女のしたことは、許されていいのか?

 

 

「アタシさ、早くここから出たいんだ」

 

「え?」


「ほら、【中毒者ホリッカー】って一定の周期で入れ替わるらしいじゃん? アタシもタピオカから縁切ったら何の【中毒者ホリッカー】でもなくなるだろうし、そしたら普通の女子高生に戻れるっしょ。ま、それまではここでお世話になるだろうけどさー」


「……そうだな」


 確かに、それが一番いいのかもしれない。

 忘れてしまったなら、無理に思い出させるようなこともするべきじゃない。暴走した自分が犯した罪のことなど忘れて、乾は普通の女子高生として世間に溶け込んでいくべきだ。


 それが一番、合理的だ。




        ◇

 



「一つの概念に対して、生まれる【中毒者ホリッカー】は一人。そして通常、【中毒者ホリッカー】は133日かそこらの周期で『入れ替わり』が起こるわけだ」


 ランニングの後、俺たちは講義室に集められていた。

 教壇にて教師さながらに授業を展開する男の名は、毒嶌どくしま淳一朗じゅんいちろう。日本における【中毒者ホリッカー】研究の第一人者にして——聞く話では、はるポンを〈ANTIDOTE〉に招き入れる決定を下した張本人であるという。


 要するに、どこかきな臭い男だ。


「入れ替わりと言っても、そのタイミングで現【中毒者ホリッカー】が依然としてその頂点——『概念主』であれば、当然入れ替わりは起こらずに続投することになる。お前たちの半分もこのケースだろう」

 

 ピラミッドを模した図の頂点に「概念主」と書き記し、毒嶌はチョークを放り投げた。さすがは研究者というべきか、講義自体はわかりやすく興味深い。うちの高校の数学の授業よりもよっぽどマシだ。


 と、彼の説明の途中で沢田が挙手をする。

 

「——なあ先生、質問なんだけどさ」


「なんだ炭酸中毒。言ってみろ」


「いや、その……俺たちって『入れ替わり』の時期が来ない限りは、どれだけ自分の中毒に飽きちまっても【中毒者ホリッカー】でいられるわけだろ? それじゃあ、俺たちがもし『入れ替わり』の前に死んだりしたらどうなるんだ?」


「ちょっと泡音あぶく、そういう質問は……」


「いや、いいんだ伊織。なかなかいい質問だ」


 毒嶌は再びチョークを手にして、ピラミッドの図に白い線を書き足していく。沢田の質問を受け付けたその横顔は、心なしか嬉しそうに見えた。


「現【中毒者ホリッカー】、すなわち概念主が死んだらどうなるか? 答えは簡単だ。その概念主に継ぐ熱意を持った『No.2ナンバーツー』が、即席で新たな【中毒者ホリッカー】となる。下剋上ってやつだな」


 黒板にあった「概念主」の文字がバツで消された。

 確かに理屈としては簡単だ。イレギュラーなことが起きようと、基本的には最も熱意の強かった者が【中毒者ホリッカー】の称号、あるいはレッテルを貼られる。


「まあせいぜい、お前らも下剋上されないように生き延びることだな」


 ははは、と他人事のように毒嶌は笑った。

 ……あんただって【中毒者ホリッカー】のクセに。






 授業後、俺は毒嶌の元へ立ち寄っていた。

 乾遥のことについて詰問するためだ。


「なぜ乾遥を〈ANTIDOTE〉に入れたか……か」


 椅子を回転させ、白衣姿の毒嶌はこちらに向き直った。右手は手癖なのかボールペンを回し続けており、いかにも頭の良さそうな科学者という雰囲気を纏っている。——が、この人は倫理的にどこかおかしい。


「あれ以上の毒暴走アポトーシスを起こさないと分かった以上、本人の精神状態も鑑みてできるだけ自由にさせるのが最適と考えたから……これじゃ納得できないか?」


「はい。いくらあれ以上の暴走を起こさないといっても、乾はクラスメイトを何人も殺めた殺人犯です。それをなんのお咎めもなしに流して受け入れるなんて、俺にはとても……」


「……意外だな、操神。お前の頭なら納得してくれると信じてたんだが」


「どういう意味です?」


 手元のプリントを適当に捲りながら、毒嶌は独り言のように続ける。


「……全統模試全国三位の実力をもつお前なら、合理的にものを考えられる頭があると思ってたんだよ。もっとも、それも俺の見当違いだったみてぇだが」


「っ、そんな情報、どこから……!」

 

「どこだっていいだろう。聞いてもつまらんぞ」


 ペンのキャップでデスクをノックし、毒嶌はペン先を仕舞った。それから変な色のエナジードリンクを口に注ぎ込むと、気の抜けたような目で虚空を見つめる。


「“記憶を失くした殺人犯を野放しにしていいのか?”——これはいわば倫理的ジレンマだ。殺人犯が罪に問われず野放しになっている事実は、日本の司法としては見逃せない。しかし無理に記憶を呼び起こして『罪』を思い出させれば、本人の精神にどんな影響が出るか分かったもんじゃねぇ。しかも今回は女子高生だ。とても正気でいられるとは思えん」


「じゃあ俺には、あの日のことを乾に隠し続けながら接しろって言いたいんですか」

 

「いや? 別にバラしても構わん」


「——⁉︎」


 平然と言ってのけた毒嶌に、俺は思わず絶句した。別にふざけてるわけではないんだろうけど、この人の喋り方はどうも俺の感覚に合わない。


「お前の選択に関して、俺は特に干渉するつもりはない。今の乾遥の状態が気に食わないのなら、好きなだけ証拠を押し付けて罪を背負わせればいい。ただし……それに対する責任は、全てお前一人が抱えることになるがな」

 

「……」


「操神、お前のその考えは『正しい』のかもしれないが……いくらか倫理的すぎる。倫理の授業で習うことってのは、いついかなる時も最適解になるわけじゃない。時には合理的に割り切ってみることも必要ってワケだ」

 

「分かってますよ。そんな事」


 その時、何かが腑に落ちた気がした。

 自分が「正しい」と思っていたことを真っ向から否定されたのに、どこか納得している自分がいたのだ。思えば俺は、今のおかしな状況に対する彼からの言い訳が欲しかっただけなのかもしれない。「これでいいんだ」と、自分に言い聞かせるために。


「……お時間いただき、ありがとうございました。失礼します」


 それ以上の議論をする気もなく、俺はお辞儀をして退室しようとした。毒嶌は無言で見送るかに見えたが、俺がドアに手をかけたところで口を開き、


「操神、」

 

「はい?」 


「——もしものときは、頼んだ」

 

 思わず「は?」と返しそうになったが、彼の真剣な目を見てそんな言葉も引っ込んだ。嫌な想像を脳裏に浮かべながら、俺は無言でドアを閉めて立ち去ることにした。

 


 彼のいう「もしも」は、最後の時まで起こらなかった。




 


         ◇◇◇



 



 同日、茨城県某所。

 

 無数の蔦が絡み付いた廃病院の前に、コートを着た女性が一人佇んでいた。淡いプラチナブロンドの髪は肩のあたりで切り揃えられており、コートと同色の制帽を被ったその姿はどこか軍人じみた厳格な雰囲気を醸し出している。彼女は険しい目つきで何度も腕時計に目を落とし、ため息を吐いた。


 すると、その背後から現れたのは。


 

「ごめんごめん、お待たせ〜!」


 

 悠々と敷地内を歩いてきたのは、水無月と辛木であった。二人の姿に彼女は一際大きなため息を吐き、コートを翻して振り向く。


「予定時刻より12分と33秒の遅刻だ。職務怠慢もいいところだぞ、貴様ら」

 

「ごめんってば、すめらぎちゃん。なにぶん道が混み合っていたからさ」

 

「貴様らは徒歩だろうが。詐欺罪で〈かせ〉をつけてやろうか?」

 

「いや、ごめん。それだけは勘弁して」


 皇ちゃんと呼ばれた女性は、険しい目で水無月を睨みつけた。

 彼女こそ〈ANTIDOTE〉第二班班長にして「規律」の【中毒者ホリッカー】、すめらぎりつその人である。法や規則による統制を愛する彼女にとって、比較的ズボラな水無月たちの存在は看過できるものではなかった。


 が、口論もそこそこに、辛木が口を開く。


「ここが奴らのアジトっすか。廃病院なんてシュミの悪い……」


「ああ……情報通りならここは小規模基地のようだが、彼らには建造物侵入罪、あるいは軽犯罪法違反が適用される。『毒裁社』の活動に加担しているとなれば他の罪で〈枷〉も増やせるだろう。四日後の都内廃墟突入も考えれば、今回はその前哨戦となるだろうな」

 

「うん……あれ、そういえば霜月しもつきくんは?」


「……兵平ひょうへいなら既に狙撃ポイントへ向かわせている。問題ない」


「そっか。彼の援護があるなら安心だね」


 黒い傘を片手に、水無月は皇の隣に並び立った。

 毒を以って毒を制する〈ANTIDOTE〉の三人——否、四人は、敵の根城を前に意を決する。激しい戦闘の予測される現場だが、荒事に慣れた彼らの目に一切の迷いはない。


 水無月は不敵に微笑み、一歩を踏み出した。


「さて、サクッと終わらせちゃおうか。りっちゃん」

 

「誰がりっちゃんだ。殺すぞ」


「大丈夫かよ……」


 三人の姿が正面入り口に消えていく。

 その直後、甲高い銃声が鳴り響いた——。

 


 

 

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