天使のかたり

「私はここの執事長です。ブレナンのベンですね。早速ですが仕事を説明していきます」

「ブレナンのベンです。よろしくお願いします」

「はいよろしく」


10歳になったベンは、2年前に主が変わった領主邸で執事見習いとして働くことになった。領主夫人は、初代女王への非礼と社交界を混乱させた罪、子の父親を偽証した罪を問われ、10年間の王都立ち入りを禁じられた罪人だそうだ。去年までは庭で遊ぶ姿を見たという人がいたが、ここ最近はそんな話もめっきり聞かなくなった。何があったのか分からないが、夫人は死んだ、だとか、病、だとか、様々な噂が飛び交っている。

一通り説明を受けると、最後に、と執事長は重々しい顔つきで告げる。


「この邸の中に、決して鏡を持ち込んではなりません」

「え」

「わかりましたか」

「は、はい」


首を傾げつつも、ベンは頷いた。


「それからー」


更なる注意をしようとした時だ、地鳴りのような音が聞こえた。さあっと執事長が青ざめる。


「執事長!」


扉を開けた人を見て、思わずベンは悲鳴を上げる。

樽のように大きな腹、にきびで埋め尽くされた顔、肉に押しつぶされてほとんど見えない目、傷んだ髪に大量の髪飾りをつけて、今にも破れそうな、大きさの合わないドレスを纏った人。


「ば、ばけものっ!」

「奥様! どうしてこちらに!」


ベンの叫びを、執事長の叫びが打ち消した。ベンは目を見開く。この、化け物のような人が、領主夫人?


「おまえが言ったのよ、今日は新しい執事見習いがくるって。だから、かんげいしてあげようとおもって」

「奥様、この子はまだ10歳です」


哀願するような口調に、化け物は顔を動かす。首と顔がつながっているから、正確な動作は分からなかったけれど。


「――仕方ないわねえ、あと4年くらい待つのね」

「はい、ありがとうございます」


化け物が出ていくと、執事長は暗い眼差しで告げた。


「ベン。執事のもうひとつの役割は、あの方のお相手をすることだ」


執事長は深々と溜息を吐いた。


「もはやあの方が表に出ることはないのだろう......」





***



わたしの話を聞きたいの? いいわよ、教えてあげる。最近ずっと暇なのよ。王都には行けないから流行りの物も買えないし、みんなとも会えないんだもの! ――あ、でもみんな大概処罰されてしまって、王都にいないとも聞いたわ。みんな、どうしちゃったのかしら。悪い人じゃないのに。アナは冷たいわ、みんな国のためを思って行動している人たちなのに、罰するなんて。自分が嫌いだからってあんなことをするなんて、やっぱりアナは王妃に向いてな――


――え? 話を始めてくれって? 急かさないでよ、もう。今始めようとしてたんだから!


わたしはグリーンハルシュ侯爵令嬢として生まれたの。物心ついた時には母はいなかったわ。男と遊び歩いているのだと、使用人が陰で噂していたけれど、母のことはどうでもよかった。わたしには、猫かわいがりしてくれる父がいたから。

お父様、と一度呼んでほしいと言われてその通りにすると、感激したお父様は欲しいものをなんでも買ってくれたの。嬉しくって、それからもずっと呼び続けたけれど、暫くしたら贈り物も嵐はなくなってしまった。残念だったけれど、それを聞きつけた父の友人がおじさまと呼んでくれ、と言ったので、みんなそういう風に呼ぶと、また贈り物の嵐がやってきたの。中でもウォルポール侯爵はすごくわたしに夢中で、息子と婚約してほしい、と拝み倒されたこともあるんだから。息子たちも格好良くて、思ったまま口に出すと、みんな顔が赤くなったの。熱かしら。そう思っていたけれど、兄弟の間で、或いは他の令息との間でエスコート役を争う声を聴いて、驚いたわ。


わたしをめぐってみんなが争うなんて、劇の主人公みたいでワクワクしちゃう。そうでしょう?


取り合われていたわたしは、最終的にウォルポール侯爵の令息6人と婚約したの。兄弟6人いると、贈り物も豊富だったし、競って愛の言葉を囁いてくれるのが心地よかったわ。スペンサー公爵家のふたりでもよかったけれど、ふたりだと味気ないからやめたの。

そうそう、デビュタントを果たしたあたりから、わたしを王妃に、という人が増え始めたのよね。筆頭はおじさま――ウォルポール侯爵よ。オリヴィア姫もいるのに、とわたしは最初困ったの。でも、オリヴィア姫よりもマーガレットの方が王妃に相応しい、と言われたら話は別よね。


この国の一番である王妃。やっぱりその座には、相応しい人が座らないとだめよね。


でも、困ったわ。オリヴィア姫さまが死んでくれないと、わたしは王妃になれないなんて。主は試練をお与えになったのかしら。

そう思っていた時よ。


鮮やかな黒の髪に王家の証たる紫の瞳を持つ女が、王妃の娘を名乗ったの。

ユリアーナという女は、わたしが選ばなかったふたりと、平民が父親だという可哀想な男ひとりを婚約者に据えて、王太女の位に就いた。


わたしは驚いた。王妃殿下に子供がいるなんて話は、聞いたことがなかったから。しかも、父親は明かせないんですって。きっと平民なんだわ。きっと貴族の会話が分からなくて困っているだろうから、社交界で人に囲まれているときには必ず助けてあげた。きっとユリアーナはわたしに感謝していたと思うの。

でも、わたしは心配になったの。今まで貴族とお話したことがないあの子が王妃になんてなって、大丈夫なのかしらって。

わたしは小さな不安を夫となった6人に告げたわ。そうだよね、と6人も頷くから、やっぱりみんな不安なんだわ、と思ったの。国民を安心させるのが王妃の役割なのに、高位貴族すら安心させられないなんて、ちょっと大丈夫じゃないかもしれない。そう思って、わたしは知り合いに、王太女に優しく接してほしいとお願いしたわ。きっと、ユリアーナは右も左も分からずに困っているだろうから。知り合いはみんな、わたしを優しいとほめたたえ、頼みを引き受けてくれた。これでユリアーナも楽になるわ! 王妃がするべきことを代わりにやったのだから、ご褒美だってくれるかもしれない。

けれど予想と違って、ユリアーナはご褒美をくれなかった。ひどいわよね。でも、もしかしたら王宮の作法に慣れていないんじゃないかしら。そう思って、わたしは夫にお願いして王宮に行き、官吏や家臣たちに、ユリアーナは王宮のしきたりに慣れていないから、間違っても許してあげてほしい、と伝えたの。


もう、ユリアーナったら、わたしがいないと何にもできないんだから。


そんな風だから、わたしはユリアーナが即位してから暫くは忙しかったのよ。結婚してから程なくして通うようになった娼館が気晴らしだった。殆ど毎日行っていたかしら。すごいのよ、何も言わなくったってお願いを察して聞いてくれるんだから!きっとわたしの心が清らかだから、相手がすぐに理解してくれるんだわ。

そうこうしているうちに、わたしは妊娠した。夫たちは飛び上がって喜んだけれど、わたしはちっとも嬉しくなかった。体は重くなるし、体重は重くなるし、自分以外が体の中にいるなんて、気持ち悪くて仕方ない。

けれど、みんな喜んでいるから、言わないことにした。おじさまが、たくさんのものを贈ってくれたし、わたしの方が早く妊娠したから、やっぱりわたしの方が王妃に向いてそうだってみんな言ってる。


そうよね、やっぱりわたしじゃなきゃだめよね。


でも困ったわ。アビゲイル姫は小さいから別として、アナとオリヴィア姫がいる限り、わたしは王妃になれないなんて。どうにかして王妃の位から降りてもらわなきゃだめよね。


だって、わたしはマーガレット・ファロンだもの。





王宮の宴に招かれた。フェリックスはとても晴れやかな顔をしていた。きっといいことが起こるって。教えてほしいとせがんでも、教えてくれなかった。ひどいわよね、わたしのお願いを聞いてくれないなんて。


でも、その日の宴でいいことは起こらなかったの。


ユリアーナが矢で射られてしまったの。おじさまにユリアーナをここに呼んで、と言われてたから呼んだだけなのに。何本も矢が刺さっていて、痛そうだった。しかも、わたしの腕にも掠ってしまった! とっても痛くて辛くって、大声で泣き喚いたわ。そうしたらお医者さんがたくさん来てくれて、なんとか無事だったのよね。王宮で襲われたから、王家の責任だってみんな騒ぎ立てて、王家からお金をもらったわ。トビーやジェレミーも来てくれたの。ユリアーナは?って聞いてもどうでもいいって言うんだから、やっぱりただの軽傷だったのよね。ひどいわ、それなのにお医者さんを4人も取っていってしまうなんて。わたしには14人しかいなかったのに。


ねえ、あなたもそう思うでしょう?


あのあとは落ち着いていたわ。お屋敷から出してもらえなくてすごい寂しかったんだけれど、娼館の人がお屋敷に来てくれるサービスがあったの! よくわたしを抱いている侍従にお願いして連絡を取ってもらって、たくさんむつみあったから、あんまり退屈はしなかったわ。でも、またすぐに妊娠してしまってがっかり。また10か月も遊べないなんて、悲しくて仕方なかった。

退屈していたころに、王宮から知らせが届いたの。


ユリアーナが死んだって。


わたしはすぐに王宮に向かったわ。そうしたら、ユリアーナは自殺したっていうじゃない! とっても悲しかったわ。確かにわたしがいないと何にもできないようなダメな子だったけれど、悪い子じゃなかったもの。こんなに早く、理由も分からず死んでしまうなんて。トビーたちに理由を突き止めるようにお願いして、王妃の位を引き受けたわ。でも、1年だけよ? オリヴィア姫がいるんだもの。


――もちろん、みんながわたしの方がいいって言ったら、話は別よ?


でも、わたしは王妃にならなかったの。

ユリアーナが生きていたのよ。

ひどいでしょう? アナはみんなをだましていたの。お国から追放されて、この国に来たんですって。追放されるなんて、一体何をしたのかしら? あんな子が女王なんて絶対に無理。そう伝えたいのに、いつもわたしの側にいた夫たちはいない。あの宴で暗殺者を雇った犯人だったんですって。好きだったけれど、もう違うわ。だって、あのせいでわたし、とっても痛い思いをしたんだから! 頭をついて涙ながらに許しを請われたら、許してしまうかもしれないけれど。わたしは侯爵夫人だったのに男爵夫人になって苦労してるんだから、みんなにもその大変さを分かってほしいわ。


最近じゃ、娼館にも気軽に行けないし、贈り物だってめっきりなくて、とっても悲しいの。あぁでも、ドレスは最近新しいものを買ったわ。ウェンリーが今までの服はすべて売ってしまったの。新しい服の方が似合うんですって。けれど、鏡がないから分からないの。ウェンリーったら、鏡を割って壊してしまって、それからずっと買わないままなのよ。お金がないのかしら? わたしに言ってくれたら、だれかにお願いするのに。


――え? 鏡を持ってる? 見せてくれるの?


ねえ、この鏡おかしいわ。映っているのはただの醜い豚じゃない。わたしがいないわ。


――何を言っているの? わたしは国で一番美しいんだから、こんな豚じゃないわ。ねえ、鏡をちょうだい。きれいな私を見せて。ねえ。ねえ。違うでしょう? それは、鏡じゃないでしょう? ねえ、答えなさいよ、ねえ、ねえったら......!

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