第8話
その日、キャロル・アップルヤードが在籍しているクラスに、一人の留学生がやって来た。
緩くウェーブのかかったハニーブロンドの髪に、アメジスト色の瞳をした、綺麗な顔立ちの少年だ。
彼は柔らかな笑みを浮かべ、このクラスの担任の先生に紹介されている。
「では、こちらがオアーゼからいらした、イリス・クラウン・オアーゼ殿下です」
「初めまして、イリスです。こうして皆さんに会えて、とても光栄です」
イリスはどこか甘い響きを持った声で、胸に手を当ててにこりと微笑む。
ほう、とクラスのあちこちで感嘆のため息が漏れた。主に女生徒から、うっとりとした眼差しが向けられている。
今のひと時で恋に落ちた者もいるだろう。
――しかし、キャロルはイリスの事をちょっと警戒していた。
理由はクライドとメイから「イリスには注意してね」と言われているからだ。
イリスの素行についての噂自体は知っているし、留学に来る経緯も二人から聞いている。
過去がどうであれ、心を入れ替えているならばキャロルは気にしないが、警戒しておくに越した事はない。
というわけで同級生達とは違って、キャロルは冷静な目でイリスを見ていた。
もっともキャロルにとって恋愛対象になるのはクライドだけなので、そう言う意味では特に興味もないのだが。
そう思いながら見ていると、先生がイリスを連れてキャロルの隣に座るメイのところへやって来る。
「それではメイさん。イリス殿下のご案内をお願いしても良いですか?」
「承知しました、先生」
メイは頷くと立ち上がり、胸に手を当てて軽く頭を下げ、にこりと微笑む。
「メイ・ワッツと申します。初めまして、イリス殿下」
「初めまして。あなたのように美しい方が一緒に来ていただけるだなんて、とても光栄ですよ」
「お上手ですね。それではこちらへどうぞ」
イリスの誉め言葉をメイはさらっと流す。
キャロルの親友は昔からとてもモテているので、受け流し方はとても慣れているのだ。
(でもメイはモテても誰ともお付き合いしないんですのよね)
恋する相手がいないのよ、なんてメイは言っていたなぁとキャロルが思い出していると、ふとイリスの視線がこちらへ向いた。
目が合う。おっと、と思いながらキャロルも立ち上がった。
「やあ、かわいらしい人がこちらにも。初めまして、お嬢さん。お名前を伺っても?」
「初めまして、殿下。キャロル・アップルヤードと申します」
「お名前もかわいらしいですね。良かったら、あなたも一緒に来ていただけませんか?」
おや、とキャロルは首を傾げた。
学園案内ならば複数人が一緒に行く必要がないからだ。
けれども、それがイリスの口から出た事がキャロルは気になった。
彼の噂についてだ。もしもそう言う意味合いで言っているのなら、メイを彼と二人きりで学園案内へ行かせるのは心配である。
キャロルはほんの僅かの時間考えた後、
「それはあなたからメイを守って欲しい、というお願いですの?」
と聞き返した。すると、ぴしり、とイリスの笑顔が固まる。
そして先生がぎょっと目を剥いて慌て出した。
「み、ミス・アップルヤード! さすがにそれはストレート過ぎますよ!」
動揺のあまりそんな事を口走っている。先生も先生で思う所があったらしい。
メイが頬に手を当てて「あらあら」と苦笑していた。
「……ふふ。あははは!」
すると、固まっていたイリスが噴き出した。腹を抱えて笑っている。目尻に涙まで浮かんでいる。
「ああ、笑った。面白い子ですね、あなた。堂々とそう言われるとは思いませんでした」
「ただの認識のすり合わせですの。イリス殿下のお噂だけは色々伺っておりますので」
「陰口ではないところがとても好印象です」
「あらまぁ」
この王子、もしかしてそういう趣味の持ち主なのだろうか。
そんな事を思ったが、さすがのキャロルもそこまでは言葉にしなかった。
イリスはくすくす楽し気に笑いながら、
「そうですね。ではもし、そういう意味でしたら、どうなりますか?」
と聞いて来た。
自分でそれを言ってしまう辺り、冗談が混ざっているのだろう。
「今後、距離を置くだけですわ。イリス殿下はそのつもりはないのでしょうけれど」
「そうですね。ふふ。……あなたは見た目ほどふわふわしてないんですね」
「女性を綿菓子のように思ってらっしゃるのなら、考えを改めた方がよろしいですわ」
「肝に銘じます」
キャロルがそう言うと、イリスはにこっと笑った。
「ご安心を。噂通りのイリスではありませんので。単純に、学園で友人が欲しいだけなのです」
「それでしたら、構いませんわ」
「ありがとう。それでは行きましょうか、お二人共」
そう言うと、イリスは上機嫌ですたすたと歩き始めた。
案内するのはこちらなのだが。キャロルとメイは顔を見合わせてから、その後を追いかけた。
それを見ながら先生はそっと、自分の意の辺りを手で抑えた。げっそりした顔の先生を見て、同級生が声をかける。
「先生、大丈夫?」
「先生はとても胃が痛いです……」
「胃が痛くなる前にちゃんと止めないと。先生の役割ですよ、それ」
「うん……反省します……」
ハァ、と先生はため息を吐く。
教師生活十年と少し。こんなに面倒そうな仕事が自分に回って来るとは思わなかった。
(僕は平々凡々で地味な人生を歩みたい……)
そんな事を心の中で呟きながら、彼はしばらく、キャロル達が出て行った方向を見ていたのだった。
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