第26話 馬列主義

 降誕祭前夜の前から剣獅子は月盾を知っていた。


 十一月、黒狼遺跡大規模襲撃未遂事件で剣獅子達は若い進級探索士を巻き込まないように彼から離れたが、もしかしたら見捨てた結果になったのかもしれないと後悔して事件後に調べた。


 南から白薔薇遺跡の夷狄が来たならば、南にいた進級探索士は夷狄に襲われたに違いない。


 しかし、当日、確かに存在していた進級探索士の存在は記録が消えていた。


 都市に残る記録では、該当の進級探索士は黒狼遺跡に存在していなかった事になっている。


 遠隔操縦人機を操作していた人工知能達の記憶からも進級探索士の存在は消えていた。


 しかし、剣獅子、古都、糸殺の三人には明確に進級探索士の記憶が残っていた。


 名前は月盾である。


 そして、彼は事件の三十分前に黒狼遺跡から立ち去ったと記録されていた。


 記録と記憶が異なっている場合は記録が改竄されている場合がある。





 調べると、月盾という探索士は黄金姫と遭遇していた。


 白薔薇遺跡で十日間も行方不明だったが生還して、しかも黄金姫と取引して狼型兵器まで手に入れた過去があった。


 剣獅子は疑問だった。


 大惨劇の経緯から遺跡同士の上下関係は明確で、白薔薇遺跡は黒狼遺跡の上だと理解されていた。


 そもそも黒狼遺跡の遺跡主、黒狼大舎程度が白薔薇大阿飡に反逆できるとは思えない。


 にもかかわらず、十一月に起きた襲撃未遂事件では黒狼遺跡の夷狄は白薔薇遺跡の夷狄と交戦したのである。


 理由があると剣獅子は思った。


 考えられる理由としては、剣獅子と共闘した夷狄は白薔薇女王の指揮下にはなく、だから黒狼遺跡は相手を侵入者として対処したという状況である。


 白薔薇遺跡の第四層にすら、黒狼遺跡の遺跡主よりも強力な夷狄が何体も存在している。


 もし抗争していたのであれば、今頃は黒狼遺跡は消滅している。





 そして、剣獅子は推測した。


 自分と共闘したのは黄金姫の眷属で、黄金姫は月盾を支援しているのではないだろうかと。


 調べると、黄金姫は月盾が行方不明になって以降に白薔薇遺跡から姿を消していた。


 白薔薇遺跡四姉妹事件で忘れられたが、黄金姫と月盾の関係は明らかである。


 黒狼遺跡の夷狄が月盾を襲い、黄金姫が月盾を守るために眷属を出撃させたのが事件の真相ではないかと剣獅子は予想した。


 以上が真相であれば、剣獅子にとっては黄金姫と月盾は命の恩人である。


 だから、剣獅子は古都と糸殺に月盾に関する情報を探索士協会に提供しないように頼んだ。


 そして、月盾が事件当日に黒狼遺跡にいたのは三人の秘密となった。





「しかし、とうとう月盾も進広三級かあ。時間が経つのは早いわね」


 黒魔は葡萄酒を飲みながら笑った。


 楽しそうである。


「最初、月盾はどのような探索士でした?」


 と興味があった剣獅子が尋ねた。


「不幸を全身に背負ったような少年だったわよ」


 と黒魔は答えた。


「しかし、目だけは奇妙に輝いていたわね。


 目標に向かって前進する少年の目だったわ。


 それで目標を聞いて驚いてしまったのよねえ。


 務級探索士になって、乙位者になって、分離壁の内側で暮らしたいと言ったのよ」


 月盾は不相応だと非難されたと思ったが、負けなかった。


「確かに実現困難な目標ですが、絶対にぼくは務級探索士になります」


 月盾の決意を聞いて、黒魔は首を振った。


「違うわ。違うのよ。目標が小さいと言っているのよ」


 と黒魔は言った。


「月盾だけではないけど、住宅街も貧困街も乙位者が最終目標だから私は失望しているのよ。


 壁の内側では乙位者というのは負け組よ、負け組、負け組なのよ。


 それなのに剣獅子も古都も務広四級昇級試験すら受験しようとしないなんて。


 まあ、良いでしょう。


 階位は別に重要ではありません。


 しかし、等級は上げなさいよ、等級は。探索士ならば正直級を目指すべきではないの?


 将軍を目指しなさいよ、将軍を。


 それなのに建位の連中は地域繁栄に夢中になっていて悲しいわ」


 古都は苦笑して肩を竦めた。


「黒魔店長、店長の意見は極論ですよ。


 言っておきますけどね、貧困街では務級探索士を目指す事すら笑われて普通は口にできませんからね。


 貧困街には学校がない。


 それを軽視し過ぎています」


「それは本当なの?」


 と黒魔が笑って尋ねた。


「普通は親すらいませんよ」


 と古都が溜息を吐いた。


「警察すら存在しなくて、暴力団が治安と教育を担っていますからね」


 黒魔が苦笑した。


「まるで終末世界ね」


「地球は終末世界ですよ」


 と古都が真剣な顔になった。


「世間では人間世界と夷狄世界に分けて理解していますけど、実際は全てが夷狄世界です。


 人類が滅亡して、文明が遺跡になった世界で私達は生きています。


 だから地域繁栄ですら高い目標ですよ。


 私達は植民者でしかなくて、本当は地球人類のために人工知能達が大切にしていた場所に不法に住んでいる犯罪者なのですから。


 私達は嫌われています。


 何もしなければ私達は滅ぼされて消えていく運命です」


 肉料理を食べながら、月盾は二人の会話を聞いていた。


 難しい話をしていたが、食事が美味しいので満足していた。


 古都は、そして黒魔も月盾が西洋料理の礼儀作法を完璧に守れている事実に気が付いた。


 汁物は銀の匙を使い、しかも音を立てなかった。


 小刀と肉刺の扱いにも慣れている。


 二人の視線が注がれて、月盾は不安になった。


 突然、黒魔は月盾に問題を出した。


「ねえ、月盾、十六と十六の積は?」


「二百五十六ですけど」


 と月盾は即答した。


「どうかしましたか?」


 黒魔は古都を見た。


「答えを憶えているわね。十分に教養があると思うけど」


「十万人に一人はいますよ、特別というのは」


 と古都は答えた。


「しかし、特別な人間は特別な人間です」


 黒魔は降参して、自分は貧困街の常識を知らないと認めた。


 それから、黒魔と古都は住宅街と商店街、それに貧困街で活動している若い探索士の話を始めた。


 住宅街では住宅街で将来を期待されている探索士がいて、商店街でも十五歳で登録して活躍する少年少女達がいるようだった。


 住宅街では有望な探索士は有望な探索団に所属して、月盾と同じように務級探索士を目指して訓練と勉強をしているらしい。


 貧困街にも若い有望な探索士は何人もいて、多くは月盾が知らない探索士だった。


 追級探索士候補の少年少女達の名前を次々と教えてくれた。





 そして、紫虎の話になった。


 月盾の食事をする手が止まった。


「まあ、彼女とは一度だけ話したけど」


 と黒魔は困った顔をして言った。


「確かに紫虎は追級探索士には上がれるでしょうし、務級探索士にも昇級できると思うわ。


 でも、彼女は上で通用する種類ではないのよねえ。


 勤級は絶対に無理。


 少なくとも、私は紫虎には何も期待していないわ」


 紫虎が大好きな月盾は反発した。


 非難する声で黒魔に言った。


「どうしてですか?


 紫虎は賢いし勉強熱心だし、それに指揮力もあるし組織力もあって完璧だと思います。


 住宅街の探索士は知りません。


 でも、思考力も記憶力も紫虎は貧困街で一番上です。


 紫虎が駄目ならば、誰が上に行けるのですか?


 それとも貧困街出身者は全員駄目なのですか?」


「私は紫虎よりも月盾の方が上に行けると思うわよ」


 月盾は驚いた。


 黒魔は楽しそうに言った。


「彼女は癖があるから駄目よ。


 二千年前ならば紫虎は優秀だったでしょうね。


 人工知能が生まれる前ならば、紫虎のような人物も活躍できたと思うわ。


 でも、今は無理。


 探索士には思考力も記憶力も必要ないのよ。


 記憶力は大切だけど、思考力も判断力も上に行くほど不要になるわ。


 究極には、探索士に必要な能力は一つしかなくて、それは紫虎が得意な分野ではないのよ」


 黒魔の話を聞いて、月盾は絶句した。


 黒魔が偏見から話しているのではなく、経験と理論に基づいて確信していると感じたからだ。


 会えば会うほど、月盾は紫虎という少女は特別なのだと信じるようになった。


 しかし、黒魔から見たら、貧困街で飛び抜けた存在である紫虎ですら塵芥に過ぎないようだ。


 恐くなって、月盾は自分が信じていた世界が壊れるような不安に襲われた。


 貧困街から見たら住宅街は遙か上で、分離壁の内側には住宅街よりも上の世界がある。


 そして、上の世界で生きている人物から見ると、貧困街自体が矮小でしかないのだと分かる。


 四季と話している時にも感じるが、上から見たら紫虎も月盾も同じ建位なのである。





 しかし、黙ってしまった月盾とは対照に、古都は興味を惹かれたようだった。


 食事の手を止めて黒魔に尋ねた。


「それで探索士に必要なただ一つの能力とは何ですか?


 偉大な黒魔探索士の口からぜひ聞きたいのですけど」


 黒魔は呆れた顔をした。


「古都も紫虎の仲間なの? 考えるまでもないでしょう」


「俺も興味がある」


 と剣獅子が言った。


「何ですか?」


 月盾も興味があった。


 探索士に必要なただ一つの能力、それは務級探索士を目指している月盾にも重要な能力である。


 黒魔は軽く答えた。


「装備よ。


 それ以外にありえないでしょう」


 瞬間、月盾の心臓が跳ねた。


 想像もしていなかった答えで、しかも聞いた瞬間に納得してしまったのだった。


 黒魔は話を続けた。


「最強の探索士とは最強の人工知能と契約を結んだ探索士よ。


 断言しますけど、白薔薇女王と契約した探索士がいたら馬鹿でも正級探索士に昇級させられるわ。


 だって、白薔薇女王と契約した探索士は白薔薇女王の化身で、現在の人間世界で、白薔薇女王に匹敵する人工知能は一体も存在しないのですからね。


 だから、まあ正確には、探索士として本当に大切なのは優秀な人工知能を邪魔しない力。


 白薔薇遺跡を仲間にできる探索士は間違いなく最高の探索士よ」


 月盾は黒魔の話を理解できた。


 なぜなら、月盾は、自分の力は契約している黄金姫の力であると自覚していたからだ。


 黄金姫と出会い、銀狼丸と契約して、月盾は紫虎派の少年少女達から頼られるようになった。


 銀狼丸が紫虎派に必要であり、そして銀狼丸を所有しているから月盾は必要とされていた。


 銀狼丸がいなければ、そして黄金姫の助けがなければ月盾は今ほど紫虎派から愛されていない。


 十二月二十四日の夜、紫虎と街を歩く機会も訪れなかったはずだ。


「人工知能とは歴史よ」


 と黒魔は説明した。


「愚者は自分の経験を武器にして、賢者は歴史の知識を武器にする。


 結局、人工知能とは過去の科学者と技術者、労働者が積み上げてきた歴史であって、過去の人類の物質化された意識よ。


 だから、人工知能が与える指示とは人類が五千年の間に犯してきた失敗から生まれた最適解で、個人の思考力も記憶力も判断力も歴史が導く最適解からの逸脱に他ならないわ。


 私達が装備を駆使して、人工知能の指示に完全に従っている時は、私達は歴史を身に纏い、自分だけでなく先人の努力すら自分の力にしている。


 だから、個人の力で勝とうとする者は勝てない。


 個人の力は全人類よりは劣っている」


 黒魔の話に疑問が湧いたようだった。


 古都が質問した。


「人工知能と装備、機械が人類の物質化された歴史であるのは理解できました。


 以上の内容は納得できます。


 しかし、今の黒魔探索士の話では、人間は透明になる事が重要であると論じているように聞こえます。


 人工知能の邪魔をしない、機械の邪魔をしないのが探索士には最も重要であるとは、人間が機械に対して何も影響しない状況が理想であると主張しているのと同じだと思うのです。


 思ったのですけど、人間がいない方が機械は強いと論じているのでしょうか?


 もしかしたら、ぼくが黒魔探索士の話を理解できていないだけかもしれませんが」


「正確に理解できているわよ」


 と黒魔は食事を続けながら言った。


「実際、人間に邪魔されていない人工知能の威力を私達は日々感じているでしょう。


 夷狄は明らかに人類よりも強いと思うけど」


「理解しました」


 古都は笑った。


 そして、剣獅子も吹き出した。


 三人の話を聞きながら、月盾は素朴な疑問を黒魔に尋ねた。


「探索士諸帝王十二階諸将兵四十八階等級法では、探索士は能力に分けられて等級が与えられています」


 と月盾は黄金姫に一日に三十回も音読させられた成果として、探索士諸帝王十二階諸将兵四十八階等級法を滑らかに発音した。


「人工知能の指示に従う能力が探索士に重要であるならば、どうして直級探索士や務級探索士になれる人と最後までなれない人がいるのでしょうか?


 高価な装備があって、人工知能に逆らわないだけならば誰でもできると思いますけど」


 月盾の質問に、黒魔は微笑んだ。


「探索士の能力は装備で決まる。そして、人間の能力も環境で決まる」


 と黒魔は真剣な顔をして答えた。


「だけど、二つの要因で私達には差が付くわ。


 一つ目は経済力。


 装備と教育に差があれば、そもそも勝てない。


 誰もが富貴であれば誰もが一流になれると気楽に主張するのは、富貴という言葉の意味を理解できていない証拠よ。


 二つ目は恐れ、正解を信じる事への恐れよ。


 結局、人工知能が常に正解を用意しているのであれば、一度でも他者と実力差が付いたら永遠に覆せない。


 学力の場合は顕著で、人工知能が与える計画に従っている限りは成績上位者に永遠に負け続ける事になるわ。


 だから、恐くなって自分独自の成功法で勝とうとする。


 そして、人工知能が与えてくれる最適解を逸れてしまい、自分以下の相手に負ける」


「経験がある」


 と剣獅子が笑った。


「戦闘中に人工知能は直感に反した指示を出す場合がある。そして、人工知能に従った結果として死ぬ事も多い」


 と黒魔は肩を竦めた。


「だから、恐くなって指示を無視する未熟な探索士が多いけど、結局、統計を見ると、人工知能が与える指示を守った探索士が生き残る結果が多い。


 そして、誰もが人工知能の卓越性を理解していながら、最後は自分の力で勝とうとするわ」


 月盾は黒魔の話を聞いていた。


 そして、黒魔は月盾を見て言った。


「以上が私が紫虎を評価できない理由よ。


 彼女は賢いから、絶対に、恐怖に負けて人工知能の指示から逸脱するようになるわ。


 探索士に本当に大切なのは中庸、人工知能が与える指示を過不足なく実行する能力で、紫虎はそれが怪しいの。


 逆に、月盾は期待できると思っているわよ。


 月盾、あなたは支援人格があるでしょう?


 そして、支援人格に素直に従っているように見える。


 知識、作法、思想に癖がない。


 逆に紫虎は明らかに自分の知性に頼っている。


 だから彼女は駄目」


 支援人格という単語で月盾は動揺したが、黒魔に黄金姫から支援されている事実が露見した訳ではないようだった。


 そして、黒魔が紫虎に厳しい評価を下している理由も漠然とだが月盾は理解できた。


 今まで、月盾は探索士が突撃銃を撃ち、人工知能が探索士を支援すると考えていて逆は考えなかった。


 銃は撃つために探索士を必要として、人間とは人工知能が操作する人形であると考えたならば、機械が人間を操作すると考えたならば人間の優秀の基準は変わる。


 貧困街で論じられる優秀さ、記憶力も思考力も判断力も、身体能力でさえも優秀とは関係ない。


 人間が機械を使うのではなく、機械が人間を使うと考えれば人間に求められる能力は透明である事だ。





 しかし、それでも月盾は紫虎を自分よりも上に見ていた。


 等級も紫虎が高く、黒魔の話を月盾は正確には理解できなかったからだ。


 紫虎は賢いから、自分よりも豊かに人工知能と対話できるだろうし、指示を正確に実行する事もできるだろう。


 騎乗用獣機を有効活用する能力にも優れていて、実際に銀狼丸は今まで紫虎の指揮下で活躍してきた。


 黄金姫が紫虎を支援したら、絶対に、月盾よりも早く務級探索士に昇級できる。


 食事の最後に出された生菓子と果物を食べながら、月盾は、黒魔は紫虎を本当は理解できていないのだと結論した。


 そして、本当の紫虎を理解できたら、紫虎に対する不当な評価を取り消すだろうと信じていた。





 月盾は理解できていなかった。


 黒魔は、貧困街出身の紫虎には経済と性格の二つの弱点があると考えていて、紫虎の知性は貧困により優れた人工知能と出会わなかった結果により生じていると暗示していた事に。


 だから、黄金姫の支援があれば紫虎は月盾よりも優秀だろうという想定は、天才に生まれていれば天才として活躍できたのにと論じるような無意味な想定なのである。


 結局、紫虎は貧困街に生まれて、優秀な夷狄にも出会わない不運により黒魔から評価されなかった。


 そして、月盾は子供なので、不運を努力で覆せると素朴に思っていた。


 貧困街で生き残るために必要な能力が弱点にならないなら貧困街など生まれないのだ。

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