第23話 『あの日の理由』

 ダンスを辞めた。煌大は一瞬、何を言っているのかが分からなかった。

 小さな頃からずっと続けてきたダンスを、萌は辞めたのだ。煌大は、にわかには信じられなかった。


「辞めたって……どういうこと?」


「そのままよ。ダンス、辞めたの」


「お前……何で……!

 全国出るって、あんなに意気込んでたのに」


「さあ、何ででしょうね」


 煌大は、理由を考える。

 怪我か、はたまた病気か。


 病気だったらどうしよう。難病だったりしたら、どうしよう。


 そんな考えすらよぎった煌大に、萌は理由を話し始める。


「煌大に、振られたからよ」


「……は?それだけで?」


「それだけでって、何よ」


「たったそんだけのことでっ……!お前はずっと続けてきた大好きなダンスを辞めたっていうのかーーー」


「ーーー大好きなのはダンスじゃなくて、煌大だった!」


「ーーーっ!」


 萌は再び、声を荒らげる。煌大は、萌の一言一言に胸が締め付けられる。


 こんなに自分を想ってくれる人間なんて、世界中どこを探しても見つからないだろう。

 煌大はそう思うと、締め付けられた胸が、苦しくなっていく。


「煌大が好きだから、ダンスを続けられた!煌大に振り向いて欲しくて、ずっとずっと頑張ってきて、いい成績も残したのに!煌大は私のことなんて全く見てくれてなくてぇっ……!」


 萌は、膝に手を当てて、中腰になりながら下を向く。

 ポツポツと流れる涙が、地面に跡をつけていく。


 煌大は、目の前で泣き崩れそうな萌を見て、自分も泣きそうになる。

 もらい泣きではなく、自分がどれだけ、目の前にいる女の子を傷付けたのかを思い知って、自分が不甲斐なくて、情けなくて、たまらないのだ。


「……萌」


「……」


 萌は涙に濡れた顔を上げて、煌大の目を見る。

 萌がこれまでに見たことがないくらいに、固く、何かを決心したような目をしていた。


 煌大は、萌の様子を見て力の抜けきった拳を力強く握り、口を開いた。


「ーーー全く見てないわけ、ないだろ」


「……え?」


 萌は、涙で霞んだ目を見開いた。

 煌大は、ただ真っ直ぐに、萌の桃色の瞳を見つめる。


「萌が俺を想ってくれて、その気持ちを原動力にダンスを頑張ってたなんて、今初めて知った。でも、お前がこれまで、ずっと頑張ってきたことは知ってる。

 何年も一緒にいるんだから、頑張りを見てないわけないだろ?」


「……」


「それと、萌」


「……?」


 煌大は一瞬だけ目を逸らし、僅かに顔を赤らめる。

 萌は、煌大の言葉を待つように、煌大の顔から目を逸らそうとしない。


 煌大は再び、萌の顔を見て、意を決して言った。


「ーーー俺も、萌が好きだったよ」


「ーーーえっ?」


 煌大の口から飛び出したのは、紛れもない「告白」であった。


 萌は、全身から力が抜けて、持っていたスクールバッグを地面に落とした。


「どっ……どういうこと?」


「そのままだよ。俺も、萌が好きだった」


「好きって……じゃあ、何で私を振ったの……?」


「……それは」


 煌大は言葉に詰まる。

 何故なら、煌大が萌を振った理由は、今、煌大が夢花への片想いでアタックの妨げとなっている『怖い』という感情からであるためだ。


 夢花は、萌と重なる部分がある。

 色んな人から持て囃され、人気を欲しいがままにしている部分だ。


 目立つタイプではあるがモテるタイプではなかった煌大にとって、萌はあまりにも眩しくて、自分には勿体なかった。

 萌と二人で話したり、帰ったりしている時だって、いつも周りからは羨望の眼差しを向けられた。

 しかし、その眼差しの大半は、


『何であんな奴が……』

 

『あんな奴にはもったいないだろ……』


 という、煌大に対する嫉妬……否、侮蔑のであった。

 『あんな奴が』『釣り合わないだろ』などと、煌大を侮辱するようなも、いくつも耳にしてきた。


 その度に、「俺は本当に萌といていいのかな」と疑うようになり、「関わらない方がいいのかも」という考えまで芽生えたこともあった。


 小学校、中学校と一緒に過ごしてきて、煌大は自然と、萌に好意を持ち始めた。

 萌からからかわれたり、いたずらをされたりしたことで、嫌がる素振りを見せた煌大は、本当はその全部が嬉しかったし、楽しかった。


 でも、やはりそこで煌大を蝕むのは、『怖い』という感情だ。

 周囲の人々から受ける視線は、痛いほど煌大に突き刺さり、煌大の萌に対する好意を削いでいった。


 次第に、今と同じ、「自分じゃこの人とは釣り合わない」という考えになっていった。

 同時に、煌大と近くにいることで、萌が何らかの被害を受けたりしないかが、怖かった。


 煌大と萌は、互いに想いあっていた。

 しかし、好きなのに『怖い』という感情が邪魔して、煌大は萌を徐々に遠ざけていった。


 萌から話しかけられたら普通に反応し、普通に話しもするが、自分から喋りかけに行くことは少なくなった。

 そんな生活が続いたある日、萌は他の生徒から告白された。

 それを知った煌大は、どうしていいか分からなくなった。

 萌がその告白を断ったと知って、心から安心した。

 その日を境に、萌は月一ペースで告白を受けるようになった。


 いつか、萌が他の人のものになってしまう。それがどうしても嫌で、怖かった。

 それでも、また近づいて冷たい目で見られるのも怖かった。


 萌は、受けた全ての告白を断り続けた。出かけの誘いすら受けなかった。


 中三になり、萌は高校生からしばしばナンパをされるようになった。

 ある日、煌大はそれを知って、萌を守らなければならないと思い、萌のあとをつけた。


 中高一貫校である星華は、校舎も隣り合っているため、帰り道で高校生と顔を合わせることは多かった。

 そのタイミングで、萌は声をかけられるのだ。


 一人で帰っている萌に、二人組の男子生徒が近づいた。

 慎重に会話を聞いていた煌大は、それがやはりナンパであることに気づいた。

 萌の嫌そうな顔を見て、煌大は物陰から飛び出し、萌を連れ出して、逃げ出した。


 すると、


『ーーー誰だよお前』


『ーーー気持ち悪』


 という、わざとらしい会話が聞こえた。

 「お前が誰だよ」と言ってやりたかったが、そんな度胸は当時の煌大にはなかった。

 煌大は、それが忘れられないまま、卒業式を迎えた。


 その日に、煌大は萌から告白をされた。


 好きな相手に、好きと伝えられる。煌大はもちろん嬉しかった。

 このまま告白を受ければ、ずっと萌の隣で、萌の笑った顔が見られる。

 どこかに出かけたり、家で遊んだり。そんなところまで想像した。


 でも、萌の隣にいることで、周りから受ける視線はどうなるか。

 自分がされるのも怖いけど、萌が嫌な扱いを受けることがもっと怖かった。


 だから、煌大は決断したのだ。

 告白を、断るという決断を。


 それは、決して楽な決断ではなかった。

 煌大も萌が好きだったから。

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