第2話

 昼食死闘を制した僕たちは、無言で拠点にしている空き家を目指していた。

 魔家があるので必要なかったのだが、村民たちの厚意を無碍に出来ず、使わせてもらっている。

 全員が大なり小なり消耗しており、先ほどの惨劇を記憶から抹消しようとしているかのようだ。

 作った本人である姫様が、ある意味最もダメージが深刻に見える。

 僕も舌がまだ、正常に機能していない。

 とは言え戦闘に支障はないので、まぁ、良しとしよう。

 そんなことを思いながら歩いていると、村民たちの姿が見えて来た。

 こちらに……と言うよりは姫様に気付いて、慌てて頭を下げている。

 当然と言えば当然だが、やはり一国の姫に粗相があってはいけないと考えているらしい。

 姫様自身は気にしておらず、傷心していることを悟らせないように、華やかな笑みを返していた。

 そんな彼女をリルムはジト目で眺めつつ、余計なことを言わない程度の分別はある。

 すると村民たちを掻き分けて、前方から歩み寄って来た老人が口を開いた。


「ソフィア様、訓練お疲れ様でした。 冷たいお茶を用意してありますので、ゆっくりされて下さい。 お連れの方々も、良ければ一緒にいかがでしょうか」


 彼はこの村の村長で、いろいろと便宜を図ってくれている。

 姫様に好印象を与えて、村に恩恵があることを期待している下心もありそうだが、それは普通の思惑かもしれない。

 だからこそ姫様は、絶妙な距離感で接している。


「有難うございます。 この村のお茶は美味しいですからね、今度お父様やお母様にもお勧めしておきます」

「ほ、本当ですか!? 有難うございます!」


 興奮した声を上げる村長と、喜びを露にする村民たち。

 姫様は一言も具体的なことは言っていないが、間接的に村の評判を上げることを匂わせている。

 僕は素直に感心していたが、リルムは「女狐って感じね……」などと呟いていた。

 ちなみに、姫様の耳にはしっかり聞こえているらしい。

 その後は結局、姫様だけが招待を受け入れ、僕たちは辞退することにした。

 アリアは個人訓練に取り組みたいからで、リルムは単純に面倒だから。

 そして僕も、やるべきことがある。

 こうしてパーティが一時解散しようとした、そのとき――


「それ!」

「きゃ……!」

「ちょ!?」


 こっそりとアリアとリルムの背後に回っていた少年が、2人のスカートを捲り上げた。

 白日の下、美少女たちの下着が曝け出される。

 僕は訓練のときに何度も見ていたが、アリアがピンクでリルムが薄緑。

 ついでに言っておくと、姫様は水色だった。

 周囲の村民たちは咄嗟に顔を背けながら、視界に収めたのは間違いない。

 そのことを察したアリアは顔を真っ赤にし、リルムは少年に向かって喚き立てる。


「こんのエロガキ! またあんたなの!?」

「へへーんだ! そんな短いスカート履いてる方が悪いんだよ! 大体、魔王を倒すパーティのくせに、簡単にやられ過ぎじゃねーの?」


 前半はともかく、後半は割と正しい。

 いくら相手の戦闘力が皆無だとしても、2人とも油断し過ぎだ。

 しかもこの3日、毎日やられている。

 本当に嫌なら、もっと警戒するべきだろう。

 その思いを込めてリルムを見つめると、悔しそうに言葉に詰まっていた。

 アリアに関しては、ひたすら恥じ入っている。

 もっとも、少年の行為が褒められたものじゃないのも確か。

 ここは1度、釘を刺しておこう。

 少年に近寄った僕は、地面に片膝を突いて視線を合わせた。

 突然のことに少年は驚いていたが、気にせず言いたいことを言い放つ。


「キミは気配を消すのが上手だな」

「へ?」

「リルムとアリアが油断していたとは言え、彼女たちの背後を取れるのは中々のものだ」

「そ、そっかな?」

「あぁ。 今、何歳だ?」

「えぇと、5歳だけど」

「と言うことは、聖痕を授かるとしたら5年後か。 しっかり努力し続けられたら、強力な聖痕者になれるかもしれない」

「マ、マジで!?」

「だが」


 そこで言葉を切った僕は、ほんの少しだけ視線の温度を下げた。

 それを受けた少年はビクリと震えたが、敢えて無視して告げる。


「どれだけの能力があろうと、人が嫌がることをする者を僕は認めない。 女神ヘリアも、聖痕を与えないかもな」

「そ、そんな!?」

「それが嫌なら、今後はその力を正しいことに使え。 キミなら、それが出来るだろう」

「……わかったよ」

「良い子だ。 じゃあ、まずはどうするのが正しいと思う?」


 僕に問われた少年は、若干躊躇いながらもアリアとリルムに向き合った。

 対するアリアは緊張した面持ちを作り、リルムはムスッとした顔で腕を組んでいる。

 少年は彼女たちの顔と地面を交互に見やっていたが、ようやくして声を発した。


「……姉ちゃんたち、ごめん。 もうやらないよ」

「……仕方ないから許してあげる」

「わ、わたしも、もう気にしてませんから」


 リルムはまだ不満そうだが、なんとか矛を収めてくれた。

 アリアも恥ずかしがりながら、謝罪を受け入れている。

 取り敢えず場が纏まったと判断した僕は、少年の隣に立って頭を撫でながら語り掛けた。


「良く言えたな、偉いぞ」

「べ、別に、何てことねぇよ」

「そうか」

「……姉ちゃん、名前は?」

「姉ちゃんじゃないが……シオンだ。 キミは?」

「お、俺はダン。 シオン姉ちゃん、俺、頑張るよ。 だから、大きくなったら……」

「大きくなったら?」

「な、何でもねーよ! じゃあまたな、シオン姉ちゃん!」


 耳まで顔を赤くして走り去るダン。

 いったい、どうしたんだ?

 不思議に思った僕が小首を傾げていると、近くから視線を感じた。

 振り向いた先にいたのは、アリアとリルム。

 2人とも何とも言い難い顔をしており、僕の疑問はますます強くなった。


「どうかしたのか?」

「いや、何て言うか……罪な人よね、あんた」

「僕が? 何か失敗してしまったか?」

「えぇと……シオン様は悪くないんです。 悪くないんですけど……」


 どうにも歯切れが悪いリルムたちを前に、僕は首を傾げざるを得ない。

 一方の2人も顔を見合わせて、盛大に嘆息している。

 意味不明だな……。

 謎を謎のままにしておくのはあまり好きじゃないが、今回に関しては諦めよう。

 割り切った僕は、リルムたちに一旦別れの言葉を述べた。


「じゃあ、僕は用を済ませて来る」

「良いけど、どこに行くのよ?」

「大したことじゃないから、気にするな。 2人は自分のことに集中してくれ」

「わかりました。 少しでも強くなれるよう、励みます」

「ま、あたしも試したいことあるし、そうしよっかな。 またあとでね」


 そうして僕たちは、別々の方に向かって歩き出した。

 彼女たちがどのような訓練をしているのかは知らないが、今日までの成長ぶりを鑑みるに、任せておいて問題ない。

 確信を抱いた僕は足を速め、誰にも見られないように村の外に出る。

 言うまでもなく姫様たちを置いて行く訳じゃなく、1人になりたい理由があった。


「そろそろ出て来たらどうだ?」


 村から少し離れた場所まで移動して、呼び掛ける。

 一見するとこの場には僕しかいないが、そうじゃない。


「うふふ、やっぱり気付いていたのね」


 草原に映った雲の影から出現したのは、『殺影』であるルナ。

 外見は出会ったときと同じで、表面的な雰囲気も変わりないが、根本の部分に僅かながら違いが生まれている気がした。

 それが何かはわからないものの、彼女にとって良い傾向だと思う。

 胸中でそんなことを考えつつ、口に出したのは別の言葉。


「わざと悟らせておいて、良く言うな」

「あら、それもお見通しなのね。 やっぱり凄いわ」

「有難う。 それで、何か用があったんじゃないのか?」

「淡白なのも相変わらずね……。 まぁ、用があると言えばあるわよ」


 そう言って足取り軽くルナは歩み寄り、僕の首に腕を回して抱き着いて来た。

 妖艶な笑みを浮かべて瞳を覗き込まれ、思わず見惚れてしまいそうになる。

 密着した体は柔らかく、とても良い香りだ。

 ほとんどの男性を魅了出来るだろうその容貌と相まって、ある意味で非常に危険。

 すると、目の前でクスリと笑ったルナは、予想外のことを言い出した。


「貴方とキスしたくなったの」

「何?」

「キスよ、キス。 この間のが凄く刺激的で、忘れられないのよね」

「あれは、あくまでも回復薬の口移しだ」

「そう言うのを詭弁って言うのよ。 じゃあ、早速頂くわね」


 僕は食べ物か。

 などと言う苦言を呈する間もなく、接近するルナの顔。

 ゆっくりと瞳を閉じ、完全にになっている――が――


「んむ?」


 キスする寸前で、彼女の唇を人差し指で押し止める。

 僕の行動が意外だったのか、視線でルナが真意を尋ねて来た。

 正直なところ、説明するのは気乗りしないが、言わない訳にも行かないだろう。


「前回のことがあったあと、姫様たちから強く禁止された」

「……何を?」

「ルナとキスをすることだ」

「余計なことを言ってくれたものね……」


 痛恨の極みと言ったように、表情を歪ませるルナ。

 彼女のこのような顔は、かなり珍しいように感じる。

 ルナに言ったように、僕は迷いの森で尋問を受けてから、彼女とのキスを禁止された。

 個人的にはどうでも良いことだが、ルナにとってはそうでもないらしい。

 そんなことよりも僕は、ミゲルが宝石を飲み込んでモンスター化したことの方が、よほど重要だと思うのだが。

 尚、【転円神域】に関しては既に伝授しており、取り敢えず全員が使える状態になっている。

 ただし、やはり消耗が激しい技術なので、普段使用するのは僕のみ。

 姫様たちは不服そうだったが、安全を第一に考えてなんとか説き伏せた。

 閑話休題。

 そのような理由でルナのキスを拒んだ訳だが、彼女は何かを思いついたような顔になったかと思うと、ニヤリと笑って――


「チュッ」


 軽く触れ合う程度の、キスをされた。

 禁止だと言った傍から唇を奪われて、流石の僕も呆れ果てる。

 しかし、このあとルナが言うであろうことは、なんとなく察しが付いた。


「禁止されたのはキスことなんだから、のは問題ないわよね?」

「それこそ詭弁なんじゃないか?」

「固いこと言わないでよ。 一応、遠慮してあげたんだから」


 遠慮と言うのは、恐らく軽いキスだったことだろう。

 姫様たちに話せば、激怒すること間違いないが。

 何はともあれ、ひとまず満足したらしいルナは抱擁を解き、幸せそうに笑っていた。

 面倒な人だと思うこともあるが、こうしている限りはただの可憐な少女。

 もっとも、それで終わらせることは出来ない。


「ところで、新しい生き方は見付かったか?」


 僕にとっては、こちらが本題。

 問われたルナは瞬時に真面目な表情になり、しばししてから溜息をついて首を横に振った。


「まだよ。 ここ数日、貴方たちを観察しながら考えてみたけれど、思い付かないわね」

「そうか」


 この返答は想定内。

 それゆえ特に落胆せず、用意していたプランを実行に移す決意をした。

 小さく息をついた僕は、ルナの目を真っ直ぐ見据えて――


「ルナ、キミに頼みがある」


 はっきりと、言葉を紡いだ。

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