最終話

 背後に回った黒蛇から吐き出される毒液。

 サイドステップを踏むことで、難なく回避。

 それを見越していた黒鳥が翼をはためかせ、真空波を放った。

 双剣で斬り飛ばす。

 死角に潜んだ黒猫が飛ばす、針のような体毛。

 後方に宙返りして、その場を離脱。

 使い魔たちの連携は中々のレベルだが、僕に通用するほどじゃない。

 だが、ルナに近付くことを阻止されており、かなり邪魔な存在だと言える。

 何より面倒なのは、毒の効果がどの程度かわからないことだ。

 無視出来るなら強引に突破するところだが、それはあまりにもリスクが高過ぎる。

 万が一、攻撃が掠っただけでも死に至るなら、取り返しが付かない。

 流石にそこまでではないと思いたいが、断言は出来ないからな。

 それゆえに守りを最優先にしつつ、ゆっくりと僕は決着への道のりを歩み進めている。

 そのことが伝わったのか、ルナからピリピリとした空気が漂って来ているが、それでも彼女は笑みを絶やさない。

 強がりじゃなく、心底この戦いを楽しんでいるようだ。

 僕としても骨のある相手と戦えたことには、満足している。

 バトルジャンキーと言う訳じゃないが、強い相手と戦う経験は貴重だからな。

 しかし、それもここまで。

 先ほど、姫様とミゲルらしき異形が激突して、苦戦を強いられていた。

 アリアとリルムも、消耗しているように感じる。

 安全を考えるなら、これ以上のんびりする訳には行かない。

 そう判断した僕は、力強く踏み込んだ。

 対するルナは銃を乱射したが、双剣で防ぎながら息切れするのを待つ。

 しばしして弾幕が途切れ、速度を上げようとしたところに、黒猫による爪の一撃。

 上体を逸らして紙一重で避けると、今度は黒蛇が飛び掛かって来て、僕の腕に牙を突き立てようとした。

 転身することで躱したが、このあとに黒鳥が控えているのはわかり切っている。

 そして、ここで回避を選択した場合、高確率でルナが立ち直り、また繰り返しになるはずだ。

 ならばどうするか。

 その答えは、とっくに出ていた。


「【降雷レビン・イレイズ】」


 轟雷が森に落ちる。

 旅が始まってから使った、2つ目の魔法。

 射程は短く、攻撃範囲もさほど広くないが、ほぼ回避不能な速さと威力の高さが持ち味。

 巻き込まれた黒猫と黒蛇、黒鳥が消し飛び、ルナへの障害がなくなる。

 本来なら一撃で葬ることは出来なかっただろうが、これまでの攻防で動きのパターンを覚えたことで、攻撃範囲への誘導に成功した。

 未だインターバルから復帰出来ていないルナにとどめを刺すべく、僕は足を踏み出し――気付く。

 彼女の笑みが、より深く、暗いものになっていることに。

 何か企んでいるな。

 そう確信しながらも疾走を止めなかった僕は、遂に間合いに到達した。

 そのままの勢いで、右の直剣を逆袈裟に斬り上げ――


「【隠れん坊しましょうカシェ】」


 刃がルナを斬り裂く寸前、彼女の姿が影に溶ける。

 狙撃のときに使っていた、瞬間移動のスキル。

 頭が答えを出したときには、ルナが僕の背後に出現し、銃をこちらに向けていた。

 僕から顔は見えないが、間違いなく笑っている気配を感じる。

 彼女からすれば必殺のタイミングで、勝利を疑っていなかったかもしれない。

 だが……残念だったな。

 そのスキルには、致命的な弱点がある。


「な……!?」


 振り返ることもなく、左の直剣を後ろに突き付けた。

 剣先が銃口を塞ぎ、ルナに攻撃を躊躇わせ――


「【閃雷】」

「あぅ……!」


 その隙を突いて、魔法を発動。

 銃が吹き飛び、ルナの手に甚大なダメージを負わせた。

 それでも彼女には、もう1つの銃が残されている。

 痛みに顔を歪めつつ、瞬間移動で距離を取ったルナは、弾丸を放とうとしたが……させない。

 彼女の出現場所を察知していた僕は、足に神力を集中させ――大地に亀裂が走った。


「【白牙ヴァイス・ファング】」


 ルナとの距離を刹那の間にゼロにした僕の直剣が、銃を粉々に破壊する。

 【身体強化】の力を全て足に収束させることで爆発的な推進力を得た直後、今度は腕に神力を凝縮させて威力を増す、単発突き攻撃。

 攻撃動作自体はシンプルだが、緻密かつ素早い神力の操作が要求される、難易度の高いスキル。

 体の一部に神力を集める為、他の場所の守りが疎かになる点にも注意が必要。

 大木を背にして至近距離に立つルナは、あらんばかりに目を見開き、やがて苦笑に変わった。

 どうやら、敗北を察したらしい。

 それでも油断せずに、彼女の喉元に剣先を突き付けながら、敢えてはっきりと言葉にする。


「僕の勝ちだ」

「そうね。 そして、わたしの負けよ」


 両手を痛めたルナは額に汗を浮かべながら、清々しい様子で認めた。

 それから暫く無言の時間が続いたが、やがてルナが溜息を吐き出してから声を発する。


「強いのはわかっていたけれど、想定も想像も超えていたわね」

「ルナも強かった。 【降雷】と【白牙】を使ったのは、久しぶりだ」

「それは嬉しいわ。 ……と言いたいところだけれど、素直には喜べないわね」

「どうしてだ?」

「だって、初めから使われていたら、もっと早く負けていたもの。 特に最後のスキルは、初見ではどうしようもない速さよ」


 悔しそうに、ふくれっ面を見せるルナ。

 終始笑顔だった彼女が、やっと本物の感情を見せた気がする。

 そのことに僕は内心で苦笑していたが、ルナには疑問が残っているようだ。


「それより、どうしてわたしがどこに現れるかわかったの? 【神域】で調べたにしては、速過ぎるわ。 何か秘密があるのでしょう?」


 死が目前に迫っている状況にもかかわらず、呑気に尋ね掛けて来た。

 いや、死を覚悟したからこそ、聞いておきたいのかもしれない。

 僕としては答えてやる義理はなかったが、ある目的の為に種明かしする。


「簡単な話だ。 スキルは、あくまでも神力を使って発動される。 そしてキミのスキルの性質上、事前に移動先を設定する必要がある。 つまり、神力を辿って移動先を察知出来れば、先回りが可能だ」

「……言っていることは何となくわかるけれど、本当にあの一瞬で可能かしら?」

「実際にやってみせたじゃないか」

「そうだけれど……なんだか釈然としないわね」

「そう言われても、それが事実なんだから仕方ない」

「はぁ、やっぱりとんでもないわね。 最後に戦えたのが貴方で良かったわ。 ……殺しなさい」


 満足そうに笑ったルナは、瞳を閉じてそう言った。

 全てを悟り、全てを受け入れ、全て終わったかのようだ。

 しかし、生憎と僕にそのつもりはない。


「断る」

「……え?」

「断ると言ったんだ。 殺すつもりだったが、気が変わったからな」

「……何を考えているの?」

「キミの力は、ここで殺すには惜しい。 だから、僕たちの仲間になってくれ」

「それこそ、お断りよ。 殺し屋のわたしが誰かを守る? 呆れを通り越して、笑えて来るわ。 わたしが今まで、何人殺したと思っているの?」

「過去のことはどうでも良い。 大事なのは、これからどうするかだ」

「綺麗ごとね。 大体、貴方が良くてもお姫様たちが許さないんじゃないかしら? 魔王を倒す為のパーティに、殺し屋が加わるなんてあり得ないわ」

「姫様たちは、僕が説得する。 最優先しなければならないのは、魔王を倒すことだ。 実力のある者を引き入れるのは、当然の流れだろう」

「わたしは魔蝕教に雇われたのよ? 仮に仲間になっても、裏切る可能性が高いと思うけれど」

「キミを雇った魔蝕教は全滅した。 もう、僕たちと敵対する理由はない。 それでも裏切るようなら、そのとき始末すれば良いだけだ」

「大した自信ね。 わたしなんて、いつでも止められるってこと?」

「それを思い知らせる為に、敢えて時間を掛けて戦ったんだ。 キミなら、もうわかっているんだろう?」


 僕の問い掛けに、ルナは口を固く引き結んだ。

 この沈黙こそが答え。

 だが彼女は、頑なに拒み続ける。


「やっぱり認められないわね。 貴方に負けたら、わたしは死ぬと決めていたの。 その意思を曲げるつもりはないわ」

「どうしてもか?」

「どうしてもよ」

「わかった、だったら仕方ないな」


 ルナから少し離れた僕は、直剣を構えた。

 ようやく望み通りになると思ったのか、ルナは安堵した笑みを浮かべている。

 だが、無意識に体が硬直していることを、僕の目は捉えていた。

 わざと強烈な殺気をルナにぶつけ、ゆっくりと見せ付けるように直剣を引き、水平に振り切る。

 狙い違わず刃がルナの首を斬り落と――さず、斬り倒されたのは後ろの大木。

 ズシンと重い音が鳴るのをルナは呆然と聞き、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。

 そんな彼女と視線を合わせるべく、僕もしゃがみ込んで、言い聞かせるように口を開く。


「今、キミは死んだ」

「……どう言うつもり?」

「僕に斬られて、キミは死んだ。 そして生まれ変わった。 これからは、好きに生きろ」

「意味がわからないわ。 死んで生き返った? 好きに生きろ? 勝手なことを言わないで」

「だったらどうする? もう1度、死んでみるか? 言っておくが、今の僕にキミを斬る気はない」

「……良いわ。 貴方がわたしを殺さないと言うのなら、自分で自分を殺すまでよ」


 傷が浅い左手に銃を生成したルナは、僕を睨み付けながら銃口を自分の頭に押し当てた。

 あとは引き金を引くだけで、彼女の命は終わる。

 たったそれだけの作業。

 ところが――


「はぁ……はぁ……!」


 動かない。

 いくら引き金を引こうとしても、ルナの指は言うことを聞かなかった。

 全身を震わせ、汗をかき、息を乱している。

 何が何だかわからず、混乱しているらしい。

 しかし、端から見れば至極単純。

 彼女が感じているのは、恐怖。

 たぶん、僕と戦っていたときでさえ死を恐れてはいなかったが、それは本当の意味で死を理解していなかったから。

 そこに、限りなくリアルな死を体験したことで、本能的に怯えてしまっている。

 彼女自身、そのことに気付いていないようだが、もう充分だろう。

 銃を握る手にそっと触れて、僕は静かに言葉を紡いだ。


「このまま死んで、本当に良いのか?」

「うるさい……」

「意地を張るな。 キミの死に場所は、ここじゃない。 僅かでも生きたいと思うなら、生きるべきだ」

「それでわたしに、仲間になれって言うの……?」

「僕の希望はそうだが、すぐにとは言わない。 さっきも言ったように、好きに生きろ」

「……わからないわね。 どうしてわたしに、そこまでするのよ」

「勿論、打算はある。 強力な仲間は、1人でも多い方が良いからな。 ただ、それとは別に、キミには殺し屋としてではなく、1人の人間として生きて欲しいと思ったんだ」


 これは、紛れもない本心。

 境遇や立場は違えど、僕もルナと同じく奪った命は数知れず。

 当時はそれしか知らなかったし、何の疑問も持っていなかった。

 だが、エレンによって様々なことを知り、正しいことに力を使うと言う、生きる目的までも与えられた。

 それゆえに目の前の少女が、殺すだけの人生で終わることを見過ごせずにいる。

 当初は殺す気満々だった相手に情けを掛けるなど、自分でも甘いと思いつつ、案外悪い気はしていない。

 これが正しいことかどうかはわからないが、きっとエレンも賛成してくれるだろう。

 僕の真剣な想いが届いたのか、ルナは目を丸くして驚いていたが、辛そうに俯いて否定の言葉を落とした。


「簡単に言わないで。 殺すことしか出来ないわたしに、殺し屋以外の生き方があると思っているの?」

「無論だ。 そもそも、殺すことしか出来ないと言うのが思い込みだ。 殺せるだけの力があるなら、それを別のことに使えば良い」

「それが、魔王討伐だって言いたいのね?」

「それも1つだが、限定する必要はないな。 限定してしまうと、今度は魔王討伐後に生き方を見失ってしまう」

「……駄目ね、思い付かないわ。 やっぱり、ここで死んだ方が楽だと思うのだけれど」

「死に逃げるな。 考え続けろ。 そうすれば、いずれ何かが見えてくるはずだ」

「見掛けによらず厳しいのね……。 ふぅ……仕方ないから、もう少し生きてあげる。 でも、貴方たちの仲間になるつもりはないわ。 どう生きるかは、わたしが自分で決めるから」

「それで構わないが、肝に銘じろ。 万が一、再び僕たちと敵対するようなことがあれば、そのときは容赦しない。 生かす選択をした僕が、キミを殺す」

「……覚えておくわ」


 そう言ったルナの顔は、かなり強張っていた。

 若干脅し過ぎたかと思ったが、これくらいは致し方ない。

 何はともあれ、僕なりの着地点に導けたので、そろそろ纏めに入ろう。


「良し。 じゃあ、回復薬を飲め。 あまり時間が経ち過ぎると、効果が薄れてしまうからな」


 傷付いたルナの両手を見ながら、僕は魔箱から回復薬を取り出した。

 これは出発前にニーナからもらった物で、高い回復力を誇るが、それでも無条件と言う訳じゃない。

 だからこその提案だったのだが、ルナは一瞬ニヤリと笑うと、妙なことを言い出した。


「飲みたいのだけれど、手が痛くて持てないの」

「さっき銃を持っていなかったか?」

「あのときは、ほら、死のうと思っていたから我慢出来たのよ。 気が抜けちゃって、今は無理ね」

「なら、僕が飲ませてやるから口を開けろ」

「ふふ、有難う。 でも……どうせなら、口移しが良いわね」


 妖艶な笑みを浮かべて、人差し指を舐めるルナ。

 非常に楽しそうで、こちらの反応を窺っている。

 いまいち何が目的かわからないが、僕はすぐに返事をした。


「わかった」

「……へ?」


 一転して間の抜けた顔を晒すルナを放置して、回復薬を口に含む。

 そして――


「んぅ……!?」


 ルナの両肩に手を置いて、口付けした。

 こぼれないように口で口を塞ぎ、回復薬をゆっくりと流し込む。

 自分で要求しておきながら戸惑った様子のルナは、体をビクリと震わせたが、無視して続けた。

 血にまみれた人生を送って来たとは思えないほど、良い匂いがする。

 次第に緊張が解けて来たのか、ルナは僕の背中に手を回し、強く抱き締めた。

 それと同時に口内に舌を入れて来たので、応じるように絡ませる。

 回復薬はもう飲み終わっているにもかかわらず、ルナが離れる気配はない。

 これではただキスしているだけだが、もう少し好きにさせてやろう。

 互いの口内に舌が侵入し、唾液を交換しつつ、貪り合った。

 戦いの最中にする行為ではないが、【転円神域】による索敵は抜かりない。

 それから暫くすると、ルナの体が何度か激しく痙攣し、顔がゆっくりと離れた。

 息を途切れさせ、顔を真っ赤にし、瞳は潤んでいる。

 完全に脱力していたが、何とか支えて立ち上がらせた。

 森にルナの荒い吐息だけが聞こえる中、無言で手の様子を確認したところ、無事に完治したらしい。

 そのことに満足した僕は1つ頷き、淡々と声を発する。


「治って良かったな」

「ちょっと待って」


 ビシッと手を突き付けて止めに入るルナ。

 いったい、どうしたんだろう?

 不思議に思った僕が大人しく待っていると、ルナがジト目で言い放った。


「あれだけのことをしておいて、最初に言うのがそれなの?」

「あれだけと言われてもな。 キミの希望を叶えただけだが」

「そうだけれど……まさか、本気にするとは思わないじゃない」

「そんなことを言われても困る。 自分の発言には、責任を持つべきだ」

「腹が立つほど正論ね……。 だからって、あんなに長々とキスする必要があったのかしら? しかも、相当慣れているみたいだったし」

「仕掛けて来たのはキミだろう。 慣れに関しては、何度も経験があるからだろうな」

「……何度も経験がある?」

「あぁ。 エレン……僕にいろいろ教えてくれた恩人から、のことは学んだ。 その恩人は、もう死んでしまったが」

「……そう」


 瞳に暗い炎を灯すルナ。

 ある意味、今までで1番怖い。

 何に怒っているのかわからない僕が、内心で首を傾げていると――


「シオンさん! ご無事ですか!?」


 慌てふためいた姫様が、茂みの奥から姿を現す。

 それなりに神力を消費しているものの、ドレスが汚れているだけで外傷はないようだ。

 後ろからはアリアとリルムが付いて来ており、彼女たちも大きな怪我はしていない。

 ただし、姫様よりも疲労が大きそうなので、早く休ませてやらないと。

 内心でそんなことを思いつつ、ひとまず返事をすることにした。


「僕は大丈夫です。 ルナ……狙撃手との戦闘には勝利しました」

「そうですか……良かったです」

「て言うか、その子が狙撃手な訳? そんな風には見えないんだけど」

「見た目に騙されるな、リルム。 彼女は紛れもない強者だ」

「小さいのに凄いんですね……」


 キミがそれを言うのか、アリア。

 喉元まで来ていたその言葉を、僕は寸前で飲み込んだ。

 姫様とリルムも何とも言い難い顔でアリアを見ていたが、当の本人は不思議そうにしている。

 そうして、僕たちの間に微妙な空気が蔓延しているのに頓着せず、ルナが先制攻撃を仕掛けた。

 物理的にではなく、精神的に。


「あら、痴女軍団がお揃いで」

「だ、誰が痴女軍団ですか!?」

「貴女たちに決まっているでしょう、お姫様? そんな短いスカートで激しく動いて、下着を見てくれって言っているようなものじゃない」

「へ、変なこと言わないでよ! この2人はともかく、あたしは純粋にこの服が好きなだけなんだからね!?」

「リ、リルム様、それだとわたしとソフィア様は痴女だと言うことに……」

「どんな言い訳をしようと、下着を見せびらかしていたのは事実でしょう? ねぇ、シオン?」

「まぁ、間違ってはいないな」


 いつの間にか、フルネームから呼び捨てに変わったルナに同意する。

 痴女かどうかは別として、3人が僕の前で下着を晒した回数は数え切れない。

 平然と答えた僕の言葉を聞いて、姫様たちは恥ずかしそうに赤面していたが、言い返して来ることはなかった。

 そのことで調子に乗ったのか、ルナは更に勢い付く。


「まったく。 シオンを誘惑したいのでしょうけれど、次元が低過ぎるわね」

「べ、別にわたしは誘惑など……」

「はいはい、お子様なお姫様は黙っていて。 どうせやるなら……」


 間を空けたルナは僕に近寄り、右手を取った。

 そして――


「これくらいはやらないとね」


 僕の手をそのまま自分の胸に持って行き、やんわりと揉ませる。

 身長の割に大きく育ったルナの胸は、とても揉み心地が良かった。

 ルナは姫様たちに、勝ち誇った笑みで流し目を送っていたが、呼吸が乱れて頬が紅潮していることから、余裕はないように思われる。

 しかし、姫様たちは驚愕のあまり固まって、それどころではない。

 このままでは、収拾が付きそうにないな。

 そう結論を下した僕は、相変わらずルナの胸の感触を堪能しながら、彼女の耳元に口を近付け――


「ひゃん!?」


 耳たぶを甘噛みした。

 突然のことに、流石のルナも狼狽している。

 耳を押さえてこちらを睨み付けているが、涙目で顔を赤くしているので迫力はない。

 とにもかくにも自由になった僕は、ようやく立ち直りつつある姫様たちに声を投げた。


「今回は、この狙撃手……ルナを見逃します」

「……何故ですか?」


 おどろおどろしいオーラを背負った姫様。

 リルムは黙っているが、内に秘めた怒りが漏れ出ている。

 一方のアリアは尚も恥ずかしそうにしつつ、やはり僕の決定に疑問を抱いているようだ。

 元々、容易に受け入れてもらえるとは思っていなかったが、ルナのせいで余計にややこしくなったな……。

 とは言え、嘆いたところで意味はない。

 胸中で溜息をついた僕は、なるべく穏やかに声を発する。


「彼女の力が、魔王討伐の役に立つと考えたからです。 魔蝕教に雇われていたらしいですが、依頼主が死んだ今、敵対する可能性は低いです。 もし裏切るようなら、僕が直々に片付けます。 もっとも、今は仲間になるつもりはないそうですけど」

「あんたがそこまで言うなら、実力はあるんでしょうね。 でも、本人に仲間になる気がないなら無理じゃない?」

「今はそうだが、将来的にはわからない。 そうだろう、ルナ?」

「わたしに聞かれてもね。 どちらかと言うと、わたしは赤髪の痴女と同意見だけれど」

「痴女って言うなッ!」

「落ち着け、リルム。 不安要素を斬り捨てると言う意味では、ここで殺した方が良いだろう。 だが、今日の戦いを振り返れば、まだ戦力が万全だとは言い難い。 違うか?」

「それは……」


 悔しそうに唇を噛み締めるリルム。

 漠然としか把握していないが、彼女が苦戦していたことは知っている。

 それはアリアも同じで、姫様も他人事ではないだろう。

 だからこそ、不満を抱きつつも反論出来ない。

 押し黙る3人を眺めた僕は、改めて言い放った。


「ルナは見逃します。 彼女がどうするかは未知数ですが、姫様たちには絶対に危害を加えさせません。 それだけは誓います」

「……わかりました、シオンさんを信じます」

「はぁ……本当は今すぐ消し炭にしてやりたいけど、我慢してあげるわ」

「わ、わたしも、シオン様の判断を尊重します」


 不承不承と言った感じで、頷く姫様。

 ルナを睨みながら、認めるリルム。

 オドオドしているが、はっきりと意思を伝えるアリア。

 三者三様ながら取り敢えず言質を取った僕は、無言でこちらの様子を窺っていたルナに向き直る。

 このときばかりは彼女も、ふざけた態度ではなく真剣な面持ちだった。


「と言うことだ。 帰って良いぞ」

「あっさりしているわね。 あんなに濃厚なキスをした仲なのに」

「キス……?」

「濃厚……?」


 一々反応する、姫様とリルム。

 口には出さなかったが、アリアも気になっているようだ。

 しかし面倒なので、ここはサラッと流そう。


「それとこれとは関係ない。 姫様たちの気が変わる前に、立ち去るんだな」

「はいはい。 一応、お礼は言っておくわ。 有難う」

「礼はいらない。 気が向いたら、いつでも言ってくれ。 歓迎しよう」

「あの痴女たちは、そうじゃないみたいだけれど。 じゃあねシオン、また会いましょう。 愛しているわ」


 その言葉と投げキッスを置き去りに、ルナの姿が影に溶けた。

 姫様たちは驚いたようだが、すぐにスキルの効果だと悟ったらしい。

 こうして迷いの森での戦いは終わりを迎え――


「シオンさん、キスしたってどう言うことですか?」

「ゆっくり、じっくり、みっちり、徹底的に、いろいろと聞かせてもらおうじゃない」

「シオン様……」


 美少女たちによる尋問が、幕を開ける。

 流石の僕も迫力に圧倒され、たじたじになった。

 その後、長時間質問責めに遭ったのは勘弁して欲しかったが、全員が無事に乗り切れた証でもある。

 しかし、これはまだ始まりに過ぎない。

 このとき僕は、間違いなく警戒を緩めていなかった。

 それでも、気付けないものもある。

 ルナとは別に、こちらを監視していた存在がいたことを、僕は最後まで知らないままだった。

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