第17話

 襲撃の翌日、夜明けとともに僕は外に出た。

 依然として注意しつつも、日課をこなす程度のゆとりはあると結論付けたからだ。

 森の空気が清々しく、このような状況にもかかわらず、気持ちが安らぐ。

 ひとしきり堪能した僕は、入念にウォーミングアップを行い、最初は徒手空拳の訓練に入った。

 基本的には双剣で戦うが、何らかのアクシデントで、神力が使えなくなる可能性はゼロじゃない。

 そのような事態に陥ったときに戦えないようでは、話にならないからな。

 正拳突きに始まり、貫手、掌底、手刀、背刀、肘撃ち――あらゆるパターンを組み合わせる。

 蹴り技も画一的ではなく、考え得る限り様々な手段を模索した。

 そうして一通りこなしたあとは、いよいよ双剣を用いた訓練に移行するのだが……今日は予定を変更しよう。

 不意に地面に落ちていた石を拾った僕は、魔家の入口に向かって投げ放った。

 加減はしたものの、本来なら入口を破壊していただろうが、そうはならない。


「見事だ、アリア」

「お、恐れ入ります……」


 入口からこっそりこちらを窺っていたアリアが、バックラーで弾き飛ばしたからだ。

 ちなみに、メイド服に着替えている。

 悪戯が見つかった子どものように縮こまった彼女を前にして、僕は苦笑を禁じ得ない。

 しかし、そのことには言及せず、何でもないように言葉を続けた。


「そんなところにいないで、こちらに来たらどうだ?」

「で、ですが、邪魔ではないでしょうか……?」

「遠くから盗み見られる方が、気が散る」

「あぅ……」

「責めているんじゃない。 むしろ、良い機会だ」

「良い機会……?」

「あぁ。 狙撃手の攻撃に対抗する手段を、教えておこうと思う」

「……! わかりました」


 瞬間、アリアの様子が豹変した。

 いつもの頼りない雰囲気ではなく、鋭利な印象を抱く。

 下手なことを言えば斬られそうに錯覚するほどだが、発言を撤回するつもりはない。

 真剣な面持ちで歩み寄って来た彼女は、淀みない動作で大剣とバックラーを構えた。

 それを見た僕は満足して頷き、説明を始める。


「最初に断っておくが、教えたからと言ってすぐに出来るとは限らない。 それでも聞きたいか?」

「はい」

「良い返事だ。 まず聞いておきたいのは、アリアの最大知覚範囲だ」

「……およそ、半径150メトルです。 戦いながらになると、半径75メトルほどまで縮小されます」


 どことなく悔しそうに言っているが、この数字は決して恥ずべきものじゃない。

 それどころか、驚異的だとさえ言える。

 もっとも本人からすれば、そのようなことは慰めにもならないだろうが。

 しかし僕は、気休めじゃなく事実として、彼女の実力を称賛する。


「悲観しなくて良い、それだけ出来れば充分だ」

「ですが狙撃手は、もっと遠くから攻撃して来ますよね?」

「そうだな」

「でしたら……」

「順番に説明するから、そう慌てるな」

「も、申し訳ありません」


 宥められたアリアは、少しだけ普段の様子に戻った。

 どちらがメインか気になったが、どちらも彼女の一面なんだろう。

 内心で納得した僕は、話を先に進めた。


「アリア、いつも周囲を警戒しているときは、どのようにしている?」

「どのように……特に変わったことはしていません。 わたしに出来る限りの、【神域テリトリー】を使っているだけです」

「なるほど。 単純ではあるが、最も堅実な選択だ」


 【神域】とは、自身の神力を薄く遠くへ広げて行くことで、そこに含まれるものを認識する技術。

 非戦闘時でも、一般的な聖痕者で半径10メトル、一流で半径30メトルほどだと言われている。

 更に、維持出来る時間も使い手によって千差万別。

 そのことを踏まえれば、アリアの知覚範囲が常人と掛け離れていると、容易にわかるだろう。

 だが今回の相手には、それでも足りない。

 彼女自身がそれを1番わかっているようで、食い入るように続きの言葉を待っている。

 どこまでも真っ直ぐな眼差しで見つめられた僕は、期待に応えるべく口を動かした。


「今から教える手段は、【神域】の応用と言えるかもしれない」

「【神域】の応用……」

「そうだ。 通常、【神域】を使うときは、自分を中心に神力を展開する……そうだな?」

「はい、今もそうしています」

「地中の方にまで届かせているか?」

「は、はい! 気を付けてます!」

「ちゃんと反省出来ているようだな。 偉いぞ、アリア」

「あ、有難うございます……」


 僕の指摘を受けて、アリアが頬を朱に染めて俯く。

 昨日のことを忘れていなかったようで何よりだが、本題はこれからだ。


「基本的な考え方は同じなんだが、そこに指向性を持たせてみろ」

「指向性を持たせる……?」

「あぁ。 【神域】は全周囲をカバーするのが基本だが、一定の方向に限定させて、神力を広げて行くんだ。 そうすることで、より遠くまで知覚範囲を伸ばせる」

「し、しかし、それだと他の方向が無防備になります」

「その通り。 だから、広げた【神域】は一箇所に留めず、自分を中心に円を描くつもりで回転させろ。 この技術を僕は、通常の【神域】と区別する為に、【転円神域クライス・テリトリー】と呼んでいる」

「【転円神域】……」

「円を描く速度が上がれば上がるほど、隙は小さくなる。 最初はゆっくりで構わないが、実戦で使うには、1周1秒以内に収めたい。 この方法をマスター出来たら、アリアなら500メトルくらいは余裕だろう」

「……わかりました。 難しそうですが、やってみます」

「その意気だ。 今は僕が警戒しているから、アリアは訓練に集中してくれ」

「はい、よろしくお願いします」


 そう言ってアリアは、目を閉じて集中し始めた。

 口で言うほど簡単な技術じゃないが、教えておいて損はない。

 必死に神力を制御しているようで、眉根をギュッと寄せている。

 無言の時間が続き、5分が経過する頃になって、アリアは瞳を開いた。

 大きく息を吐き出し、消耗していることが察せられる。

 これ以上は旅に支障が出ると考えた僕は、訓練終了を告げようとしたが――


「ある程度は掴めました」

「何?」

「完璧とは言えませんけど、これなら実戦でも使えると思います」

「……今、南東110メトル地点で飛び立った鳥の数は?」

「3羽です」

「西340メトル地点にトレントは何体いる?」

「28体です」

「北500メトル地点の木になっている果実は何個だ?」

「5個です」

「……凄いな、全問正解だ」

「有難うございます」


 ホッと息をついて微笑むアリア。

 逆に僕は、かなりの衝撃を受けている。

 姫様がアリアのことを天才だと言っていたが、それが誇張ではないと思い知らされた。

 いずれは習得出来るだろうと思っていたものの、ここまで早いのは予想外にもほどがある。

 消耗が激しい為、長時間の維持は無理だとしても、嬉しい誤算だ。

 僕が感心してしげしげ眺めていると、アリアが不安そうに問い掛けて来た。


「あ、あの……何か失敗しちゃいましたか……?」

「いや、そんなことはない。 ただ、キミの能力の高さに驚いていただけだ」

「そ、そんなことないです。 わたしなんて、シオン様に比べれば……」


 すっかり普段の調子に戻ったアリアが、途端に沈んでしまった。

 贔屓目なしに見て、大きな実力差がある僕とアリア。

 しかし、そんなことは些細な問題だ。


「アリア」

「はい……」

「謙遜の下には卑屈があり、自信の上には驕りがある。 周りに惑わされることなく、キミはキミらしく成長して欲しい」

「わたしらしく……」

「僕と比べる必要なんてない。 キミの相手は魔蝕教や魔族、そして魔王なんだからな。 一緒に姫様を守ろう」

「は、はい! わたし、頑張ります! 有難うございます、シオン様!」


 目尻に涙を浮かべて、アリアが抱き着いて来た。

 小柄な割に大きな胸を押し付けられて、反射的にドキリとしてしまう。

 だが、その気持ちを押し殺して、彼女の頭をゆっくりと撫でた。

 すると、ハッと我を取り戻したアリアは身を離したが、頭が撫でられる位置にはいる。

 微妙に気まずいながらも、穏やかな時間が過ぎ去り、ようやくして僕は声を発した。


「今は通常の【神域】も解除して、力を温存しておけ。 本番は出発してからだ」

「か、かしこまりました……」

「良し。 じゃあ、魔家に帰ろう。 ゆっくり休む時間は、まだ充分にあるはずだ」


 指示を出した僕は、魔家に向かって足を踏み出そうとしたが、アリアは黙ってこちらを見ている。

 昨日と同じように、何かを言いたいが言い出せない様子だ。

 このままでは埒が明かないな。

 仕方なく僕は、今回も自分から尋ねることにした。


「アリア、どうしたんだ?」

「い、いえ、その……」

「何度でも言うが、遠慮しなくて良い。 特に今は、不安要素を取り除いておくべきだ」

「ふ、不安とかじゃないんですけど……笑わないでくれますか……?」

「あぁ、約束する」


 力強く宣言したが、それでもアリアは言い淀んでいた。

 胸に手を当てて深呼吸を繰り返し、覚悟を決めようとしているように見える。

 そんなに言い難いことなんだろうか?

 ますます疑問が大きくなったが、辛抱強く待っていると――


「こ、こんなお兄ちゃんがいたら……良いなって……思っちゃいまして……」

「……お兄ちゃん?」

「な、何でもありません! 忘れて下さい!」


 くるりと後ろを向いて、両手で顔を覆うアリア。

 小動物のように、プルプルと震えている。

 思わず庇護欲を掻き立てられるが、ここは冷静に行動しなければ。

 背後から歩み寄った僕は、アリアの頭にポンポンと手を当てる。

 緊張しているのが伝わって来たが、気にせず言い放った。


「お兄ちゃんでも何でも、好きに呼んでくれて構わないぞ」

「うぅ……」

「嘘じゃない。 無論、馬鹿にしている訳でもない。 アリアの望むようにしよう」

「……本当ですか?」

「本当だ」

「じ、じゃあ2人きりのときは……お兄ちゃんって呼んでも良いですか……?」

「わかった」

「あ、有難うございます! えへへ……お兄ちゃん……」


 だらしなく頬を弛緩させたアリアが、うわ言のようにお兄ちゃんと呟いている。

 いまいち理解出来ないが、幸せそうなので良しとしよう。

 それから2人で魔家に戻り、アリアが上機嫌に朝食の準備をするのを、僕は苦笑交じりに見守るのだった。

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