第15話
日が落ち始める少し前、僕たちは野営地を探し始めた。
明るさ的には昼でも夜でも大差ないが、体を休めることは大事だ。
しかし、これが案外難しく、ちょうど良い場所が中々見付からない。
とある事情でそれなりの広さが必要なので、森の中には適したところが少ないのだろう。
だが、こう言ったときに頼りになるのが、アリアだ。
「み、皆様、こちらに開けた場所があります」
「良くやったわ、アリア。 シオンさん、リルムさん、早速行きましょう」
「はい。 アリア、有難う」
「はぁ、やれやれね。 ナイスよ、メイドちゃん」
「い、いえ……」
面倒になった僕は、近辺の木々を斬り倒してしまおうかと考えたが、アリアによって無駄な労力を払わずに済んだ。
姫様とリルムもホッとした様子で、一緒に目的地に向かう。
辿り着くと、確かにそこは開けた空間になっており、見上げれば夕焼け空が広がっていた。
周囲を警戒したところ、モンスターの気配もない。
まさに、打って付けの場所だな。
そう思った僕はアリアを労おうと、特に何も考えずに頭を撫でた。
「ふぇ……!?」
「……あぁ、済まない。 ニーナにしていた癖で、ついな」
「お、お気になさらず……」
アリアの珍妙な声を聞いて、咄嗟に手を引っ込める。
気にするなと言っているが、かなり恥ずかしそうだ。
また失敗したかもしれない……。
内心で微妙に落ち込んでいると、背後の姫様から途轍もないプレッシャーを感じた。
僕に対してと言うより、アリアに向けているみたいだが。
「ソ、ソフィア様、落ち着いて下さい! わたしは単に、子ども扱いされただけですから!」
「……今回は不問にしてあげる」
「あ、有難うございます……」
なんとか平常運転に戻った姫様。
2人のやり取りを見ていたリルムは、必死に笑いを堪えている。
心底安堵した様子のアリアは大きく深呼吸すると、魔箱から小さな家の模型を取り出した。
そして地面に置こうとしたのだが、リルムが大慌てで止めに入る。
「ちょっと待って、メイドちゃん! あたしにやらせて!」
「い、良いですけど……魔力を注ぐだけですよ?」
「良いから、貸して!」
「は、はい……」
ほとんどひったくる勢いで、アリアから模型を受け取ったリルムは、上機嫌に地面に置いた。
あまりにも子どもっぽい姿に半ば呆れていた僕だが、気持ちはわからなくもない。
ワクワクしていることを隠し切れないリルムは、鼻歌混じりに魔力を模型に送る。
すると――
「おー!」
「わ……」
「これは……凄いですね、シオンさん」
「そうですね、姫様」
一瞬にして、立派な一軒家になった。
レンガ造りの2階建ての建物で、ちょっとした宿屋くらいの大きさがある。
僕だけではなく、姫様たちも例外なく驚いていた。
これは
1人が辛うじて泊まれるだけの魔家でも、グレイセスに豪邸を構えられるほどの値段が付くそうだ。
持ち運びが簡単なだけではなく、テントなどのように組み立てる必要がないことが利点で、発動する度に新築になることも大きい。
仮に破損しても直るし、掃除の必要もないからな。
唯一、今回のように場所の確保が問題だが、それを補って余りある性能だ。
しかもこの魔家には、他にも様々な効果があるらしい。
最早、野営とは言えない気がするが、文句を言うのは筋違いだろう。
「そろそろ、中に入りましょう」
「あ……そうですね、シオンさん」
「は、はい」
「あたし、ちょっと外回りを見て来る!」
「構わないが、油断はするなよ?」
「わかってるって! じゃね!」
興奮したリルムが、スキップでもしそうな勢いで去って行った。
まったく、本当に魔道具が好きなんだな。
やはり呆れながらも、彼女が楽しそうにしていることに、苦笑を浮かべてしまう。
姫様とアリアも同じらしく、顔を見合わせて笑っていた。
取り敢えずリルムのことは放置して入口のドアを開くと、無言で姫様を中に促す。
僕の行動が意外だったのか、姫様は少し驚いた顔を見せつつ、嬉しそうに微笑んで足を踏み出した。
そのあとにアリアが続いたが、非常に恐縮している。
最後に改めて辺りを探って、安全を確認してからドアを閉めた。
中は暗かったものの、すぐにアリアが魔家内の魔明に明かりを点けてくれた。
目に飛び込んで来たのは、広いリビングと立派なダイニングキッチン。
調度品も完備されており、それだけで充分以上に凄いが、奥にはトイレやバスルームもある。
思わず森の中だと忘れそうなほどで、この魔家がどれほどの価格か気になると同時に、聞くのが怖い。
きっと、姫様とアリアも困惑しているだろう――と思いきや、そうでもないようだ。
「これだけの設備があれば、不便はしなさそうね」
「そうですね。 あ、わたしは夕飯の準備に取り掛かります」
「それならわたしも……」
「い、いえ! これはメイドの仕事なので!」
「でも、わたしもシオンさんに、ご飯を食べて欲しいし……」
「そ、それはまたの機会にしましょう! さ、さぁ、ソフィア様はソファーでくつろいでいて下さい!」
「うぅん……わかったわ、今日はアリアに任せるわね」
「有難うございます!」
どうやら、僕にとっては豪華な家でも、彼女たちにとっては普通らしい。
アリアが必死なのは引っ掛かるが、彼女が挙動不審なのは、正常と言えば正常だ。
そんなことを思いつつ、僕が入口から動かずにいると、姫様が歩み寄って来た。
「シオンさん、お疲れでしょうし、お風呂に入って来てはどうですか?」
「いえ、それなら先に、姫様が入って下さい。 僕はあとで大丈夫です」
「わたしは他にやることがあるので、気にしないで下さい。 どうぞ、タオルはこれを使って下さいね」
「……わかりました、有難うございます」
押しの強い姫様に負けて、タオルを受け取る。
彼女は可憐な笑みを湛えているが……なんとなく不穏な空気を感じるのは、気のせいだろうか。
アリアがこちらをチラチラ見ているのも、気にならないと言えば嘘になる。
そうして、頭上に疑問符を浮かべながらも僕は、半強制的に脱衣所に放り込まれた。
いまいち納得出来ないままヘアゴムを外し、洗濯籠に脱いだ服を入れる。
あとで、魔浄器を使わせてもらわないとな。
生まれたままの姿になってバスルームに入ると、かなり広かった。
浴槽だけではなく、洗い場も中々の面積がある。
ちなみに、僕は浴槽に浸かったことがないので、実は楽しみだ。
その気持ちを胸に秘めて、浴槽の上に取り付けられた水晶に魔力を送る。
すると、お湯が徐々に溜まって行き、すぐにいっぱいになった。
グレイセスは魔道具の開発が盛んだと聞いていたが、驚かされてばかりだ。
きっと、リルムの存在も大きいのだろう。
すぐにでも入ってみたいと思いつつ、先に体を洗うべく椅子に座り、シャワーでお湯を浴びた。
普段は冷たい水で洗っているから、なんだか新鮮だな。
そうして僕が心地良い気分になっていた、そのとき――
「シオンさん、湯加減はどうですか?」
脱衣所から、姫様の声が聞こえた。
どうして彼女がここに?
不思議に思いながら、取り敢えず質問に答える。
「ちょうど良いですよ」
「そうですか、それは良かったです。 では、失礼しますね」
「え?」
言葉の意味がわからず振り返ると、バスルームの入口が開き――姫様が入って来た。
邪魔にならないように、髪はアップにしている。
体を隠しているのは、バスタオル1枚。
わかってはいたが、ボディラインがはっきりと見える今、姫様の肢体がいかに美しいか、再認識させられた。
視線を移すと目が合ったが、これまでに何度か見た、トロンとした潤んだ瞳。
頬が紅潮して、息を荒げているのも共通している。
どうしたものか悩んだのは一瞬で、すぐに僕は決断した。
「姫様が入るなら、僕は一旦出ますね」
そう言って立ち上がろうとしたが、その前に姫様に両肩を押さえ付けられる。
思いのほか強い力に驚いていると、彼女は聞き間違えようのないほど、はっきりと言い切った。
「いいえ、このまま一緒に入りましょう。 広さは充分ですから」
「ですが……」
「入りましょう」
「……はい」
駄目だ、何を言っても聞く耳を持ってくれそうにない。
諦めた僕は前を向いて、体を洗うべくハンドタオルに洗剤を付け――奪われた。
訝しく思った僕が再び後ろを向くと、ハンドタオルを泡立てた姫様が力強く宣言する。
「わたしが洗ってあげますね」
「いえ、それは申し訳ないです」
「遠慮しないで下さい、わたしがそうしたいので」
「……わかりました、お願いします」
どう言うつもりだ?
訳がわからなくなったが、下手に反対するより好きにさせた方が早い気がする。
ただ、今は
方針を決めた僕が大人しくしていると、姫様の手が背中に優しく触れた。
そのまま手を何度も上下に動かして、僕の背中を撫で続けている。
洗うと言っていたのに、何をしているんだ?
ますます疑問が大きくなったが、口を挟まず黙っていると、吐息を漏らした姫様が声を発した。
「シオンさん、凄く肌が綺麗ですね」
「そうですか? エレンに言われてから、最低限の手入れはするようにしていますが」
「また、エレンさんですか……」
「姫様?」
「何でもありません。 髪もこんなにサラサラ……」
「髪も手入れは一応しています」
「……それも、エレンさんに言われてですか?」
「はい」
「そうですか……」
僕の体にあちこち触れながら、姫様がその都度感想を述べる。
それに対して返事をしていたが、エレンの名前が出ると、どことなく姫様は元気がなくなった。
理由はわからないが、なるべくエレンの話はしない方が良いらしい。
そんなことを考えていると、姫様がようやくハンドタオルで僕の背中を洗い始めた。
次第に背中から肩や腕にまで手は伸び、とうとう――
「あの、姫様?」
「何でしょう?」
「この体勢に意味はあるんですか?」
「体を洗っているだけですよ?」
「それにしても、やり方はあると思いますが」
「これで良いんです。 シオンさんは、じっとしていて下さい」
「……はい」
背後から僕に抱き付いた姫様が、両手を体の前面に回して、胸板や腹を洗ってくれている。
くすぐったいが、気持ち良いのも事実。
何より密着しているせいで、背中に姫様の豊満な乳房を押し付けられ、柔らかさをダイレクトに感じた。
僕の耳元に寄せられた姫様の口は、熱い呼吸を繰り返し、興奮していることが窺える。
良い匂いもしており、全身で姫様を感じながら僕はボンヤリとしていたが、彼女の手が恐る恐る股間に伸び始めた。
流石に止めた方が良いと思った僕は、制止するべく口を開こうとして――
「こんのエロ姫! 何やってんのよ!?」
リルムが殴り込むように、浴室に入って来た。
反射的に後ろを見たところ、彼女もタオル1枚のみだ。
驚いた姫様は手を止めて振り向いたが、すぐに冷たい目で言い返す。
「それはこちらのセリフです。 入浴中に、いきなり入って来ないで下さい」
「あんた馬鹿なの!? 馬鹿なのね!? 裸でシオンに抱き着いておいて、良くそんなこと言えるわね!?」
「わたしはただ、体を洗っているだけです。 そう言うリルムさんだって、裸ではないですか」
「ふ、服が濡れるんだから、しょーがないでしょ!? て言うか、いつまでそうしてんのよ! 離れなさい!」
「お断りします。 まだ、体を洗い終えていませんので」
「こんの、エロ姫……! だったら、あたしがシオンを洗ってあげる! 洗うのが目的なら、それでも良いわよね!?」
「駄目です。 わたしが始めたのですから、最後までわたしがやります。 シオンさんだって、小さいより大きい方が良いでしょうし」
「どこ見て言ってんのよ!? 言っておくけど、あたしが小さいんじゃなくて、あんたが大き過ぎるだけなんだからね!? 一般的に言えば、あたしだって充分大きい方なんだから!」
「負け犬の遠吠えですね。 わたしより小さいのは、確かじゃないですか」
「大きければ良いってもんじゃないでしょーが! 形とかだって重要なんだからね!?」
にわかに騒がしくなる浴室。
いつの間にか、話題が胸部のことになっているが、気付いていないんだろうか?
意識的にか無意識にか、姫様は僕を抱き締めて放そうとしない。
そんな彼女をリルムは、なんとか引き剥がそうとしているが、応じる気配はなかった。
そのことに業を煮やしたようで、プルプルと震えたかと思えば――
「えい!」
「あ! 何をするのですか!」
「うるさい、エロ姫! あんたが離れるまで、あたしもこうしてるから!」
前に回り込んだリルムが、僕にしがみ付く。
自称している通り、標準より大きく発育した胸に顔を埋める形になった。
姫様とはまた違う心地良さと、甘酸っぱい香りがする。
しかし、顔は見えなくても、恥ずかしがっているのは明らか。
だったら、やらなければ良いだろうに。
姫様は姫様で意固地になっているようだし、ここは落としどころを作った方が良いかもしれない。
「もごもご」
「あ……! ち、ちょっとシオン、その状態で喋らないでよ!」
「……ぷは。 すまない。 こうでもしないと、僕の話を聞いてもらえないような気がしてな」
「大丈夫ですよ、シオンさん。 邪魔者はすぐに追い出すので」
「誰が邪魔者よ!?」
「落ち着け、リルム。 姫様も、そろそろ戯れはやめて下さい」
「むぅ……」
「わたしは真剣ですけど……」
僕を挟んで睨み合いながら、なんとか2人とも聞く体勢になってくれた。
だが、本番はこれからだ。
内心に微かな緊張感を抱きつつ、僕は口元に待機させていた言葉を放つ。
「このままでは、3人とも体調を崩しかねません。 ですから、姫様は引き続き体を洗って下さい。 そして、リルムには頭を洗って欲しい。 この条件を飲んでもらえないなら、僕は今すぐ出ます」
「……仕方ありませんね」
「……わかったわよ」
渋々ではあるが頷いた2人は、黙って手を動かし始めた。
良かった、これで最悪の事態は避けられる。
そう安堵していた僕だが――
「エロ姫、体を押し付け過ぎじゃない?」
「その呼び方はやめて下さい。 リルムさんこそ、胸に顔を抱き寄せてますよね?」
「こ、これは後頭部を洗う為に、仕方なくよ」
「下手な言い訳ですね。 本当は、シオンさんを誘惑しようとしているのでしょう?」
「それはあんたでしょーが!」
1分としないうちに、またしても喧嘩が勃発した。
美少女2人に揉みくちゃにされるのは、世の男性たちからすれば羨ましいのだろうが、少なくとも今の僕は幸福感より疲労感が勝っている。
それでも約束を守るべく、尚も繰り広げられる低次元な言い争いを意識の外に締め出して、明日以降の予定を頭の中で整理していた。
そうして10分が経とうとした頃、汚れ1つなくなった僕はシャワーで泡を流して――揉めそうなので自分でした――から、ハンドタオルで体の前面を隠して立ち上がる。
「姫様、お手数をお掛けしました。 リルムも有難う」
「え、もう上がってしまうのですか?」
「は、入ろうと思えば、3人で入れるわよ?」
「3人だと、流石に窮屈だろう。 姫様たちは、ごゆっくりして下さい。 では、失礼します」
『あ……』
2人の制止を振り切って脱衣所に戻った僕は、大きく息を吐き出した。
勘違いしないで欲しいが、僕にも性欲はある。
普段はなるべく抑えているだけで、あれだけの接触があっても平常心を保つのは、かなり大変だ。
だからこそ、浴槽に浸からずに出ることになってしまったが、仕方あるまい。
ひとまずは頭を切り替える為に、服を魔浄器で洗濯することにしたものの……夜はまだまだこれからだった。
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