【大長編に挑む2】ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟2」
カラマーゾフの兄弟2(光文社古典新訳文庫)
ドストエフスキー (著), 亀山 郁夫 (翻訳)
発売日 : 2006/11/9
大長編『カラマーゾフの兄弟』に挑戦中。ようやっと2巻を読み終えた。読書ガイドとして読まれることを想定しているが、ネタバレが含まれるので、ご注意をお願いします。
こちらが1巻の感想。
https://kakuyomu.jp/works/16818093087556884543/episodes/822139836818893601
以前も書いているが、「マンガでわかる」やつで大体の内容を知っているので、どんなことが起こるかあらかじめ私は把握していたりする。物語はゆっくりと、だが、確実に「事件」に向けて動き出している。
光文社古典新訳文庫版二巻には、第二部がまるごと収録。第四編「錯乱」第五編「プロとコントラ」第六編「ロシアの修道僧」が収録されている。
第四編「錯乱」では、カテリーナの要請で、アリョーシャがスネギリョフのもとをたずねる。アリョーシャの兄であるドミートリーに暴力と侮辱を受けたのが彼だ。カテリーナは見舞金を持って行ってほしいと依頼する。スネギリョフの反応は? そしてスネギリョフのもとで、アリョーシャは意外な人物と再会をする。
第五編「プロとコントラ」のタイトルは、「賛成と反対」「肯定と否定」といった意味を指すようだ。アリョーシャは、彼に思いを寄せる少女リーズと結婚の約束をするが、リーズの母親からは反対される。また、アリョーシャは兄イワンと対話する。『神がいるのなら、なぜ子どもが苦しまなくてはいけないのか?』。イワンは、下男スメルジャコフからチェルマシニャーに行くよう言われる。
第六編「ロシアの修道僧」は、死の淵にあるゾシマ長老の一代記を描くパートであり、サブ・プロット的な側面があるが、ロシア正教的倫理の説教が書かれるなど、ドストエフスキーの思想を最も反映している箇所と思われる。この中には、ゾシマの若い頃の「決闘事件」や「とある紳士の犯した罪」にまつわる興味深いエピソードが含まれている。
人物関係が大きく動き出し、核心部分に向けて下地を固めている。その一方で、テーマ性が強く打ち出されていて、神や倫理をめぐる議論が活発になっていく。アリョーシャとイワンの心情。スメルジャコフの怪しい動き。ゾシマ長老の死。続く第三部への期待が高まった。
前巻の感想でも書いたが、やはり登場人物の繰り広げる会話のそのロジックには、目を見張る物がある。説得力をもたせる話し方とはどういうものか、本書を読み解くことでトレーニングがされるという実用的な側面があることは、繰り返さなくてはならない。これは、フィクションを読むことに意味を見いだせない方にとっては救いになるだろう。
残酷さや無慈悲さに直面して、無神論が確固たる地位を築きあげる状況を描きながらも、ドストエフスキーが志向するのが、ヒューマニティであることに、心から安心を覚える。冷徹さをはらみがちな無視論であれ、その他どのような思想であれ、やはり最後に来るのはヒューマニティでなければならない。その思いを強くした。
次巻ではいよいよ「事件」が起こる。心して読みたい。
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