【現実とホラーの境界】文庫版 近畿地方のある場所について (角川文庫)

文庫版 近畿地方のある場所について (角川文庫) Kindle版

背筋 (著)

発売日 ‏ : ‎ 2025/7/25




 モキュメンタリーホラー小説の新たな地平線を開拓した「近畿地方のある場所について」。その単行本版(ひいてはカクヨム版)と大きく内容を変えてきたのが、本作「文庫版 近畿地方のある場所について 」である。その内容の違いが、ホラー界隈では発売当時大きな話題を生んだ。単行本版・カクヨム版とは趣が異なり、「小澤雄也」「瀬野千尋」といった固有名が登場、よりドラマツルギーに力点を置く作りとなっている。

 ※なお、本稿執筆時点(2025/09/06)で、筆者が『映画版』を未聴なのはご容赦いただきたい。


 出版社で編集の仕事をしている小澤雄也。読者に語りかける体で、本作が「様々な媒体から抜粋したもの」であり、その多くが「ある場所」に関連していることを述べる(その地域名は●●●●●のように伏せられている)。そして、その動機が小澤雄也の「わがまま」にあることを告白する。ではその「わがまま」とは……?

 次に紹介されるのが、失踪した知人「瀬野千尋」。旧い間柄であり、本書の制作の協力者であるという。いまや廃刊となった『Q』という雑誌の編集部で知り合い、空白期間を経て、再会する。そんな瀬野は、小澤に特集案の提案をする。それが、「●●●●●」にまつわる謎を紐解くことである。

 そのため、古い雑誌記事(保養所の怪談など)、取材記録、読者からの手紙、匿名掲示板の投稿、質問サイトの内容、ポルノサイトの書き込み、児童書……など、さまざまな断片から、ひとつのストーリーを読み解く。『山の怪異』『長い髪の女』『シール』。考察の果てに、浮かび上がる共通点。そして、たどり着いた結末とは……。


 本書は、本筋である「近畿地方のある場所について」が進行する一方で、その前後に、断片的なテキストが配置される構造。テキストそのもののストーリー及びその不気味さを味わいつつ、「●●●●●」の謎に迫っていく。ひとつひとつのテキストを読み進めていくのは、主人公と視点を同一にしているようなライブ感が味わえる。

 先述した通り、文庫版は単行本版とは大きく内容を変えている。結末そのものが変わっているのである。単行本版はより匿名的で、現実とつながっているような趣があったが、文庫版の方はよりストーリー寄りで、内容はエモーショナル。恐怖とともに悲哀を感じさせる。全く別の作品になっていると言えば、言い過ぎだろうか?


 ちなみに、本作の構造は、新しいようで、実はホラーの伝統に則っている。例えば、ブラム・ストーカーによる古典ホラー小説「魔人ドラキュラ」の構成も、さまざまな登場人物の日記、手紙、録音記録からなっている。「近畿地方」がさまざまな媒体で描写されるのと、ちょうど同じように。

 モキュメンタリーホラーという、現実とホラーの境界線をあいまいにさせるその手法。それは、『恐怖の存在が実際にいるのでは』という観念を我々の思考に芽吹かせる。そして、我々の心を魅了してやまないのである。

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