第9話『涙が溢れるほどに嬉しかった』
月の無い夜。私は天野と共に誰も歩いている人が居ない夜の街を歩いていた。
付いてこなければ、お姉ちゃんに酷い事をすると言われたからだ。
そして、それなりに歩き、私の家に辿り着いた。
天野はまるで自分の家の様に開き、中へと入ってゆく。
「……っ」
「そう怯えるな。もう誰も住んでいない」
「お、お母さんは」
「聞いてどうする」
「酷い事してるなら、止めて」
「おいおい。俺が何かしてる前提か? まぁ、間違えちゃいないが……しかし、妙な奴だな。自分を痛めつけて楽しんでいた女だぞ? 気にしてどうする」
「それでも、私を捨てないでくれた人だから」
「そうかい。なら、そうだな……例えばお前が佐々木和樹や立花朝陽らを捨てて俺と付いてくるなら解放してやる。と言ったらどうする?」
「……本当にそれで、お母さんを虐めないで助けてくれる?」
「お前は……本当にしょうがない奴だな」
「天野?」
「冗談だ。お前を連れていく理由が無いし。お前の母親を痛めつける様な趣味もない。お前の母親はここじゃない場所で呑気に生活してるよ」
「じょう、だん……また嘘吐かれた」
「お前が騙されやすいのが悪い」
「天野は、酷い奴だ」
「はいはい」
茶化した様に笑う天野に、私は視線を鋭くしながら睨みつけた。
でも、睨みつけながらも私は、ここに呼び出した天野の目的がずっと気になっていた。
もし、もし天野の言う対価が、大切な人達に対して何かをするつもりだと言うのなら、私は何が何でも天野を止めなきゃいけない。
「ふふ。お前の考えている事が手に取る様に分かるぞ。千歳紗理奈。そんなにも大切か? 新たに得た家族が」
「天野!!」
私は拳を作って、天野に殴り掛かるが、天野はそれを容易く受け止めて、笑う。
「幸せを知って欲が出たな。良い傾向だ。しかし足りん。俺の欲を満たすためには、足りないんだよ」
「何が欲しいの!?」
「絶望だ」
「……!」
「何よりも幸せな世界にあって、全てが満ち足りた世界で、それが根底から全て破壊された時に見せる絶望。俺はそれが見たいんだよ」
天野はテレビに出ている人みたいに、両手を広げ、楽しそうに話をする。
しかし、言っている事は何も理解出来なかった。
「なぁ。千歳紗理奈。お前は今、この世界で誰よりも幸福な人間だと言ってもいい。何故ならお前には何も無かった。何もない世界で、それが当たり前の世界で生きてきたお前に、今! お前の望んだ世界の全てがある!! 今、ここに!! それが、壊れていく。それを俺に見せてくれ!」
「幸せを壊すなんて、言われても……何をすれば良いか分からないよ」
「ふむ。そうか。確かにな。では一つ俺から提案してやろう」
「提案?」
「そうだ。入ってきて良いぞ」
天野は奥の部屋に声を掛けると、そこから虚ろな目をした男が一人出てきた。
見た事がある。
確かお母さんが最初に連れてきた恋人。
そして、私に嫌な事をしようとした男……!
天野はそんな男の背中を勢いよく叩き、その衝撃で男は目を覚ました。
「よぅ」
「あ、あんたは……ここはどこだ!? いや、ここは」
「そう。アンタが過去に付き合っていた女の家だ。そして、アンタの願い通り、ここにはあの子がいる」
「……ひっ」
さ迷っていた男の目が私に向いて、ギラリと光った。
怖い。獣の様な目だ。
「ここなら邪魔は入らん。好きに願いを叶えるが良い」
「は、は、はっ! これが! 願いの力! やっぱり噂は本当だったんだ!! ひひ、紗理奈ちゃん! おじさんと楽しい事をしようか!」
「や、やだ。助けて佐々木! 佐々木!」
「叫んでも無駄っ、だっ……ぁ?」
「な、なに?」
迫ってきた男は、私に触れた瞬間、弾かれた様に体を震わせてその場に崩れ落ちた。
一応生きているみたいだけど、体が震えている。
「ハハハハ!! アハハハハ!!! たまんねぇ、最高だな!! 餌に食いついたと思った瞬間に、バチン! だ! 見たか? あのアホ面を!! ハハハハハ」
「何が、したいの?」
「何がって、もうしただろう?」
「これが、代償って、こと?」
「ふむ。まぁ合ってはいるんだが、多分認識が間違ってるだろうから正しく言ってやる。千歳紗理奈。お前の体は今、お前に好意を持つ人間が触れた場合、お前がかつて感じた痛みを追体験する様になった」
「え?」
「先ほどの男はお前への愛情などほぼ持たず、ただ欲望だけであったが、これだけの威力だ。よく生きてたなぁ。お前」
「や、やだ」
「しかもこれは、お前への愛情が深ければ深い程に、お前が感じた痛みや辛さを正確に再現する。あまり痛みを知らない人間。そう、例えば、お前の姉や新しい母親じゃあ……死ぬかもな?」
「や、止めて! 止めてよ! 天野!」
「何もない世界から人の温もりを知った少女よ。今の気分はどうだ? 是非聞かせてくれ」
私は無意識のうちに近づいてきた天野の腕を掴んでいた。
だって、私への好意があれば、痛みを追体験するというのなら、天野だって同じ事になるはずだ。
だから、きっと天野は死なない為に、こんな呪いは消すはずだって。
でも。
「なんだ? 情熱的だな」
「な、なんで」
「くく。良い顔だ。しかし残念な事を教えてやる。生憎と、俺はお前の願いには興味があるが、お前自身には欠片も興味がないんだ」
「ね、ねぇ、天野。こんなのやだよ」
「どうしたどうした。お前が触れなきゃ良いだけだぜ? 何を困った顔してるんだ」
「だって、私、そんなの。こんなの!」
「まぁ、無理だよなぁ。お前は人と触れ合う事で自分を確かめてるんだもんなぁ。だが、お前を愛する人間はもう誰もお前に触れられない。お前に触れられるのは、お前を憎み、嫌い、痛めつけようと考える人間だけだ」
「……っ! あ、あぁ」
「ふむふむ。良い顔だ。とても気分が良い。では今日はこれくらいにして俺は帰るとしようか。ではまた会おう。千歳紗理奈」
「や、やだ。待って! 待って!! 天野!!!」
私は必死に手を伸ばすが、天野はするりと抜けて、何処かへ消えてしまった。
私はどうしようもない現実に膝を抱えながら泣く。
だって、こんなの酷い。
こんな風に滅茶苦茶にされるくらいなら、ずっと痛いままで良かった。
あのままだったら我慢出来たのに。
もう一人は嫌だ。独りぼっちは嫌だ。
何より、一人になる事よりもあの優しい人達を傷つける事が嫌だった。
どうすれば良いのか。考えて、考えて、私は、気づいた。
全てが解決できる完璧な答え。
私が消えれば、全部解決するんだって事に。
「ふふ、あはは、アハハハ。こんなに、こんなに簡単だったんだ。一番邪魔なモノを消しちゃえば、良いんだよ」
嬉しかった。
私でも、あの優しい人達に返せるものがあるんだってことに気づいて。
涙が溢れるほどに嬉しかった。
私は涙を拭って、人が近づかなくて、私が私を消せる場所に行こうと思った。
でも、何処に行けばいいか分からない。
それでも、行かなきゃ。
「……お姉ちゃんの部屋」
私は家の中を歩きながら、かつてお姉ちゃんの部屋だった場所に入った、
そして机の上に、お姉ちゃんが置いていった日記を広げ、その場所を指でなぞる。
「大岩から大池に飛び込んだ晄弘くん」
「一歩間違えたら死んでしまうかもしれない」
ここだ。
私ならグズだから、一歩間違える事が出来ると思った。
でも、お姉ちゃんの大切な思い出の場所を私なんかが汚してしまうと考えると躊躇ってしまう。
お姉ちゃんはきっと悲しむだろう。怒るだろう。
また私の事を嫌いになってしまうかもしれない。
でも、それでも、私は他に終わる方法が分からなくて、その場所へ向かう事にした。
日記に何度も「お姉ちゃん、ごめんなさい」と謝って、涙をこぼす。
そして少ししてから、私は涙を拭って、部屋を出て歩き始めた。
大岩の正確な場所は分からないけれど、何となくは分かる。
歩き始めても止まらない涙を何度も拭いながら、私は歩き続けた。
夜はまだ深い。
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