26話 起死回生の一手
それは壮絶に尽きた。
フレイアと翼の男がぶつかり合う度に、余波で景色が変貌していく。
聖剣から迸った扇状の炎が、雲をちりぢりにする。
魔獣が放った漆黒の魔力が、炸裂して地表を抉る。
打ち合うごとに発生する衝撃波で朝陽の肌が痺れた。
常人では介入できない領域の戦い。
朝陽はその戦いを、フレイアとの感覚共有で体感していた。
この世界に来たばかりの時、この二人の戦いを見た。その時フレイアは銀の
さらに、青白い魔力を身に纏う。そこから半透明の、巨大な腕が幾つも生えてくる。それを自在に操って翼の男を殴りつけ始めた。
ついでフレイアの視界の中に、朝陽の目には映らない、イメージされた小型のブラックホールのような無数の白い渦が発生する。フレイアが渦の中に飛び込むとその姿が消失し、別の渦から現出する。
天地が一瞬ごとにひっくり返るめまぐるしい視界を、朝陽は完璧に認識する。
外脳は超高速で動くフレイアの五感情報を十全に読み取り、朝陽のP-ユニットに送信する。これほどの処理速度だとは思っていなかった。有難い誤算だ。
(けどこれ……)
だからこそわかった。冷や汗をかく。
(フレイア様の反応が遅い……!)
最初はほぼ互角か、フレイアが微かに上回っているように思えた。けれども徐々に翼の男は勇者として覚醒したフレイアの縦横無尽な戦術に対応していき、遂には攻勢に転じる。
フレイアが相手の領分で実力を存分に振るう術を手に入れて尚、滑るように空間を動き回る翼の男が圧倒し始めた。いつの間にかフレイアの死角に回り込み、四肢による殴打を叩き込む。徒手空拳でも不利を感じさせない翼の男にフレイアは圧されていく。辛うじて凌いではいるが、反応しているというよりは経験からの読みで致命的な一撃を貰っていないだけで敗北は必至にしか思えない。むしろどうして一度見失った相手の攻撃に反応して捌けているのか朝陽にはわからないくらいだ。魔力で何か感じ取っているのか、計算なのか勘なのか、素人の朝陽には判然としない。
あるいは、それこそが聖剣の必勝能力による恩恵の賜物なのか。
そうだとすれば、もしかしたら心配しなくていいのかもしれない。
勇者の力は『絶対』で、どれほど苦戦を強いられているように感じられても、都合のいい結果に帰結するのではないだろうか。
このまま武力で打ち負かして、制圧出来てしまえるのでは。
そう考えていた矢先。
フレイアの懐に潜り込んだ翼の男が、少女の華奢な胴体を蹴りつけた。そうしてフレイアが吹き飛ばれた先は地面。
蹴られた衝撃でフレイアの意識が一瞬かすみ、凄まじい勢いで草原に叩きつけられた。
不格好ながらなんとか受け身はとっているようで、首から落ちて骨を折り命を落とすような最悪の事態にはなっていない。
不幸中の幸いか、落ちた地点は朝陽がすぐに駆け付けられる距離だった。
迷いなく向かう。牡丹の時を思い出して、不安だった。一秒でも早く容体を確認したい。外脳から送信される情報によると、重傷を負っているようだ。
「フレイア様!」
フレイアの許に到着して、朝陽は愛しい主の名を呼ぶ。フレイアは口の端に血を滲ませ、浅い呼吸になりながらも立ち上がろうと藻掻いていた。どう見ても重体。フレイアに戦闘を続行する余力など残っているようには見えない。
もうダメだ。そう思い、安静にさせようと近寄って止めようとし――
ズドン、という衝撃音と共に。
バキン、という伝説の終わる音を聞いた。
猛然と追撃してきた翼の男が、近くに転がっていた聖剣を踏み折った音だった。
朝陽は何も言えずに呆然とその残骸を見つめた。
戦場とは思えない程の、長い沈黙。
「どうして、聖剣が……」
ようやく、フレイアが口を開いた。
「私は……勇者じゃ……?」
ありえない、はずの事なのだ。聖剣を持った勇者が敗北を喫するなど。まして、聖剣が失われるなんて。仮にフレイアが勇者でなくても、聖剣は勇者と必ず巡り合う運命にあるのだから。
(フレイア様は勇者じゃない? いや、修復ができれば……?)
考えてもわからない。
不測の事態に朝陽の思考はむしろ急速に冴えていく。
情報が間違っていないと仮定する。
ならば何故、勇者であるフレイアが負け、聖剣が折れたのか。
朝陽の知識と知性が刹那の間にその解答に肉薄し、到達してくれる。
この世界に運命はある。予言は絶対で、運命操作能力などがあるのだから。
だが、もしもイレギュラーが起きる余地のない世界に、ある日突然異世界から来訪した〝異物〟が混入してしまったとしたら、この世界の運命はどうなってしまうのだろうか。
土に塗れて転がっている、世界最強だった一品。
折れた聖剣。
この現実が物語っているのは、異世界から齎された〝異物〟――竜胆朝陽の存在によって、この世界の運命は崩壊してしまったという事実ではないだろうか。
(だとしたら……)
こんな事態を招いた責任を、取らなければいけない。
翼の男に目を向ける。
理知的な光彩の瞳が物憂げを孕んでいる。何かに迷うように、翼の男は静かに佇んでいた。
朝陽はそれに構わず、フレイアに寄り添って声をかける。
「大丈夫……じゃ、ないですよね。どうかもう安静になさってください……!」
「ぐっ……そうも、言っていられない……っ。この人は、なんとしても止めなくては……っ」
フレイアは息も絶え絶えになっている。
「それはそうかもしれませんが……もう無理ですよ、こんな大怪我で……っ」
「それより、のんきにしてる場合じゃないでしょ……! 敵がっ、すぐ、そこに……! 視線を外すなんて……!」
浅い呼吸を荒くして焦りながら、フレイアは翼の男を睨みつけている。
そんなフレイアとは対照的に、朝陽は幾分か落ち着いていた。
「私に提案があります」
「だから、のんびり話をしている場合では……!」
「フレイア様」
朝陽は諭すように厳しくフレイアの名を呼ぶ。フレイアは朝陽を責めるような目を向けてきて黙り込んだ。
「私に任せて頂けないでしょうか? 私がこの人を止めます……!」
「出来るわけない……! 英雄願望か子供のような全能感にでも酔っているのか知らないけど、これは朝陽がどうにかできる範疇から逸脱してるの……!」
酷い言い方をされてしまった気がしたが、本気で心配していて必死に守ろうとしてくれているのだろう。
なにより図星で、全部ご指摘通りと言ってしまえるところがあるのは確かだった。
「フレイア様、私がいつ戦うなんて言ったのでしょう?」
戦うこと前提で話をしていそうなフレイアにそう言うと、フレイアは何かを言いかけた口で固まった。
「ちょっと話をするだけです。その程度のことがそんなに危険でしょうか?」
傷付け合いたいなんて朝陽は思っていなかった。
その事を解ってくれたのか、フレイアの青い瞳から心の凪が伝わってくる。
「フレイア様はもう十分頑張りました。後は任せて下さい」
「そんなこと……いいのかな」
フレイアは根負けしたように脱力した声で呟いて体を弛緩させた。
「命を守るというフレイア様の意志は私が継ぎます。だから、休んでいて下さい」
「…………わかった」
フレイアは朝陽の忠義を尊重して承諾してくれる。
それを光栄に思い感謝しながら、長く黙してこちらを傍観していた翼の男へ改めて視線を向けた。
「話が終わるまで待っててくれて助かったよ。ありがとう」
なるべく友好的に話しかける。
嫌味のつもりはなく、素直な謝辞のつもりだった。
朝陽は嫌だった。暴力で決着をつけてしまう事が。出来るなら言葉で分かり合いたい。それが言語を扱う生物としての義務な気がした。
能面じみた表情だが、翼の男は困惑しているように見えた。
「混乱させちゃってるかな? 少し話に付き合ってもらいたい」
「人間と話す事などない」
「じゃあなんでさっさとこの子にトドメを刺さないの? 本当はこんなこと、したくないんじゃないの?」
「…………っ」
図星だったのか、翼の男が一歩後ずさる。
「あんた、本当はどうしたいんだ?」
まるで驚愕したように、翼の男が目を見開いた。
朝陽は、こんな風に聞かれたことが何度もある。何をする? どうしたい? そんな、ありきたりな質問。友達に、大人達に。概ねいつだって、あるがままの気持ちを口に出来てきた。
翼の男は、こんな当たり前の問いかけもして貰った事がないのだろう。
怖気づいたように朝陽から大袈裟に距離を取り、睨みつけて威嚇してくる。
「…………ッ!」
翼の男の右手に不吉な黒い魔力が纏わりつき、濃度を上げていく。
それを見て、朝陽はゾッとした。
「え……お、おい、だから話を――」
フリーデンベルクから聞かされた翼の男の右手に宿る力。【発動すれば対象の心臓を絶対に握り潰す】という文字通り必殺の能力。それに照準されていると確信する。
冷たい手の平に、心臓を鷲掴みにされている錯覚があった。
その拳には、おそらく万感の想いが握り込まれていた。
怨嗟も迷いも人間に対する思いやりも、翼の男は未練を断ち切る為に、内包するあらゆる感情を破壊の力に変えて叩きつけて来ようとしていた。
頭に来る。
「この――ッ」
それが例えどれだけ強力なものであったとしても、朝陽は臆する気がなかった。
およそ何の信念も込められていない意志薄弱な拳。単なるやけっぱち。
「まともに会話もできないのかお前はぁッ!!」
そんな幼稚な癇癪に引けを取るつもりなど毛頭なかった。
ここに来るまでにフレイアから教わった運命操作能力への対策は三つある。
第一に『発動させない』。多くの場合、これに尽きる。必中系の能力は基本的に『相手を視認していなければ発動できない』という条件が付随している。よって、どうにかして目視されなければいい。
第二に『封じて凌ぐ』。発動された能力の要を、切り離して何かしらに閉じ込めるか、強引に押さえつける。運命操作能力は概ね『いつ当たるか』まで指定しないので、当たるタイミングを限りなく遠ざければいい。
第三に『予約する』。『封じて凌ぐ』の応用。他の運命操作能力によって破壊される事が定まっている部位は、対象には指定できない。予め惨い結末を用意して目先の脅威を撥ね退ける。
(そもそも『発動させない』……! 俺に採れる選択肢はそれしかない……!)
朝陽が放り投げた魔力で固まる岩石を、翼の男が裏拳で易々と破砕する。
取り付く島もない以上、いつまでもフレイアの傍に居るのはまずいだろう。巻き込んでしまう恐れがあるからだ。翼の男が今更傷だらけのフレイアに手を出すとも思えないし、離れた方が良さそうだ。
朝陽は折れた聖剣を見る。まだ完全には輝きを失っておらず、死んでいない気がした。
飛びつくように右手で聖剣の柄を掴む。聖剣から、腕を通して漲る程の魔力が全身に流れ込んでくる。これなら
朝陽は走ってフレイアから遠ざかった。足裏で地面を持ち上げた土の塊を走りながら流れで蹴り投げる。翼の男はその岩に取り合わず、飛翔して空に昇った。無尽蔵に作り出せる岩で防がれると分かったからか、必殺能力の使用を諦めたようだ。
さっき見た聖剣の能力を発動する。
朝陽のなくなっている左手の肩口から、魔力で出来た巨大な手を生やした。他にも数本、朝陽は全身に纏った青白い魔力から同じものを伸ばす。
その手の平を地面に付けて気根を試みる。上手くいく。青白い腕は地面を持ち上げると魔力で固めた岩で武装する。土壇場で思い付いた芸当が成功して、聖剣で得られる力を朝陽は心強く思う。
最大出力は低下しているようだが、能力の使用は可能なようだった。
無言で、空を舞う翼の男が遠方から朝陽へ叩きつけるように右手を振るう。
朝陽は危機を察知して別の能力を発動する。視界に現れた白い渦に飛び込み別の渦へ瞬間移動する。
直後、直前まで朝陽がいた空間がたわみ、大地が広範囲に渡って陥没した。
その範囲からギリギリ逃れられた朝陽は肝を冷やす。自分の防御力がどれほどか知らないが、一瞬遅ければ潰されていたかも知れない。
大規模な攻撃ではあったが、フレイアは巻き込まれていない。そうしてくれているのだろうか。
それでもいい加減、朝陽は腹が立ってきていた。
殺されかけて穏やかに接する気が失せる。
(もういい。だったらこっちも、やりたいようにやらせて貰う)
もう都合のいい決着を望む段階は過ぎた。戦いは避けられないと腹をくくる。
しかし反撃しようにも相手は遥か空の上。フレイアが使用していた空中歩行能力はどうやら朝陽には適性が無いらしく使える気がしなかった。失われているのかもしれないし、勇者専用の能力なのかもしれない。
朝陽は頭の中で戦略を組み立てる。しかし勝利のイメージは出来なかった。決定打が【
(唯一勝ちの目があるとしたら……)
ある着想に勝機を見い出し、朝陽はチラリとフレイアの居る方を見る。
(あとは任せて下さいなんて言っておきながらダサいけど、フレイア様に無理をして貰ってでも一か八かを試してみるしかない……!)
※
翼の男は高い位置から黒髪を見下ろす。
か弱く、取るに足らない存在だ。けれど無視できなかった。
このままの高度を保っていれば向こうが手を出す術はないように見えた。全身を覆う魔力から青白い腕を幾つか伸ばして岩を持たせているが、児戯に等しい。
それでも、仕留め損なった。
黒髪がこちらを指差した。少々不快だ。
「逃げるなら、あんたの仲間の方に行って容赦なく命を奪う。それが嫌なら降りてこい」
その言動に殺意が湧く。
仲間達へ影を伸ばし、その中に収納して地上に降下する。
何を勘違いしているのか。
安全な距離を取らずとも、こんな雑魚、直接殴りかかってもいいのだ。
いやむしろ、仲間を人質にしようとしたコイツは全霊を以て殴り殺す。己の分際を弁えさせる。
右手の能力は黒髪には通じない。能力を起動させるまでの間隙に岩で目視を阻まれてしまう。使うのであれば、それが出来ない状況を作り出すしかない。
けれどそれを抜きにしても……何故かこの人間は右手の能力で狙いにくい。どうしてか発動までにかかる所要時間が長い。というより果たして対象に指定できるのだろうか。
黒髪が地を蹴った。かと思いきや、視界から掻き消えた。なんの予備動作も魔力の揺らぎも感じない。唐突に虚空に消えた。横。魔力の腕を操り、黒髪が側面から奇襲を仕掛けてくる。難なく避ける。
距離の誤魔化しなどもう見た戦術だ。通用させない。と思ったのも束の間、再び黒髪が目の前に出現する。赤髪とは感じが違う。読みが深い。だが、おおよそ手の内は分かった。所詮は小手先。この程度なら反応が間に合うし、こちらにダメージを与えるには根本的に威力が足りない。殴りつけて来た岩を、四肢を振るって軽く叩き粉砕する。強度も脆い。
黒髪の姿がまたしても掻き消えて遠くに出現すると、白い腕で地面を抉り取ってがむしゃらに岩を投げつけてくる。外しているのか適当なのか、避けた先で当たるように置いているつもりなのか、直撃する軌道は一部しかない。残りは辺りに転がる。理解する。右手の能力に狙われ難くする為に、身を隠す用の障害物を周囲に配置している。小賢しい。
どうやら小細工が関の山のようだ。底は見えた。終わらせよう。
今度はこちらから距離を詰める。黒髪から生えた青白い腕が持つ石ころを刹那で全て打ち砕く。流れで黒髪の身体を上空に蹴り上げた。しっかりと見る。右手の能力を遮る物は何もないし、瞬間移動の距離も無限ではないだろう。多少移動したところで見逃さない。
殺す時、いつもこの能力を使っている。生命力を吸収し、癒す能力を充填する為に。仲間の治癒と蘇生に大半を使った。補充しておきたい。
空中で身動きが取れない黒髪の顔が焦りに歪んだ。だが指に填めてある黒い指輪が、象眼してある緋色の宝石を煌めかせる。現れた真っ黒な球体が黒髪を包む。
謎の球体は落下し、接地する。どこからともなく出現した球体は、泡沫となって消失した。中から着地している黒髪が出てくる。まだ打つ手があったようだ。その場凌ぎだが。
「どうやら、俺じゃお前に勝てそうにない」
何やら当たり前の事を口にする。
「だから、次で終わらせる」
黒髪が予告する。
身構える。舐めてかからない方が無難だ。案外、手を焼かされている。
黒髪が開いた掌をこちらに向けてくる。そこに魔力が込められていく。脅威には感じないが、特殊能力の手数が多いようで慢心は出来ない。不覚を取らないようにその挙動に集中する。
「…………?」
背後。何者かの気配を感じた。気付く。周囲に転がっている岩は、黒髪が隠れる為のものではない。別の誰かを隠す為の布石。だとすれば黒髪の行為は
赤髪がいた。首にあった首輪が外されていて手に持っている。
おそらくあれをこちらの首に付けるつもりだろう。黒髪が作った岩陰に赤髪が身を潜めて移動し機を伺っていたのだ。
発狂しそうになる。再び首輪など付けられてたまるものか。
こいつらはしぶとい。何をしてくるかわからない。
右手の能力も黒髪には役に立たない。
なら、人の姿に拘る必要もない。
人間に似たこの形態は。
脆弱だ。
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