18話 孤独な少女

 フリーデンベルグの付き人に送られて隊列に戻った朝陽はそのままフレイアの所へと案内された。フリーデンベルグがそのように手を回したらしい。お節介が鬱陶しかったが気持ちはわからないでもない。親心みたいなものなのだろう。もしかしたら屈折した恋心だったりするのかもしれない。

 なぜならフレイアの容姿は美しいと評して差し支えないくらいには端麗なのだ。

 炎のように風に揺らめく緋色の髪と空のような蒼い瞳。健康的だが白い肌に薔薇色の頬。血色と艶の良い瑞々しい真っ赤な唇。それらが小さく儚げな輪郭に収まっている様はさながら男児が夢想する空想上の産物であるかのように可憐だ。誰がどこでどんな風に惚れたところで見た目の一つで理由は足りるだろう。

 隊列から少し離れた場所。

 木陰で佇むフレイアを、朝陽はしばし距離を置いて眺めた。

 浮世離れした可愛らしさが余人を遠ざけてしまうのか、はたまた悪目立ちする原色の毒々しさが恐怖を煽ってしまうのか。まるで絶海の孤島で一人寂しげに立ち竦んでいる錯覚をするくらい、フレイアは孤独に、木の幹に凭れかかり睫毛を伏せていた。


「……こんなところでなにをしているのですか?」


 朝陽は歩み寄って声をかける。フレイアが無表情をこちらに向けた。


「お前を待っていたのだが」


 なにやら不機嫌そうだった。


「え……なぜでしょう?」

「面倒を見ているのに人に預けて放置とはいかないからな。無事に返すとは言われたが確認しないで寝るわけにはいかないだろう。お前が私の元に来なければ迎えに行くつもりだった」


 律儀な子だった。


「私の身を案じて頂けたのですね。煩わせてしまい申し訳ありません」

「……お前が謝る必要はない。自ら進んで負った責だ」


 フレイアは伏し目になりながらも毅然とそう言う。

 顔は能面のようだった。騒ぎ立てる事もなく、たいして気にもしていなさそうだ。

 そういう子、なのだろう。

 自分がないがしろに扱われる。他人に手を煩わされる。そういった事に慣れきってしまっていて、きっとこんなの本当になんともなくて、どうでもいい事なのだろう。

 いや、もしかしたら嫌だとか、辛い、むかつくという気持ちははっきりあって、でもそれを押さえつける自制心に長けているのかもしれない。多くの人の命が失われる結果になってしまったという過去の経験から、我侭に振舞う事を、自分の気持ちを素直に表に出す事を怖がっているのかもしれない。

 他人の為に自己の悉くを犠牲にする生き方。自分が損な役回りを引き受ければ相手に得を、楽をさせてあげられるという当たり前の仕組み。

 わかるなどとはとても言えない。けれども一連のささやかなやりとりに、騎士との会話を経た朝陽はフレイアの本質の片鱗を垣間見た。


「フレイア様……ちょっとお話したい事があるのですが、よろしいでしょうか」


 フレイアの抱える事情を聞いた事を、朝陽は話してしまおうと思っていた。決して本人から進んで語りたがらないであろう過去を知っている。それを知らせないままこれからも付き合っていく事は出来ないと思った。

 そこに大きな理由なんてものはない。それが朝陽だというだけだ。

 フレイアは答えなかった。

 逸らしていた青い瞳を再びこちらに向けて、上目遣いでじっと、腹の中を探るようにねっとりと、視線でこちらの思考を舐る。

 それは縄張りを侵犯しようと目論む外敵に向ける排他的な目だった。

 フレイアの眼力に耐えかね、朝陽は逃げるように口を開いた。


「なるべく人に聞かれたくないので、どこか人目につかない場所に行きたいのですが……」

「……わかった」


 乾いた返答。その響きの中に心の扉が閉ざされていく音が紛れ込んでいるような気がして、朝陽の耳朶を切なく打つ。

 二人で歩いて、兵士の集団が見えなくなるところまで離れる。

 物静かなフレイアの視線は、歩調に合わせて地面をなぞっていた。

 誰かに話を聞かれないように兵士達とは十分な距離を取ってから転がっていた巨大な岩の陰に身を隠し、朝陽はどう切り出そうかと悩む。


「話というのは、私の昔話か?」


 朝陽がまごついている間に口を開いたフレイアから核心を突かれる。結構、勘がいい。ここまで明確な予想を立てられたのはこちらの態度と会話に望む条件付けがあからさまにそれを示唆してしまっていたからか。

 はぐらかすような事でもないので素直に認める。


「……はい、そうです。フリーデンベルグさんから聞きました」

「それで?」


 剣呑に、投げつけるように問いかけてくる。

 フレイアの神経を逆撫でないように、朝陽は慎重に言葉を選ぶ。


「フレイア様の過去を責めたいわけでもないですし、フレイア様を嫌いになったのでもありません。喧嘩を吹っかけたいのでもなく……ただその、知ってしまったからにはその事を伝えておかなくちゃと思い……言わずにいることもできるのですが、こういうのは早めに言っておかなければというか……。勝手にかぎ回るような事をしてしまい申し訳ございません」


 フレイアの不機嫌に耐えかねて、目を逸らしながら弱り切った声で朝陽がそう言っていると、フレイアの嘆息が聞こえた。


「もうわかったから……虐めているというか、居たたまれない気持ちになってくるからそんな風にしょげるのはやめろ」

「は、はい」

「……それで、話というのはそれだけか?」

「いえ、違います。フレイア様のお気持ちを教えて欲しいのです。いろいろ話は聞きましたけど、私はまだ、フレイア様本人の口からなにも聞いていませんから……」


 朝陽は挑むようにそう言う。これは勇み足かもしれなかった。昨日今日知り会ったばかりの相手に、生きているうちに背負ってきたものを全て吐き出せなどと要求するのは図々しいだろう。


「フレイア様は何を思って軍人をしているのでしょうか? どうしてここに、軍に籍を置き続けているのでしょう?」

「…………国の為だ」


 多くを語ろうとしないフレイアに、朝陽は突っ込んで訊く。


「それは結論です。どうして国の為に生きようと思ったのですか? やっぱり、罪滅ぼしでしょうか?」

「どうしてお前にそんな事を教えなくてはいけない?」


 けんもほろろなフレイアに、朝陽は心の赴くままを曝け出す。

 大きく息を吸って、


「俺が知りたいから訊いてる」


 口調を敢えていつもの自分に戻す。

 ここから先は、従者の領分ではないのかもしれないと思ったからだ。


「会ったばっかりだけど、フレイアがいい子だっていうのはもうわかってる。だからフレイアが酷い扱いを受けているなんて嫌なんだ。辛いなら辛いって言って欲しい。もし弱音を吐ける相手がいないなら、俺を頼ってみて欲しい。俺にできることなんて全然ないかもしれないけど、なにか、フレイアの力になりたいんだ」

「――――ッ」


 朝陽が気持ちのままに淀みのないまっすぐな言葉を伝えてみると、フレイアは目に見えて動揺した。


「私は……っ」


 何かを言おうとするフレイアの声が震えていた。それを自覚したからか、フレイアは焦ったように口を噤んだ。

 朝陽は何も言わずに待つ。

 何かを言おうとしてくれている。それがわかったからだ。

 フレイアはたっぷりと思い悩むように俯き続け、やがてぽつりと小さな声で言う。


「罪滅ぼしも、理由の一つではあります。……うまく言えるかわかりませんが、私は……私は誰かが幸せそうにしている姿が、好きなんです」


 敬語に戻ったフレイアは、そこでさらに言葉に詰まる。目一杯、言い淀む。


「…………悲しそうな人を見るのが、ダメなんです。泣いているのを見るのが、嫌なんです。笑顔でいられるのが、一番いいんだと思っています。だから私は、人々を守るために、彼らの幸福を願って、戦っています」


 まるで喋り慣れない異国の言語を話すようにフレイアが拙く言う。

 国を守る為に命を懸ける理由として、それはすんなり朝陽の心に染み込んでいく。

 けれど。


「……それ、嘘じゃないんだよね?」


 朝陽は思わずそう訊いてしまっていた。

 誰かが泣いているのが嫌だ。悲しんでいるのを見るのが辛い。笑顔を見ると心が温かくなる。

 それら一つ一つは理解できるし、どこも変ではない。

 しかしそういった感情を、自身を虐げる人達に対して向けられるものだろうか?

 もし本当ならそれはあまりにもお人好し……それどころか病的な献身や過剰な自己犠牲精神だ。

 フリーデンベルグの話を鵜呑みにするなら、この国の人達はフレイアにとんでもない負担を強いている。おまけに石を投げたりと、恩を仇で返してもいるのだ。そんな事をされたら、自分だったら見限ってしまうのではないかと朝陽は思うのだ。

 身内の不幸を嘆くのはわかる。しかしその悲劇を免罪符に頼った相手へ害をなした時点で見向きしてやる価値はない。自分の命くらい他人に委ねず、自分で責任を持つべきだからだ。命を預けたのなら、被害者面して結果に文句を言ってはならない。それが自立した大人な考え方だと朝陽は思っている。

 例えば牡丹の死は畢竟、牡丹の過失だ。仮に「お前のせいで牡丹は死んだ」と責められても朝陽は「あんたの解釈なんて知るか」と言い返すだろう。ひたすら自分の無力を恥じはするが、それは現在進行形の感情だ。その言葉でそこに影響は生じない。

 こういった朝陽の哲学と比較して、フレイアの発言は心が広過ぎる。

 襲撃者の正体を知った朝陽はそんな風に冷めたような感慨を抱いてしまっていた。


「自分でもどうかしてるかもって思います。でも、嘘じゃありません」


 フレイアは心外とでも言いたげにむくれながら言った。

 嘘でないならそれはどんな心境なのか。フレイアの置かれている状況で先程のような言動に至る心理を推し量ってみるが、朝陽には何も思い当たらなかった。


「ごめん、やっぱり俺にはまるでわからない。何をどう考えたらそんな風に思えるの?」

「それは――」


 朝陽の質問に対してフレイアはなにかを言いかけるが、結局黙ってしまった。

 フレイアの本心がより深く知りたくて朝陽は追撃する。


「思想や主義から来る論理性のある感情じゃない?」

「いえ、そうではないんですが……」

「なら言えない理由とか、言いたくない理由があったりする?」

「…………はい。でも……」

「なに?」

「誰にも言わないと約束してくれるのであれば、話します」


 フレイアにとっては相手の気持ちや都合が第一、という事なのだろう。朝陽は覚悟を込めて頷く。


「……わかった。誰にも言わない」


 朝陽がそう言うと、フレイアは自身を庇うように胸元に手を添えた。


「……………すごく、申し訳ないって思ってしまうんです」

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